2-5.「――あるはずなのに、ない。それが――」
その日の夜、ハタノはじっと手元の資料に視線を下ろしていた。
目を通しているのは、ガイレス教授から貰った”極才”の治癒に関する資料だ。
帝都中央治癒院、元院長ガイレス。
治癒界隈のトップにいた教授には極才の治癒経験もあり、今回の資料は、その経験を後世のためにまとめたものらしい。
(全く、あの人は本当に……)
そして資料によれば、ガイレス教授の見立ては自分に極めて近いものがあった。
極才。
或いは極才級の人間には、通常の人間とは異なる臓器が存在する。
ガイレス教授はその存在を魔力で察知し、実際に魔力精査や治癒を行う際、その臓器に対し”魔力付与”や”治癒”を行うことで、極才の治癒に当たっていたという。
ただし、その臓器の正体が何かは、ガイレス教授にも分からないという。
(教授にも分からなければ、私で分かるはずもない。……と、言いたい所ですが)
医学的な分析は、不可能でも。
軍事的な研究であれば……?
*
「それで余に直接、問いにきた、か。子育てに疲れて泣きついてきたわけではないようだな、ハタノ」
「それはまあ……苦戦してはいますが、うちの妻は優秀なので」
執務室にて書類整理をする雷帝様に、ハタノは頭を垂れながら返した。
――何度、顔を合わせても、この方と対面する時は緊張が走る。
彼女は合理的な人間ではあるが、合理的ゆえに、彼女の取り得る最良の選択肢が暴力であることをハタノはよく理解している。
その雷帝様は視線を合わせず、けれど確かな威圧感をもって、ハタノに問う。
「それで? もう一度聞くぞ、ハタノ。極才について研究した軍事資料を見たい、と? ……余の聞き間違いでなければ、ずいぶんと命知らずな発言をしているようだが?」
「はい。ですが、雷帝様を初めとした帝国が、極才について全く研究していないとは思えません」
それが非合法のものであっても、帝国が帝国である以上、何かしらの知見はあるはずだ。
「理由は? その問い、貴様でなければ既に命を落としているが?」
「サクラさんの、治癒のためです」
「あの娘の体調に問題が?」
「雷帝様としても、極才級の子の身となれば気になりますでしょうし、私達としてもお預かりした子に何もしない訳にも参りませんから。……それに」
と、ハタノは僅かに声を落とし、決して他のものに聞こえないよう、呟いた。
「彼女の体調に、問題があるのは事実です」
「ふむ。……どういうことだ?」
「父親として、また治癒師として、サクラさんの才について、きちんとお尋ねしたところ――彼女は才の発動時、たまに胸痛を覚えると聞きました。ご存じかと思いますが、通常、才を使うさいに身体の痛みなどは起きません。……彼女の出身が異世界、というのも理由かもしれませんが、何らかの異変が起きている可能性は捨てきれません」
雷帝様の眉が、鋭く尖る。
おそらくこれは、雷帝様も知らない事実だろう。
ハタノも気づくのに時間がかかった……というより、サクラから直接聞かされた話だ。
彼女は才の発動時、たまに胸の痛みを覚えるらしい。
そして魔力を使いすぎると、痛みが酷くなるという――通常では聞かない症状を持っている。
「……ハタノ。理由に心当たりは?」
「まだ何も。ただ、極才級の才持ち固有の病変である可能性も捨てきれず、雷帝様にお尋ねしに来た次第です」
「その話、嘘偽りはないだろうな?」
「治癒師として、私は人の病について、理由がない限り嘘偽りは申しません。それに、雷帝様としても彼女に異変が起きては困るはずです」
雷帝様が危惧しているのはやはり、サクラの力の暴走だろう。
雷帝様が彼女を殺害できなかった……というのが真実かどうかは不明だが、サクラの身に万が一が起きるのは、彼女も避けたいはず。
そして推測だが、ハタノの言葉を、雷帝様は疑うよりも信じる方に舵を切るはず――というより、ハタノ以上にサクラに対応できる治癒師が、帝国にはいないはずだ。
「……しかし、ハタノ。極才の研究資料は、帝国秘蔵の機密情報。それに触れる危険性を理解しているか?」
「私はチヒロさんへの竜核移植など、より危ない橋を渡っています。今さらかと」
「そう言われると、そうか」
「……それに私としても、ここで引いたら、後悔すると思いますので」
サクラのため、というよりは、一介の治癒師としての発言だ。
彼女を救える可能性があるのに、最善を尽くさないことは、治癒師としても望ましくない。
ふむ、と、雷帝様はしばし……珍しく腕組みをし、瞼を閉じた。
即断即決が信条のお方にしては、長い、沈黙。
――その時点で、ハタノは良い返答が来るだろう、と推測する。
「……良いだろう。極才に関する資料を見せてやる。といっても、分かっている事実は少ないがな」
「そうなのですか?」
「”極才”は帝国のトップを牛耳る権力者だ。その者に向かって研究させてください、等と言い出せる人間は多くない。いわば帝国最大の秘密を暴きたいと口にしているようなものだからな。……それでも、いくつかの記録は残っている。そうだな、貴様も推定しているかもしれんが――」
と、雷帝様は予め用意していたかのように引き出しへと手を伸ばし、ハタノに小さな紙束を渡した。
「極才には――通常の人間とは異なる魔力貯蔵臓器が存在する。一部の者はそれを、極命核、と呼んでいる」
「極命核……」
「竜でいう竜核に近い存在だ。外から行った魔力精査の結果、その存在は確かにあるとされる」
「では、解剖学的にその場所が分かれば」
「しかし。不思議なことに、誰もその存在を見た者はいない」
……え?
見たことが、ない?
「極才の体内に、観測上それは確かに存在する。が、不敬と知りながらも亡き極才の遺体を暴いたところ、その身体にはなにひとつ変わった臓器は存在しなかった。……心臓、肝臓、腎臓、秘蔵、胃、肺、腸。当然ながら、脳や骨格といったところも合わせて何一つ、普通の人間に代わりはなかったという」
「つまり……?」
戸惑うハタノに、雷帝様はさも分かっていたかのように、ニヤリと笑った。
「見えない臓器。人体にあるはずなのに、ない。それが極命核という臓器なのだ」
……何だそれは。
人間の体内に実在するはずなのに、実在しない臓器?
ハタノは混乱し……だがすぐに、可能性がゼロではないと気づく。
なぜなら極才は――その姿形を、自在に変化させることが可能だ。
であれば、体内に新たな臓器を出現させることも可能なのではないか?
クク、と、雷帝様がちいさく笑い、ハタノに告げる。
最初から全てを理解していたかのように。
「ハタノ。貴様がもしこの謎を解き、サクラの治癒を終えたなら、余にその研究結果を渡せ。必ずだ。それはサクラの才とは関係なく、帝国にとって希少な財産となるからな。……代わりに、そうだな。成功報酬として、貴様の願いをなんでも一つ叶えてやる。雷帝の名にかけて誓おう。どうだ?」
サクラの治癒の件に加え、極才に関して理解できるなら安いものだ、と言うが……
一筋縄ではいかなそうだ、と、ハタノは奥歯を噛みしめる。
今回の治癒に、敵はいない。
アングラウスも先のテロを期に壊滅し、ガルア王国も属国となった。
他国はいま帝国に手を出せる状況にはなく、そもそも手を出せばチヒロと雷帝様に殲滅される。
一切の邪魔が入らず、ただ治癒に専念できる状況下。
その上で、ハタノは感じた。
今回の治療は自分が診てきた中で、最も手強いものになるかもしれないな、と。
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