2-3.「だって私は、あなたのことが好きな、妻なのですから」
「つまり、ホルス教授。グリーグ教授は私を陥れるために、治癒師を派遣すると嘘をついた可能性がある、と?」
「かの教授は城帝派、しかも厄介な側だ。表向きYesと言いながら、院長殿の顔に泥を塗る機会をうかがっているかもしれないし、そうでもないかもしれない。そして拙者がそれを黙っていると、あとあと連帯責任などと言われ、雷帝様に殺されるかもしれない。かといって表だって貴殿の肩を持つと、それはそれで風向きに問題があってな……」
難解、じつに難解。
うーん、と腕を組んだまま貧乏揺すりを続け、ちらっ、ちらっとハタノを伺う、ホルス教授。
その体躯は、熊のように大柄だ。
丸太のような腕を持ち、筋肉質な身体のうえに白衣を被ってるという、実に白衣が似合わないホルス教授だが、その視線は……。
――お願いだから、何とかしてくれません?
と、こちらの機嫌を伺っている。
ハタノは思わず、くすっと笑ってしまった。
「助言ありがとうございます、ホルス教授」
「今のは独り言でござる。よって院長殿が本件で失敗しても拙者は何一つ知らぬが、しかし、もし雷帝様の逆鱗に触れてしまった場合、拙者は一応助言は致しましたよと言いたいといいますか」
「十分です。もし万が一のことがあった場合、ホルス教授からは助言を頂いていたと雷帝様には進言しておきます」
その返答に、ホルス教授があからさまに、ほっと息をついた。
ああ、うん。
この人は体躯に見合わない小心者だが、悪い人ではなさそうだ。
”特級治癒師”らしくはないが、そもそも人間誰だって保身はあるし、ハタノだって面倒事に巻き込まれたくない気持ちはわかる。
その上で、助言してくれたなら十分。
ハタノは苦笑しながら彼に感謝しつつ、結局どうしたものかと悩んでいると――
くい、と袖を引かれた。
いつの間にか、また距離を近づけたネイ教授が、眼鏡の奥からハタノをじっと見つめて。
「ハタノ院長。竜魔力を宿すあなたを、ぜひ解体……解析したい」
「いま解体って言いませんでした?」
「研究素材として興味深い。そしたら協力してもいい」
「すみませんが、解体されると妻と愛し合えなくなりますので、お断りしても宜しいでしょうか」
しゅん、と俯いてしまうネイ教授。
……こっちもこっちで癖があるなと思いつつ、ふと、ハタノは閃く。
「まあ解体はされたくありませんが、竜魔力の研究になら協力しても構いませんよ」
「!!」
「代わりに少し、私の方にも協力して頂けませんでしょうか?」
ハタノが笑うと、ネイ教授はぶんぶんと首を縦に振った。
……この子はこの子で癖がすごいなと思いつつ――けれど。
(特級治癒師、と一言でいっても、様々なのですね)
という、至極当たり前のことを、ハタノは今さら実感するのであった。
*
会議を終え、――結局なにひとつ問題は解決しなかった。
”半端者”グリーグ教授が人員を手配すると約束したが、ホルス教授の話によれば信用できない。
かといって、ホルス教授は表立って人を集めてくれるほど協力的ではなく。
ネイ教授には協力を約束して貰ったが、彼女は人員というより物資にツテがあるらしく、魔力ポーションの手配はできても治癒師の派遣は難しいらしい。
そしてハタノには、治癒の実力はあっても人脈がない。
人を扱うことになれていないし、そもそも誰を指名すればいいかも分からない。
(雷帝様の名を借りて、上から無理やり指名もできますが……名も知らない相手とだと連携の問題がありますし、後の軋轢になる可能性も……)
もしや、世間の中間管理職は日々こんな風に悩んでるのかもしれない――と、ハタノは頭を抱えながら、いつものように帰宅し、一息つく。
と、今日もチヒロさんが出迎えてくれた。
トントン、と足軽に出迎えてくれた妻は、昨日とおなじエプロン姿だ。
相変わらず可愛いなあとハタノが頬を緩ませていると、チヒロが、はて、と小首を傾げた。
「お帰りなさい、旦那様。……旦那様?」
「はい。何でしょう」
「いえ。なんだか少しお疲れのように見えましたので」
……ああ、いけない。
悩みごとが、顔に出ていたようだ。
仕事のことで彼女に迷惑をかける訳にはいかない、と、ハタノはふっと笑って疲れを隠そうとして、
「問題ありませんよ。心配をかけてすみませ……」
「仕事のことでしょうか? 私はあなたの妻なのですから、心配をかけてもらって全然構いませんよ」
当然のように、さらりと流れた妻の言葉が身に染みた。
ハタノが固まり、チヒロはふふっと笑いながら、無防備に遠慮無く――ハタノの身体を優しく抱きしめるように、ハグをする。
ふに、と、彼女の柔らかさを直に受け、固まるハタノ。
「旦那様は、私が困っているときに何度も助けてくれました。であれば私も、旦那様がお困りのときには力になりたいものです」
「……それは」
「互いの領分。仕事には口を出さない。その気持ちは私も理解しますが、愚痴や相談くらいには乗れますので」
むしろ、それくらいはさせてください、とハタノの手をそっと掴みながら、微笑む妻。
ハタノは反射的に、それでも妻に迷惑をかけれない――
と思ったが、
(いや。ここで黙ってしまうから、私は悪いのではないだろうか?)
