6-7.「おおお、見ろ! すごい、空だぞ!」

 チヒロが息を吹き返した直後、ハタノの右手に熱が走った。

 彼女の血管を繋いだ銀竜の翼に、光が走り――

 銀色の翼の光沢が薄れ、くすみ、瑞々しさを失いしおれていく。


 まるで翼の生命力が、急速に奪われていくように。


「な、っ」


 ハタノは慌てて手を離す。

 目の前にあったはずの翼が、まるで植物が急速に枯れるようにエネルギーを失っていく。


 これは……魔力を循環というより、吸収に近い現象ではないか……?


 チヒロが数度咳き込む。

 口から大量の血を吐き出した彼女に、ハタノは窒息の危険性を考え、露出した血管を傷つけないよう注意しつつゆっくり彼女を横向きにした。

 その間にも銀竜の翼は力を失い、ついには老木のように成りはてる。


(これが、勇者の力)


 ハタノが改めて”勇者”という才の凄まじさを痛感する中。

 チヒロがゆっくりと、――その瞼を開いた。


 ……ああ。いつもの、彼女が。


「旦那、様」

「……チヒロさん」


 声は、なるだけ平坦にしたつもりだった。治癒に、感動は必要無い。

 それでも胸の奥で疼く安堵と、どうしようもない程に泣きたくなる感動を覚え、ハタノは慌ててそれを飲み込む。


 まだ治癒の最中だ。彼女は生還した訳ではない。

 そもそも竜の血を人に流し込んで、五体満足でいるはずがない。

 副作用。体質変化。汚染。いまは一時的に目が覚めただけであり、五分後には竜の毒素により悶え苦しみながら死ぬ可能性だって十分ある。

 ハタノは再び妻が死ぬかもしれないと覚悟を重ねつつ、容体を尋ねようとして――けれど。


 チヒロから返ってきたのは、生きてたことへの喜びでもハタノへの感謝でもない、想定外の言葉だった。


「旦那様。――い、いまの……ご飯の、おかわり、を」

「………………は?」


 今、なんと?

 ぱちりと瞬きするハタノに、チヒロは咳き込みながら、はっきりと。


「いまの、高密度の魔力を……もっと、頂けませんか?」

「そ、それは、出来ます、が」


 竜の翼は二つある。いまは片方を繋いだだけなので、不可能ではないが、しかし。


「チヒロさん。いまあなたに流れてる魔力は、竜の血に宿る魔力を使ったものです。はっきり言って危険な状態であることに、代わりはありません。命が戻ったのなら、一旦ここで供給は打ち切るべきです!」


 竜の魔力を追加するのではなく、チヒロ自身の生命力をもってゆっくりと回復して欲しい。

 それが本来、人のあるべき姿であり、ハタノの手技は邪道もいいところだ。

 が、チヒロはぐっと左手を伸ばし、旦那様、と縋る。


「お願いします。今すぐ、竜の翼をもうひとつ」

「しかし!」

「……私は勇者であり、勇者の本能として、これはいけると感じています」

「いけるって、何をですか」

「旦那様は立派な治癒師ではありますが、私もまた勇者として、最善を尽くしたいのです」


 ハタノには、妻が何を言っているのか理解できない。

 治癒師としては止めるべきだ。せっかく息を吹き返したのに、過剰投与みたいな馬鹿なことが出来るか、と。


 でも同時に、ハタノはよく知っている。

 勇者チヒロは合理的な算段を立てられる妻であり、”勇者”として間違った判断を下したこともない、と。


「っ――わかりました。では、そのまま動かないでください」


 ハタノは一旦、絞りかすとなった竜の片翼を切断。

 元の血管を遮断しつつ、フィレイヌが用意したもうひとつの翼を繋ぐ。


「旦那様。生き返った手前、いきなり急がせてすみません。……お礼は、あとで必ず」

「夫婦に礼などいりません。妻のお願いを聞くのは、旦那として当然です」

「……旦那様」

「それに、私の妻がワガママを言うのは初めてですから。それ位、応えなければ旦那失格でしょう?」


 チヒロを不安にさせないよう、ハタノはあえて笑いながら作業に入る。

 手順は同じだ。左翼と右翼という違いがあるだけで、先程作った血管をそのまま使い回せばいい。

 血管を縫合すると、チヒロは先程より慣れたのか、積極的に血管を通じて竜の魔力を取り込み始めた。


 同時に、そらんじるように雑談を零す。


「旦那様。私は以前、竜の翼は高純度の魔力が含まれているとお伝えしましたが……どうやら、少し違ったようです。竜の魔力を取り込んだおかげで理解しましたが、竜の翼は、旦那様の使う”創造”魔法の一種で作られたものでも、あるようです」

「……どういう意味ですか?」

「つまり竜の翼は、肉体から解剖的に生えてはいますが、同時に、竜の扱う竜魔法そのもので作られている。であるなら……」


 彼女は一体、なにを話しているのだろう。

 死の淵から蘇ったせいで、意識が昂揚しているのだろうか?

