2-4.「誰も怖いなんて言ってないじゃないのおぉ――――っ!」
「それで? 首尾の方はどうかね、グリーグ教授」
「問題なく。雷帝様の顰蹙を買うような真似は致しませんので、ご安心を、ムスリ殿」
”半端者”グリーグ教授はその日、カエル侯爵――ムスリ侯爵と酒の席を交わしながら、薄ら寒い笑みを浮かべていた。
彼らの目論見はもちろん、帝都中央治癒院の新しい長となったハタノへの嫌がらせだ。
ガルア王国に派遣するのは、グリーグの息がかかった治癒師達だ。
もちろん治癒は行う。約束は守る。
ただし、彼等がガルア王国にて”不運にも”帝国を逆恨みする暴漢に襲われたら……?
グリーグには、ハタノにはない人脈がある。
現場で事故を装うなど、容易いこと……。
そして事故が起きれば、治癒師を派遣したハタノは責任を問われることになるだろう。
(雷帝様の命は守る。だが、ハタノと治癒師の間には亀裂を入れる)
治癒に限らず、組織には適切なコミュニケーションが必要だ。
その風通しを悪くさせることは、ハタノを失脚させる一手としてボディブローのように効いてくることだろう。
(そもそも奴の院長就任自体、雷帝様のお遊びに決まっている。問題が起きればすぐクビだ。……まったく、いくら帝国最強のお方だからといって、火遊びをされるにも程がある)
大体なんで、あんな男が院長になった?
噂によれば、あの男は雷帝様の命を救ったという。
……それは冗談だとは思うが、考えられるとすれば雷帝様が彼を気に入り、男妾として囲い――代わりに、ハタノは院長の地位を所望した。
(程度の低い男らしい、稚拙なやり方だ。……それに引っかかる雷帝様も、しょせんは女か。或いは、ハタノという男の取り入り方が上手かったのか? あまり政治的な立ち回りが上手い男には見えなかったが)
何にせよ、ハタノ新院長はすぐにその座を降りるだろう。
”日和見”ホルスは、臆病風に吹かれて手出しはしない。
”研究者”ネイは自分のことしか見えていない。
エリザベラは馬鹿なのでどうでもいい。
(ガイレス教授という大物が、ようやく退いたのだ。――私以外に、院長が務まるものか)
このチャンスをものに出来なくてどうする、と、グリーグ教授が苛立たしげに踵を鳴らしていた、その時……。
不意にノック音がした。
現れたのは、グリーグ教授子飼いの治癒師だ。
「グリーグ教授。その……ハタノ院長から、ご連絡が」
今さら何用か。
治癒師の都合がつかぬから手伝って欲しい、と奴が土下座してくるなら対応してやらんでもない、と、グリーグが薄い笑みを浮かべる前で。
男は青ざめた様子で、告げた。
「ご協力の程、感謝いたします。しかし治癒師の手配はこちらで完了しましたので、問題ありません、と」
「は???」
*
「探しましたよ、エリザベラ教授」
「……なによ。負け犬を笑いに来たってわけ? アンタいい度胸ね」
ハタノが彼女を見つけたのは、帝都中央治癒院の屋上。
朝の太陽がまぶしく輝く中、彼女は小さな身体を大の字にしたまま寝そべり、むすぅ、とふて腐れていた。
「はっ。いくらでも笑うといいわ。あの患者の症例を見逃したのは、あたしの責任だもの。あたしが弱い治癒師だった、それで十分でしょ?」
涙目になりながら飛び起き、緑のツインテールを流す様を見るに、先日の負けをまだ引きずっているらしい。
ハタノは薄く笑いながら、その件で、と自分も腰を下ろした。
朝食用の魔力ポーションを開け、彼女にも一本勧めながら、ゆるりと笑う。
「実は、先日の勝負ですが……もう一度やりませんか?」
「は?」
「私も考えを改めました。確かにDVの件では、私が一枚上手でした。ですが、治癒師の仕事は一人の患者だけで優劣が決まるものではありません」
「そうなの?」
「エリザベラ教授にこの比喩が伝わるか分かりませんが、整形外科医と脳外科医では、治癒の部門が異なります。治癒師の中にも”解毒”が得意な者もいれば、”持続回復”が得意な方もおります。そして前回は、たまたま私の得意分野であった。……それは果たして、公平な勝負であったか? と」
「っ……そうね! ええ確かに、患者一人で決まるもんじゃあないわ! 分かってるじゃないハタノ!」
立ち上がり、涙をぬぐって指を突きつけてくるエリザベラ。
この子はわかりやすいなぁ。
そして、ハタノは馬鹿であろうと素直な子は嫌いじゃない。
「はは~ん? つまり、今度こそあたしの実力を知りたいってことね? 勝負ね?」
「はい。私は少々特殊な治癒を学んでいますが、決して”特級治癒師”を軽んじている訳ではありません。そして改めて、エリザベラ教授の力を見学させて頂くことは、私自身の勉強になるとも考えました」
「んふ。んふふ。大変いい考えね、ハタノ! まーあんたも見た目よりはやるみたいだし、あたしも勉強不足なトコはあったけど、それでもあたしは超天才最強の特級治癒師。ええ、その力見せてあげるわ!」
腕を天に突き上げ、あっという間に元気になるエリザベラ。
緑の髪を馬の尻尾みたいに振りながら、それで? と目をつり上げてにまぁっと笑う。
「ね、ね。そこまで言うなら、患者。いるんでしょ? 足でも腕でも、千切れるくらいなら何とかなるわよ? で、相手は?」
「特級治癒師たるエリザベラ教授には、普通の患者数名では足りないでしょう。……ということで、舞台を変えまして、ガルア王国での治癒というのはどうでしょう」
「はあぁ~~????」
