2-6.「私の母は、それはそれは素晴らしい勇者でした」


 ――どうしてママの言う通りに出来ないの。

 それが、サクラの記憶にある母親お決まりの台詞だった。


 東京郊外にある、痩せ細ったアパート。

 腐ったにおいのする畳の上で母の愚痴を聞くのが、サクラの日課だった。


 母はいつも文句しか言わなかった。

 運が悪い。私がどうしてこんな目に遭うの。子供なんか産んだから。親が悪い。家族が悪い。政治が悪い。社会が悪い。私はこんなに頑張っているのに……。


 サクラの役割は、そんな母親を元気づけることだ。

 母様は悪くない。母様は運が悪かった。母様が大好きです。母様は頑張ってます。

 そう言っておかないと不機嫌になる。

 不機嫌になるとご飯も貰えなくなるし、酷いときには手を出される。


 サクラにとって親に気を遣うことは、自分が生きるために自然と身についた行動だった。



 状況がさらにおかしくなったのは、一年前。


 ――気づいたら、自分達は知らない世界にいて。

 周りには、白服を着た宗教団体みたいな人が沢山いて、口々になにかを言いながらサクラ親子を褒め称えた。


 自分達はなんの前触れもなく違う世界に呼ばれ、母はそれを勝手に救いの手だと盲信し、そして、サクラにはこの世界に訪れた瞬間から、滾るような熱を覚えた。

 それが”魔力”と”才”だと、後に知った。


*


「いい? サクラ。いい子だから、お母さんの言った通りのものを出すのよ?」


 それからの一年間。サクラはいつも通り、母の命令を聞き続けた。

 でないと、叱られるから。

 ……同時に、言うことを聞かないと多分、あのヘンな白服達に母様が殺されてしまうから。


 中には難しい単語もあったが、それっぽいものを意識すると謎空間から謎のモノが出てきて、みんなが喜んだ。

 サクラは薄々、それが良くないものだと感づいていたけれど――今を生きるためには従うしかなかったし、そもそも、サクラにはそれが何かを考える余裕もなかった。


 ……あと……誰にも言ってないけど。

 サクラの”才”は何でも取り出せるけど、強い力を使うと、ひどく心臓が痛むのだ。

 自分はいつまで生きられるんだろう、と、密かに思う。




 ――そうして一年が過ぎた頃――ついに、天罰が落ちた。

 白服の人達が”宝玉作戦”と呼び、興奮さめやらぬ様子で私の呼び出した何かを詰め、打ち上げようとしたその時。


 光柱。

 巨大な雷。

 そうとしか呼べない何かが空から降ってきて、気づいたら私だけが生き残っていた。


 白服の人達も。使用人も。……私の母も。

 先程まで人だったもの全てが黒焦げになって転がり、私はそれをぽかんと見つめ――


「ほう。余の一撃を受けて、平然としているとはな。貴様が例の才持ちか?」


 天井から降りてきた軍服姿の金髪美女が、じっと私を睨んだ。


 ――殺される。

 そう理解して、……けど、仕方ないな、と諦める。

 だって。

 私はきっと、沢山、悪いことをしたのだから……。


「ふむ。抵抗しないのか?」

「……え?」

「余は慈悲深い女でな。無抵抗の者を手にかけるのは、少々気が引けるが」


 絶対嘘だと思ったが、サクラはどう返事をしようか迷い――


 直後、熱風が吹きつけられる。

 いや。

 正しくは熱の塊。普通の人なら骨まで溶かす炎に、しかし、サクラは驚きはしたものの――まだ生きている。


 ……何で?

 サクラが振り返れば、妖艶な、炎のように赤く染まった髪色の女が困ったように笑い……

 その目の前に、灰色の渦のようなものが漂っていた。これって……?


「あらまあ。私のも防がれちゃったわ。自動防御かしら? どうする、メリィ。殺る?」

「待て、フィレイヌ。直感だが、この小娘と直接やりあうのは厄介そうだ」

「でも今のうちにやっとかないとヤバいんじゃない?」

「分かってはいる。……が、予感がする。背中がひりつくような。このままやるのは不味い予感がな」


 メリィの直感は当たるのよねぇ、と炎の女が諦めにも似た溜息をつく。


 分からない。

 この二人が何を言ってるのか、分からない。

 ただ確かにサクラ自身、いまの攻撃を受けた後から、心臓の痛みが強くなった気はする。


 そのまま爆発すると、とても危ういことが起きるような……。


「小娘。名は何という? ここで何をしていた? 余の名は、雷帝メリアス。美人で優しくて天才過ぎると世界の誰もが認める余と、会話をする権利をやろう。光栄に思うがよい」