 その間にチヒロはもう片翼の魔力を吸い尽くし、銀の翼がぺたりと地面にしおれていく。


 ハタノはそれを見届け、彼女と翼を繋ぐ血管を遮断した。あとは傷の復元だ。

 切開した鎖骨、筋肉、そして皮膚をゆっくりと傷口内側からなぞるように癒していく。というか、勇者である彼女自身の自己治癒能力が、自然と傷を癒していく。おかげでハタノの魔力消費は殆どない。

 あとは汚染対策に備え、浄化魔法を丁寧に。


 そうして彼女の傷は塞がれ、奇跡的に蘇り。


 チヒロは身体を抑え、ふふっと笑い――いきなり起き上がろうとした。


「感謝します、旦那様。あなたは天才です。私は奇跡という言葉を好みませんが、これは奇跡としか」

「いいから寝てなさい!」


 勝手に起き上がるんじゃない、この重症患者!

 うちの妻は馬鹿か? 馬鹿なのか?


「いいですか、チヒロさん。私の処置は、外法も外法。竜の血を人に注ぎ込むなど、狂気の沙汰です。どんな副作用があるか分からず、そもそもチヒロさんの魔力が今どうなっているのか……」

「ええ。私は今、本来体内にあってはならない竜の力を感じています」

「でしたら!」

「だからこそ、です。旦那様。すみませんが、少し離れて頂けませんか」

「だから、さっきから一体何を――ああもう、チヒロさん!?」


 それでも頑固に立ち上がるチヒロ。

 ハタノの静止を振り払い、彼女が祈りを捧げるように両手を組んだ。


 奇跡を信仰しない彼女にしては、珍しい作法。

 直後――


(……?)


 気のせいか、銀色の風がゆらいだような錯覚を覚えたハタノの傍を、魔力の風が吹き抜けて。




「輝け――竜の、翼」


 チヒロの血濡れた和服を突き破るように――

 その背中に、銀の翼が”創造”され、飛び出した。




「………………は?」


 ハタノは二度、瞬きをする。

 チヒロの背に現われたのは、人間サイズになった小さな翼……いや、先のチヒロの説明によれば、魔力によって創造した肉体。

 それが彼女の肩甲骨辺りから、突き出すように、翼となって飛び出していた。


 チヒロが背後によろめいたのは、背中に重心を取られたからだろう。

 が、すぐに姿勢を正し、ハタノに薄く笑う。


「今なら。私は竜のように、空を飛べます」

「チヒロさん!? あなた何考えてるんですか!?」


 何でいま注入したばかりの魔力を消費したのか。

 身体への負担も考えず、翼を広げたのか。

 魔力で自己治癒したといっても、ダメージは深刻なはずだ。無表情を装っていても、チヒロが苦しくないはずがない。

 その上、身体に馬鹿みたいな負担をかけることなんて――


「いいから止め――」

「チヒロ。それは本当か? 貴様、本当に空を飛べるのか!?」


 ハタノの背に声をかけられたのは、その時だ。


 会場がどよめくなか走ってきたのは、漆黒のドレスを血に染めた、けれど表情だけは明るい雷帝メリアス様。

 こちらも重傷のくせに、その瞳は狂気めいた色でぎらぎらと輝きチヒロに迫る。


「よくやった、ハタノ! チヒロ! 最大限に褒めてつかわす! さあチヒロよ、今すぐ余を背に乗せ、空高く舞うがいい!」

「何を仰ってるんですか!? チヒロさんも雷帝様も、瀕死から蘇っただけの病み上がりなんです、いいから安静に」

「この期に安静など馬鹿でもせんぞ!?」


 吼える雷帝だが、冗談ではない!

 重症患者が空を飛ぶなど、治癒師にとって悪夢以外の何者でもない。

 いい加減にしろ、治癒した身体を粗末に扱うな、いいからお前等さっさと寝てろ!


