3-7.(まったく、余計な仕事を増やしおって)

(どうして、ガイレス教授がここに。……いや恐れるな。奴が出てきたところで、何の意味もないはずだ)


 公聴会当日――ありもしない、ハタノの弁明を聞くためにでっちあげられた会場。

 そこに突如現れたガイレス教授に、グリーグ教授は汗ばんだ手でぎゅっと袖を握りしめていた。


(しかしどうなっている。ハタノ院長の差金か。……くそ、くそっ)


 グリーグは元々、ガイレスを苦手としている。

 入職時からの先輩であり、帝都中央治癒院を長年率いた院長。

 先日、翼の勇者治癒のさいに起きた事故により魔力が欠損していると聞くが、その威厳は確かなもの。


 何より同じ特級治癒師でありながら”半端者”のグリーグと。

“才”、”魔力”、”権威”その全てにおいて彼を上回り、”治癒師”として帝国随一の名を轟かせるガイレス教授では格が違うことぐらい、彼だって理解している。


 ……だが、今日の相手はガイレス教授ではなく、凡俗な一級治癒師のハタノだ。


「ガイレス教授。お待ちください。本日の公聴会は、ハタノの不正を暴くための会です。あなた様の話を聞く必要はない。それに、あなたは院長を解任された身だ。余計なことは……」

「何を恐れている、グリーグ?」

「っ……!」

「院長を解任された挙げ句、魔力を失い入院しているジジイの話など、取るに足らないであろう? それとも、何か。いまの貴様には、私の話を聞けぬほど焦る理由があるのか?」

「それは……」


 にいっと笑い、壇上へと登るガイレス。

 登壇するにつれ、公聴のために集められた治癒師――中には、グリーグの雇った治癒師ですらないサクラも混じっているが――彼らに、さざめきのような動揺が走る。


 揺れる会場に構わず、ガイレスは小さく鼻を鳴らし、軽く指を弾いた。

 魔力圧を込めた風を会場に吹きつけ、どよめく者達の意識を自分へと引きつける。


「今さら名乗るまでもないな。”元”院長のガイレスだ。別に頼みを聞いてやる義理はなかったが、今日はひとつ、諸君等に話をしよう」


 貴族服の襟元を直し、ひとつ息をつくガイレス。

 そして壇上の演台に手をつき、彼はゆっくりと――


「かつて、治癒という行為に魔法は使われていなかった。諸君等には興味がないであろう、歴史の授業だ」


 ハタノの金銭問題と、全く関係のない話を始め。

 グリーグは「は?」と、目を点にしながら、完全に固まった。





 治癒魔法の歴史。

 それはそのまま、大陸の医学の歴史と言っても過言ではない。


「諸君らも歴史の授業で聞いたと思うが、かつて、この大陸に”才”と呼ばれるものは存在しなかった。当然”治癒魔法”も存在しない。……では当時の医療従事者達は、どのように患者を治療していたのか? 答えは、魔法ではなく布を巻いて止血をし、効能もわからぬ薬草を煎じて飲ませた、だ。時には瀉血という、患者の血を抜くことで体内の悪しき物質を抜くという手法も行われた」


 無論それらの多くは、誤った治癒法だった。

 そして間違った医療が施行された結果、当時の医師達は知らぬ間に、多くの患者の命を奪ったことだろう。


 が、当時はそれが正しい医療行為だと推奨されていたのも、また事実。


「後に”才”が現れ、治癒魔法が台頭した初期の頃――治癒師は、当時の医師により迫害された。根拠のない怪しげな術で、人の身体を癒す。それは悪魔の術だと噂され、時には治癒魔法を受けた患者が撲殺される事件もあった」


 社会的動物である人間は、異物を排斥する。

 それは人間の抗えぬ性であり、”普通でないもの”は、誰だって怖い。


 そして昔”治癒魔法”は世界にとって”異質”だった。


「……だが時が経つにつれ、治癒魔法の有用性が理解され、いまでは一般的な治癒法として確立している。理由は簡単。治癒魔法の方が、よい結果が出たからだ。

 つまり、医療とは――いや。医療に限った話ではないが、常識とはその時代によって変化する。

 治癒魔法が異端とされた時代から、常識となった時代へ。そしてまた次の時代へとな」


 そこまで告げ、ガイレス教授は一拍挟む。

 聴衆に感情を整理する時間を与えた後、続けて、貯めていた言葉を吐き出した。


「君らに告げよう。現院長ハタノは、そなた等の治癒を疎んじてもいないし、排斥しようともしていない。奴はむしろ”才”ある者の治癒を望んでいる。

 ……ただ先ほど述べたとおり、その常識が我々と違うだけ。

 奴の治癒法は、たしかに、今の常識とはかけ離れている。

 リスクが皆無という訳でもなく、奴の手法がすべてが正しい訳でもない。治癒魔法のみの治癒が優れている場合もあることは、奴自身、認めている」


 朗々と語るガイレスの脇で、息をのむ音がした。

 僅かに視線を向ければ、舞台袖でグリーグ教授がわなわなと震えている。


 ガイレスは構わず、続ける。


「だが歴史に綴られた通り、治癒のあり方は時代によって変化する。昔は通じた常識が、いまは通じないこともある――事実、雷帝メリアス様を打ち抜いた銃の傷に対し、私は無力であった」