途端に潰れたカエルみたいな、ものすごく嫌な顔をされた。
「なんで敵国を助けなきゃいけないのよ。馬鹿じゃない? そんなの帝国の治癒師としてあり得ないわ!」
「ですが今は、かの国も帝国の属国にございます。それにこれは、雷帝様より直接頂いた命でして」
「話はわかるけど、なーんかむかつくわね。それじゃあ、あんたの仕事に都合良く乗せられてるみたいじゃない。命令なら行くけどぉ」
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向くエリザベラ。
この子は本当に、感情屋であり気分屋らしい。ハタノとは正反対だ。
……が、その手の子にはよく効く毒がある。
ハタノはわざとらしい溜息をつきながら、彼女に毒を盛った。
「まあ、そうですよね。いかに特級治癒師といえど、怖いですよね」
「は???」
「相手は元敵国。及び腰になるのは分かります。それに怪我人も多数いると聞きますし、特級治癒師であっても全てを診るのは荷が重いですよね」
「…………」
「エリザベラ教授のお気持ち、よく分かります。では仕方ありませんが、ここは”一級”治癒師の私が直接出向いて、患者を診たいと思います。ええ、怖いのは仕方ないですからね。”特級”治癒師の方に出向かれると危険ですから、ここは”一級”治癒師の私がエリザベラ教授に変わり治癒を」
「だ、誰も怖いなんて言ってないじゃないのおぉ――――っ!」
ダンダンダン! と床を踏みつけ激怒するエリザベラ。
この子チョロいなあと思いつつ、ハタノはいえいえと遠慮する。
「特級のあたしが出なくて、一級のアンタに出られたらアタシの立場がないわよ! あんた本当はあたしのこと馬鹿にしてるでしょ!?」
「いえまさか。私はごく普通のことを言っただけで、決して『また負けるのが怖いんだな』とか、『実は怖がりなんだ』とか全く思ってませ……」
「あ――――も――――行くわよ、行ってあげるわよ!!」
地団駄を踏みながら顔を真っ赤にするエリザベラ。
癇癪を起こした子供のようで、見てると何だか面白い……とは、言わないのが吉だろう。
「てかどーせアレでしょ、グリーグの奴はネチネチ嫌味言って聞かないで、ホルスは様子見で、ネイは自分勝手てあんた実は困ってんでしょ、それであたしを挑発して丸め込もうとしてんでしょ!」
「実を言うと、その通りです」
「だったら最初から頭下げて頼みなさいよ!」
「それでも良かったのですが、……ガルア王国へ、私と一緒に頂ければ――私の、別の治癒法をまたお見せする機会もあるかと。興味、ありませんか?」
ぴく、とエリザベラの眉がひくついた。
その瞳に隠しきれない煌めきが浮かび、……ああ。この目だ、とハタノは思う。
抗議と苛立ちを含みながら、けれど、決して捨てきれない治癒行為への好奇心を含んだ顔。
やはりこの子は、いい。
己の治癒魔法に絶対の自信をもつ一方、ハタノのような異質な治癒であっても、実際に治るところを見たらどうしても気になって仕方が無い――治癒師の好奇心、という性を備えている。
(この子はまだ、帝都中央治癒院のやり方に染まっていない。誰も教えてこなかったことが、逆に功を奏した)
ハタノは彼女に可能性を感じながら、では、とガルア王国への治癒隊に加わって貰えるよう依頼する。
エリザベラの”広域治癒”ほど、治癒師が不足した現場に適した人間はいない。
彼女の圧倒的な魔力を軸に、軽傷者を一気に癒しつつ――重傷者や魔力精査が必要な患者を、ハタノやシィラをはじめとした少数精鋭で診ることができれば、派遣する人数は圧倒的に少なくて済む。
(邪道なやり方なのは、認めます。ですが今は、結果が欲しい)
まずは、結果。
――結果を出すのに不要な悪巧みは、政治屋に任せておけばいい。
「で? ハタノ。行ってあげるのはいいけど、ガルアにはどうやって行くの? まさか今からチマチマ魔法馬車で行くんじゃないでしょうね?」
「ご安心ください。特級治癒師であるエリザベラ教授にふさわしい、最高の移動手段をご用意いたしました。エリザベラ様こそ、準備は宜しいでしょうか」
は? と眉を寄せる彼女を前に、ハタノがお願いしますと顔をあげる。
直後。ふわりと、エリザベラの背後に人影が降りた。
ぎょっと振り向く彼女の背に現れたのは、銀の翼をはためかせる、チヒロ。
「うひいっ!? ……は? え? 何その人。羽根人間!?」
「初めまして、エリザベラ様。勇者チヒロと申します。この度は、私の夫がお世話になります」
頭を下げるチヒロに、目を見開いたまま口をぱくぱくさせる、エリザベラ。
「え? ……え、待って。噂は聞いたことあるけど、え? 翼の勇者って、いまの帝国最大の切り札じゃないの? こんな個人利用していいの――って、え? え?」
慌てるエリザベラの両肩を、ぐっと掴むチヒロ。
その背にハタノも手を回し、準備完了。
「エリザベラ様。あまり喋ると、舌を噛みますのでご注意ください。乗り物酔いは大丈夫ですか? もし吐かれますと、空中で汚物を散布することになりますのでご注意ください。前例があります」
「いや待って、あたしまだ心の準備とかそーゆーのがいやあぁぁぁ――――っ!」
チヒロは構わず、大空へと翼を広げる。
帝都中央治癒院の屋上に、エリザベラの悲鳴が響き渡った。
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