2-7.「サクラさんも、もう少し大人になったら分かると思いますので」


 私の母は、それはそれは素晴らしい勇者でした――

 そう語るチヒロは、サクラから見て、喜んでいるのか悲しんでいるのか、よく分からなかった。


「私の母は誰よりも帝国に忠誠を誓い、誰よりも職務に忠実な方でした。汚名を被ろうと、いかなる非道に手を染めようと、帝国のためと知れば顔色一つ変えない……いえ、むしろ喜んで身を捧げた方。まさに、勇者の中の勇者でした。……そして私は、そんな母の目指した勇者になることが、出来ませんでした」


 ふっ、と小さく息をついたチヒロの心を、サクラは何となく察する。


 己に対する、失望。

 母の期待に堪えられなかった、自責の念……サクラも時おり感じた、罪悪感。

 母に言われれば言われるほど、その期待は圧となりプレッシャーとなり、自分を苛む枷となる。


「私は密かに悩んでいました。母のようになりたい。母のような勇者にならなければ。……なのに、つまらない感情が邪魔をして、どうしても本物の勇者になれない。私の実力は年齢の割には確かだと、お偉い様方も仰いましたが、それでも、最後の一太刀に、どこかに甘さがあると、自覚していたのです」


 母チヒロは帝国内で”血染めのチヒロ”と呼ばれている。

 その身が返り血に染まることも厭わぬ、冷徹な仕事人。

 時には味方すら利用する姿から、帝国内でも恐れられていたという。


「血染めのチヒロ。悪鬼の如き勇者。おそらく母なら、そう呼ばれることを喜んだ事でしょう。他人を怖がらせることも仕事だと。……けど私は、そこまで冷徹になりきれず、悩んでいたのだと思います。――旦那様と出会うまでは」


 と、チヒロさんがそこでまた、ふわりと頬をゆるめる。

 眉間に寄っていた皺がほどけ、そこに居ない、愛おしい誰かを見つめながら。


 サクラは自然と、その表情に見入ってしまう。


「旦那様は、仕事に邁進する私を、ごく自然に受け止めてくださいました。血塗れで帰宅した私に対し、驚き、恐れるよりも先に、怪我の心配をしてくださいました。……そして、私の仕事の労を労ってくれました」

「…………」

「他にも、数え切れない程あります。旦那様は私の非常識な態度に、不器用すぎる私に、いつも自然と微笑んでくれて。受け止め、励まし、ときに優しく撫でてくださる。私は当初、それも夫婦の業務の一環かと思いましたが、気づけば――まあ、その先は言うまでもないでしょう」


 もちろん。

 というより話を聞かずとも、母が父を溺愛していることは胸焼けするほどに伝わってくる。

 人は、こんなにも人を愛しく思えるんだなあ……という、憧れも込めて。


 と、チヒロはこちらを見つめ、小さく頷いた。


「ですから私は、叶うならサクラさんにも将来、信頼できる相手を見つけて欲しいな、と、思います」

「……私に、ですか?」

「それが難しいことだと、私も理解しているつもりです。……私もうまく言えないのですが、どうも旦那様が言うに、愛情というものは親からきちんと与えられていないと、そもそも認識し辛い弊害があるとも聞きます」

「どういう意味でしょうか」

「私も、よく分からないのですが……親を信用できないと、常に大人を、他人を疑ってしまう性格に育つ、らしいのです。――この人は、私に何かをするのではないか? 優しい顔をして、けれど本当は私を騙すつもりではないか……と常に疑ってしまう。心に染みついた警戒心は、容易に解けるものではありません、と」


 サクラは、じわり、と、胸の奥に沈んだ痛みを自覚する。


 人を信用できない。

 甘えることができない。

 もし頼れば、相手に「そんなことも出来ないの」とか「ワガママ言ってお母さんを困らせるつもりなの」と叱られるのではないか。

 そんな影がちらついて、無意識のうちに言葉を封じてしまう。


 何も言わないことが最善であると、つい無意識のうちに判断してしまう――


 サクラの意図を読み取ってか、チヒロが強ばりを解くように手を伸ばす。

 まだ幼い手の甲をさする仮初めの母の指は、本物の母より愛おしく、優しい。


「それでも、ひとつひとつ。実際の行動を目の当たりにすることで、この人は信頼できる人なのだ……と、分かれば。そして相手がきちんと、自分と向き合って話してくれるのだと感じられたなら。少しずつでも構いません。サクラさんも、人に甘えることを覚えてみてください」