「そもそも空を飛んで何をするのです! チヒロさん、雷帝様、お願いですから落ち着いてください! 治癒師をこれ以上馬鹿にしないで」

「余らを馬鹿にしてるのは貴様だ、ハタノ! いいから空を飛べ、そして今すぐガルア王国とアザム連合軍、二万の侵略者共を一人残らずぶっ殺して民を救う、それの何処に問題がある?」

「っ、なっ」

「帝国最高戦力たる余への暗殺。同時刻、ガルア王国及びアザム宗教国の侵略。ご丁寧に秘蔵のゴーレムまで持ち込んだ大博打。貴様はまさか、その関連を疑わぬような大間抜けではあるまいな? この期を逃せば、我が帝国は食い破られる、下手すれば帝都にまで雪崩れ込まれるぞ!」


 さすれば、何人の民が犠牲になるか。

 帝国は大陸においても”才”持ちが多く、”才”自体の力が強い国だ。

 帝国内であれば四級の治癒師も、諸外国では一人前の治癒師として見られるほど。

 元より帝国の人材は、諸外国から見たら宝の山だ。


 その被害は、資源だけでない。

 人材は奴隷として売られ、女は新たな”才”を生む贄として差し出される。

 故に帝国は”才”を重用し、才ある者で結束を固め諸外国に敵対している、それが我が帝国の在り方だ。


 ハタノは気づく。

 彼は治癒師ではあるが、彼女達は政治家であり戦争屋。その視点で、物事を見ているのだと。


「いいか、ハタノ。ここで余らが強襲をかければ、敵は総崩れだ。しかも空から狙えると来た、まさに千載一遇のチャンスよ!」

「……ですが、雷帝様が行かれる必要は――」

「あぁん? 貴様、帝国最高戦力の余に文句をつけるのかぁ? そもそも、世界一美しい余の身体にクソッタレ共の弾丸を打ち込まれたまま寝てろだと? 冗談は死んでから言え。奴等の蛮行、万死に値してなお足らぬ! さあ飛べ、チヒロ! フィレイヌ、貴様は皇帝陛下を守れ! 他の暗殺者が紛れてるかも分からん!」

「了解したわぁ。でも大丈夫? メリィ。魔力、足りる?」

「ふん。――余を、誰だと思っている?」


 雷帝メリアスの怒号に、ハタノの理解が追いつく。


 ……チヒロが竜の魔力を求めたのは、生命を維持するためではない。

 竜の力を取り込んだ時点で、死の淵から蘇りつつあるチヒロは、理解したのだ。これなら飛べる、と。

 全ては”勇者”として、国を守る責務をこなすために。


 翼をつけたチヒロが、身体をぐっと縮める。その背中に雷帝様が飛び乗る。


「さあ行くぞ。ここからは帝国三柱、最強の火力たる雷帝様の力を見せてやる。そしてハタノ、貴様には後で存分に話がある。城で余らの凱旋を待つがいい! さあ飛べ、チヒロ!」

「了解しました。では」


 膝をかがめ、飛行体勢に入るチヒロ。

 翼を広げ、竜の魔力を宿した重力コントロールを発動し――


 ……が。

 彼女の身体がぐらっと傾き、背中に乗った雷帝様がつんのめった。


「おいチヒロぉぉ! そこは格好良く決める所であろう!?」

「も、申し訳ありません。翼が、うまく身体に固定できなくて、その」


 チヒロがばたばたと、不器用に銀色の翼をはためかせる。どうやらまだ不慣れらしい。

 ハタノが背部を覗き込むと、翼が突き出た根元あたりにうっすらと血が滲んでいた。


 肌と翼、筋肉がうまく繋がってない。

 というか人間の身体には本来翼など無く、チヒロが無理に生やしているせいで、摩擦が酷い。

 ああもう全く、世話の焼ける――!


「チヒロさん。魔法で肉体を作っても、それでは痛いはずです。せめて翼の根元に、治癒魔法と持続回復をかけて様子を……」

「ハタノ、貴様も一緒に乗れ」

「は?」

「妻の背中が傷つくなら、旦那が治癒しつつ飛べばいい。踏ん張れよ、ハタノ? 貴様がミスると全員墜落するぞ?」

「え、ちょ、待っ……うわあああっ!」


 らしくもなく悲鳴をあげつつ、ハタノは無理やりチヒロの背中に乗せられ。

 同時にチヒロが翼を広げ、膝を蹴った。


 がくん、と、急激な圧力がハタノへ重石のようにのしかかる。

 二人が乗るには彼女の背中はぎゅうぎゅう詰めすぎるが、それでもハタノは必死に彼女の背中へしがみつく。


 人の身では決して体験することのない急上昇に、身体が本能的な恐怖に震える中。

 チヒロがホールの硝子窓を突き破り飛翔した。

 ぶわっときつい風が吹き抜け、ハタノは思わず袖で顔を隠しながら、空を、見上げる。




 ――太陽。

 ……人が、空を飛んでいる。


「おおお、見ろ! すごい、空だぞ!」


 優雅な雷帝様とは対称的に、ハタノは驚きからすぐ我に返り、チヒロの背中に治癒魔法を使い始めた。


 ハタノは治癒師だ。

 治癒現場が空中であろうと、彼にできるのは人を癒すのみであり――正直なところ半泣きになりながら、残り僅かな魔力を絞り出し、チヒロの背に治癒魔法をかけ続けた。

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