 そう告げた自称美女はどかっと焦げ付いた椅子に腰掛け、サクラにあれこれ聞いてきた。


 私はすべて正直に答えた。

 別の世界から来たこと。

 この世界に来てから、ヘンな力を持ったこと。

 白服の人に言われ、母に言われ、謎のアイテムを出し続けていたこと……。


 雷帝様はしばらく頷いて、サクラを誘った。


「余と共に来い。里親に心当たりがある。断れば殺す。その歳で、まだ死にたくはないだろう?」


*


 そんな雷帝様を、サクラは信用しない。

 そもそもサクラにとって、大人は本質的に信用できない相手だ。

 それでも気を遣わないと、自分の食事に、命に関わるので、サクラはいつもこう答える。


 あなたの言う通りにします、と。


 ――けど……




 夜中に目を覚ました。

 おかしな夢を見たせいか、妙に心臓がどきどきしていて、寝間着に汗がべったりと張り付いていた。


 っ、と、気持ち悪さを覚えたサクラは、ベッドから起き上がり、迷う。

 喉が渇いた。

 汗をかいたせいか、……お水が欲しい。


 夜中に飲み過ぎるのは良くないけど……と、サクラは子供部屋の戸を開け、この時間なら誰も起きてないかなと思い――


「おや。どうかしましたか?」

「……お母様? すみません、お水が欲しくて……」


 リビングに腰掛けていたのは、寝間着姿の美女。

 さらりとした銀髪を流して微笑むのは、一月半前からサクラの母親役となった勇者チヒロだ。


 チヒロはそっと微笑み、サクラのために飲み水を用意してくれた。

 それを、ごめんなさい、と有難くいただきながら。


「お母様は、この時間まで何を……?」

「旦那様のお帰りを待っているんですよ。今日は治癒と会議で遅くなると仰ってましたので」

「でも、もうこんな時間ですし……」

「ええ。ただ、私が好きで旦那様を待っているだけです」


 そう語るチヒロの表情は、慎み深く優しい。

 前の母や白服達、サクラが今まで見てきた誰よりも穏やかで、不思議と、サクラの心を落ち着かせてくれる。


 サクラにとって大人は、常に緊張と不安を与える怖いものだった。

 横柄で、傲慢で。

 拳と言葉の暴力をふるい。

 不機嫌になったらすぐ叱ってきて……でも彼等がそうするのは、サクラが悪い子だから、といつも言われる。


 ……けど。

 この新しいお母様とお父様は、他の人と違って、物静かなのにしっかりしていて。


 あと――


「……お母様は本当に、お父様がお好きなのですね」

「ええ。お仕事で疲れて帰ってきた旦那様に、ただいまと伝えたときの、旦那様のほっとした嬉しそうな顔を見るのが好きなのです、私」


 普通の会話で、デレっデレに惚気てくる。

 ……。


 本人が気づいてるか分からないけれど……

 まだお父様が帰ってきてないにも関わらず、母チヒロはやんわり嬉しそうに頬に手を当て、旦那様はやく帰ってこないかなあという空気をふわふわと醸し出しているのだから本当に好きなのだと思う。


 ……そんな姿は多分、普通の人なら呆れるのだろうけど。

 ……サクラとしては、怒られるより全然マシだし、あと、妙に安心してしまう所もあったりする。


 ああ。

 この人は本当に、お父様のことが好きなのだな、と。

 それ以外のことを考える余地もないというか、余計なことを勘ぐったり疑ったりしなくて、いいから。


 ……と、ぼんやり考えていると、母チヒロがサクラに微笑んだ。


「よければ少し、お話でもしますか? 眠れないのでしょう?」

「え。でも」

「夜更かしはいけません。……と言いたい所ですが、時には眠れない夜もあるでしょう」


 見透かされていた。

 サクラはドキリとするが、すぐに、彼女が自分を叩くような人でない、と息をつく。


 代わりに、サクラはすぐ気を利かせて、


「えと。じゃあ私の話を……」

「おや。サクラさんの話、ですか?」

「……面白くないかも、しれませんけど。母様にお話させるのは、申し訳ないかなと思って」

「何が申し訳ないのでしょう?」

「お母様にだけ話させるのは、大変で……それに、あの……」


 母親に一方的な負担を与えるような子は、子供として失格だ。

 チヒロ母様もハタノ父様も、あくまでサクラを客人と捉えているから優しくしているだけで、普通なら――


 と、たどたどしく述べたサクラに、チヒロは優しく手を重ねる。


「サクラさん。子供が、親の役に立たなければならない、なんてことはありませんよ」

「え」

「それに、話すのが苦手だから黙っていても、うたた寝しても良いと思いますよ。……ここは自宅なのですから、気を遣うことはありません」

「でも……」

「まあ、気持ちは分かりますけどね。私も”勇者”として母様から学ぶ際、つねに警戒を緩めないようにと教わりました。身内だから、と信用するな。味方が毒を盛らないと誰が決めた、とよく言われました。実際、母に盛られた毒を見抜けず、私も三日三晩ほど転げ回ったことがありますし」


 いや。

 さすがのサクラの、実の母親に毒を盛られた経験はないけど……。


「ですが、一般的な家庭ではそういうことは起きないそうです。……むしろ子供にとって最も寛げる場所、それが親元であり普通の家族だと、旦那様にお聞きしました」

「そうなのですか?」

「ええ。旦那様も、感覚的には分からないようですけどね。理性で理解してるだけ、と。――ただ、理性でそう理解しているからこそ、心がけたいですねとも仰っていました」


 お父様が……。


 チヒロがサクラに目を合わせ、ゆるりと笑う。

 その微笑みはどこかお父様に似ていて、けれど慈愛に満ちた優しいもので、サクラの内にある分厚い壁のようなものをゆっくりと剥がしていく


 母チヒロが自分のぶんのコップも用意し、ゆっくりと口にしながら……。


「では、今日は少し、私の話をしましょうか。私の、子供の頃の話を」

「…………」


 サクラはいつの間にか、少し、身を乗り出すように前のめりになり。

 母チヒロは続けてサクラのコップにおかわりの水を入れながら、静かに、昔話を語り始めた。


「私の母は、それはそれは素晴らしい勇者でした」と。


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