「……お母様……」

「まあ、私はちょっとやり過ぎかもしれませんけども」


 自覚あるんですね。

 ええ、ちょっと愛情あふれすぎてるかなって思う時は、サクラの目から見てもよくある。

 っていうか、ありすぎる。


 まあ、お父様も大概だけれど……。


 ――それでも。


「お母様も、いろいろな経験をして、今のようになられたのですね」

「ええ。私はあまり、いい女ではありませんから」

「そんなこと――」

「でも、旦那様にとって世界一の女であるなら、私はそれを誇らしく思います」


 やっぱり惚気だった。

 普通の人が聞いたら糖分過剰で卒倒してもおかしくないと思う。


 ……けど同時に、羨ましくも、ある。

 それ程までに一途に、誰かを想えるということを。



 チヒロが話を終え、サクラに飲み物のおかわりをくれた。

 そして、沈黙。

 サクラは母の話が終わったのだと気づいて、何か話をするべきかなと迷う。


 けど、お母様は――というか、お父様もだけれど、サクラに話すことを強要しない。

 前の母みたいに黙っているだけで不機嫌になったり、醜い子だと、叱られることもない。

 気を張り詰める必要が、ない。


 それもまた愛情なのかな……と、不思議な心地よさを噛みしめながら待っていると。


 ふと、チヒロが顔を上げた。

 するりと席を立ち、嬉しそうに玄関に向かうので、何だろう? と思ったら――遅れて、小さな足音。


 ノックが響き、ようやくお父様が帰宅した。


「お帰りなさいませ、旦那様」

「すみません、遅くなりまして。……先に寝てても良かったのに」

「いえ。旦那様と一緒が良かったので」


 ふふ、とはにかむ母に、サクラは、つい。


「……あの。お母様。お父様の帰宅が分かるのですか? 魔力か何かを察知してるのでしょうか」

「察知もできますが、察知しなくても何となくわかるんです」

「えぇ……?」

「夫婦ですから」


 理由になってませんよね、と思うサクラだったが、旦那も妻もそろって「まあ夫婦ですから」みたいな空気を醸し出しているので何も言えない。


 そして当の母と来たら、それはもう分かりやすいくらいに惚気ていた。

 子供みたいにべたべたくっつく訳ではないけれど、あふれ出る幸福感、というか。

 旦那がいるだけで嬉しいです、と、見てるだけで胸焼けしそうなくらいニコニコとし、旦那の側にさりげなく寄り添い、彼の服の着替えをいそいそと手伝っている。


 献身的……ではなく、好きでやってるのが見え見えで、お父様までちょっと照れてるのもあって、見ててこっちまで恥ずかしくなってくる。


 と、お父様が遅れて、サクラに微笑んだ。


「サクラさんも、ただいま」

「あ。はい……お帰りなさい……あっ」


 そこで自分が夜更かしをしてたことに気づき、サクラは慌てて頭を下げた。

 もしかして、夜更かしを怒られたり……?


「ごめんなさい。夜更かししてしまって」

「そうですか。まあたまには、そういう夜もありますからね」

「……いいんですか?」

「? 何がです?」

「夜更かしして」

「毎日はいけませんが、たまになら良いんじゃないでしょうか?」


 笑って、優しく瞳をゆるめるお父様。


 ……本当に。

 本当に、不思議な夫婦だなあと思いながら。


 もし自分も将来、こんな風になれたら――


「ああ、すみません、チヒロさん。私、先にお風呂を頂きますね」

「はい。あ、良ければ私も」

「チヒロさん。お子さんの前ですよ」

「すみません……」


 たしなめられるお母様に、私はつい笑ってしまい。


「いいですよ、別に」

「「え」」

「お父様とお母様は、仲良しですから。仲良くお風呂に入っても、良いんじゃないでしょうか?」


 笑顔でそう告げると、なぜか夫婦揃ってそっと顔を赤らめてしまった。


 ……何か、変なことを言っただろうか?

 もちろんサクラも、口づけが恥ずかしいものだとは分かるけど。

 家族でお風呂に入るのは、そんなに恥ずかしいことではないのでは……?


「まあ、その。サクラさんも、もう少し大人になったら分かると思いますので」

「?」

「では、失礼します」


 お父様はやっぱり照れたように髪を掻きながら、いそいそとお風呂に籠もってしまう。

 理由が分からず、けれど、お父様が照れているのが面白くて、くすっと笑顔が零れてしまった。




 今日の夢は、最悪だったけど。

 二度寝するときは、ちょっとはいい夢が見れるかもしれない、と、サクラは思った。


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