「教授ですら?」「まさか……」

「だが、技術が進化するのと同じく、治癒技術もまた進化する。それを学び続けるのもまた治癒師の仕事だ。……そして、ハタノの治癒は、新しい医療のあり方の先駆者となる可能性がある」

「っ……お待ちください、ガイレス教授!」


 たまらず飛び出してきたのは、グリーグ教授だ。

 その顔が青ざめているのは、予定が大きく狂ったせいか。あるいは……?


「ガイレス教授! 今日の話は、ハタノ院長の不正流用の件であり、あなたの私的な話をする場ではない!」

「同時に、これは奴自身が認めたことだが――奴の治癒法がたとえ正しかろうと、それを最もうまく扱えるのは、治癒師自身だ。よって貴君等の”才”は一切否定されることはない」

「ガイレス教授!」

「むしろ正しく学べば”才”ある君らは、あの院長を容易く上回ることが出来るだろう。……諸君らも腹立たしく思わないか? 帝国社会のいろはも知らず、ぽっと出の若造に院長面されるなど。少なくとも、私は腹立たしい」


 クク、とガイレス教授が笑い、グリーグが話を止めろと騒いでいる。

 しかし元とはいえ帝都中央の長を務めたガイレスを、一体誰が止めれると言うのか。




 その哀れな教授を見ながら、ガイレスは――

 全くもって馬鹿馬鹿しい話だ、と内心で毒ついた。


(ハタノの奴。本気で、自分は不正流用していない等と話す気だったのか? 本物のバカか、あいつは)


 そもそも自身で己の潔白を証明したところで、何の効果もないことは分かっていたはずだ。

 それでも誠実に話そうとしたのは奴らしいが、その誠実さには何一つとして価値がない。


 人は、自分に興味がある話にしか耳を傾けない。

 論理の正しさなど、感情の前では紙くず以下の価値しかない。

 では今、帝都中央治癒院に勤める治癒師達がもっとも聞きたい話は、何か。


 ――ハタノの不正に対する怒り?

 ――ただの一級治癒師が、院長になったことへの不満?

 それもあるだろう。

 が、いま帝都中央治癒院に勤める彼らが直面しているのは、ハタノの持ちこんだ”外科治癒法”とも呼べる、新しくも異質な治癒法に対する嫌悪と畏怖だ。


 ”知らない”ことは”恐ろしい”。

 ”恐ろしい”ことは”排除したい”。


 ハタノはそんな彼等に、己の実力を示すことで理解してもらおうとしたが……人の感情は、その程度では収まらない。

 だから、ガイレスは彼らの望む言葉を授ける。

 ハタノの治癒は、今の治癒師を否定するものではなく。

 むしろ治癒師の治癒魔法を、より有効に活用できる術である、と。


(ハタノの奴は馬鹿正直すぎる。すこし言葉を換えて伝えればいいものを。……とはいえ、少し前までは私もあちら側だった訳だが)


 帝都中央治癒院の長を務めていた当時であれば、こんな話は出来なかっただろう。

 院の最高責任者として、今の治癒を否定することは、すべての治癒師を否定することに繋がるからだ。


 だが、今なら――

 帝都中央の長の座を降りた後であれば、何とでも言える。

 後の責任は、ハタノに丸投げしてしまえば良いのだから。


 ガイレスは自嘲を込めながら、再び演台に手をつき語る。


「すぐに奴の手法に慣れろ、とは言わぬ。そもそも私は、従来の治癒法も劣っているとは思わんからな。……あとは、結果を見ればいい。ハタノの治癒法が実践で功を奏していると判断したなら、その手法を取り入れれば良いだけだ。……そなた等も治癒師なら、治癒魔法で救えなかった患者に、少なからず心当たりがあるだろう?」


 ガイレスの一言に、幾人もの治癒師が顔をしかめた。


 医療従事者であるなら、少なからず心当たりがあるはずだ。

 己の実力不足。

 認識ミス。

 或いは、正しい治癒法をしたのになぜか亡くなってしまった患者――過去を悔いていない治癒師など、そう居ない。


 それに心あたりがあり、まっとうな治癒師であれば、少しは耳を傾けることだろう。


「話は以上だ」


 ガイレスは結局、最後まで全く関係のない話に終始した。

 まだ何か言いたげなグリーグ教授を無視し、杖をつき少々足を引きずりながら降りていく。


 それでも、彼の威厳が衰えることはなく――そして当の本人は、


(ハタノの奴め。まったく、余計な仕事を増やしおって)


 と、心の中で毒付きながら。

 しかし不思議なことに……たまたま通りかかった人が見たガイレス教授の横顔は、不思議と、満足そうであったという。


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