夫によっては、家庭に仕事の話を持ち込むべきでない、と語る者もいるだろう。
けど、うちの妻は”勇者”。
歴戦の猛者であり、ハタノにとって最適なビジネスパートナーであり、ハタノの合理的な思考を理解してくれる女性。
だからこそ、彼女を愛しく想った一面もある。
……そう考えると、むしろ……何も相談しない方が、失礼なのでは?
ハタノはふっと息をつき、愛しの妻をじっと見つめた。
宝石のように明るい瞳でこちらを見返す妻に、ハタノは自らの心を縛る鎖を、自分の意思でそっと解き放っていく。
「チヒロさん。……すみませんが、仕事の相談をしても宜しいでしょうか」
ハタノの問いに、妻は一瞬眉を上げ。
すぐにその唇が半月のようにつり上がり、幸せを噛みしめるように瞼を閉じて、笑う。
「チヒロさん?」
「いえ。……すみません。不謹慎ながら、嬉しくて」
「え?」
意味がわからないハタノに、チヒロは手を口元に当てて、くすくすと笑う。
そして妻は、妻として幸せですとばかりにハタノへ近づき、自らの肩に顎を乗せ、そっと耳元で囁く。
「旦那様が、私を頼ってくださる。それだけで、妻としては喜ばしいものですよ」
「っ――」
ああもう、本当にこの妻は……。
ハタノはぶわりと身体が熱を帯び、今すぐ抱きしめたい衝動に駆られながら――けど、妻に甘えるのは仕事の話をしたあとだ、と理性を振り絞り、なんとか耐えた。
……ああ、でも。
本当に、この妻と結婚して良かったな、とハタノは思う。
――で。
話を聞いたチヒロさんは、的確かつシンプルな解決法を提示した。
「旦那様。治癒にしろ勇者家業にしろ、私の価値観は”勝てば官軍”です」
「ええ。私も同意します」
「であれば、まずは結果にこだわってみてはいかがでしょうか」
「……しかし、その結果を出すための治癒師の選定が――」
「旦那様に頼まれた仕事は、ガルア王国で起きた爆発事件、その一都市ぶんを補う治癒師です。……そして先日、旦那様から聞いた話によりますと、おバカですが非常に強力な治癒師が一人いらっしゃる、と」
そうだ。居た。
ネイ教授がさらりと推奨し、ハタノと既に一戦交えたことのある、強力な特級治癒師。
その魔力保有量は都市一つぶんを補えるほどに力強く――魔力精査さえハタノが行えば、治癒は彼女一人に任せても申し分ないほどの力を持つ。
「旦那様の目的は、ガルア王国の一都市の治癒をすることですが、目的が果たせるのであれば、わざわざ複数の治癒師を連れて行く必要はないでしょう」
「……確かに。とはいえ、特級治癒師の外出となりますと、別の意味で神経を使います。一級治癒師ならいざ知らず、もしガルア王国に派遣し、特級治癒師が怪我や事故に見舞われたりしたら……」
「そこも問題ありません」
ふふん、と妻が胸に手を当て、自慢げに囁いた。
彼女がここまで明言するのは珍しいと思いつつ、理由を問うと。
「私、明日はお休みを頂きました」
「?」
「旦那様がお忙しそうなので、何をしようか迷っていたのですが……宜しければ、旦那様に同伴しても宜しいでしょうか」
「……ああ」
一瞬で理解した。
ハタノの妻は、翼の勇者にしていまや帝国最大の戦力。
その彼女が護衛について、一体どこに“危険”があると言うのか?
少なくともハタノが知る限り、真正面から銃撃された程度では揺るがない、強固な力を持っている。
が、それでもハタノは一瞬悩み、……自らの心に生まれた遠慮をぐっと押さえて。
「チヒロさん。すみませんが、頼りにしても宜しいですか?」
自らの業務領分を越えた依頼をしてもいいか?
という最後の遠慮に、チヒロは優しく、柔らかくふわりと頷いた。
「構いません。むしろ頼られることを、嬉しく思います」
「……チヒロさん」
「だって私は、あなたのことが好きな、妻なのですから」
熱の籠もったその返事に。
ハタノは、自らの顔がまたも熱を帯びてしまうことを誤魔化すように、頬を掻いた。
――――――――――――――――
この話で本作、100話目到達です。
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