2-4.「チヒロさんは今日も可愛いですね。昨日も明日も可愛いですけど」

 ハタノは一介の治癒師に過ぎず、荒事に慣れている訳ではない。

 とはいえ、チヒロと共に幾度か危機を乗り越えた身として、理解していることがある。


 うちの妻は――不意を打たれない限り、負けることはない。




 帝都中央で起きた、泥棒騒ぎ。

 大通りを駆け抜けこちらに走ってくる大男を視界に捉えた時、既に、妻はハタノの側から消えていた。


「……え?」


 大男の前に現れる、銀髪和装の美人。

 男と比べれば背丈も小さく、頼りなさそうに見える――その正体を知らなければ。


 直後。

 男の身体が宙を舞い、そのまま地面にすっころんだ。


 チヒロが軽く、足払いをかけただけ。

 その速度があまりに速く、目視できなかったので、通行人には男が足を滑らせて転んだように見えたかもしれない。


「!?」


 男が口をぱくぱくさせ、続けて、チヒロに見下ろされているのに気づいたのだろう。

 くそ、と懐からナイフか何かを取り出そうとして――止まる。


 正しく言えば。

 自分で止めたわけではなく、チヒロに威圧され、動けなかった……と呼ぶのが正しいか。


「どこのどなたかは存じませんが、得物は抜かない方が賢明です。罪状が増えますから」


 冷たく告げるチヒロに、男は尻餅をついたまま青ざめる。

 彼の”才”は不明だが、幸いにも、帝都で家族デート中だった勇者の力を感じ取れる程ではあったらしい。


「大人しく捕まっておけば、それ以上の怪我を負うことはありません。宜しいですね?」

「……は、はい……」


 男は賢明だった。

 チヒロにびびったまま身動き一つしないという、実に殊勝な態度を取った。

 僅かでも抵抗していれば、彼女の刀が滑ることになっただろう。


 まもなく駆けつけた帝国兵により、男が捕まり連行されていく。


 やがて騒ぎは一段落し、兵士にお礼を言われたチヒロさんだったが……

 気づけば、周囲が僅かにざわめいていた。


「あの人」

「もしかして、血染めのチヒロでは……?」

「敵に容赦のないっていう、噂の」


 ――チヒロさんが”翼の勇者”と呼ばれていることは、一般人には秘匿されている。

 一方で、血染めのチヒロの名はそれなりに世間に知られており、たまたま、彼女を知ってる者が雑踏の中にいたのだろう。


 ざわめきが広がるなか、ハタノは構わず、彼女に手を差し伸べる。


「そろそろ帰りましょうか」

「……ええ」

「大丈夫です。いつも、私達はこんな感じではありませんか」


 ハタノも元は、爪弾き者。

 よくあることだと妻に笑いかけ、夫婦はサクラを連れて帰路へとついた。


*


「お母様はとてもお強いのですね、お父様」

「ええ。ここだけの秘密ですが、うちの妻は、じつは世界最強の勇者様なのですよ」

「……実際のところ、最強ではありませんけどね。帝国には勇者アンドロ等、私より武勲に優れた者もおりますし。帝国外でも勇者フィティス様など、生存という意味において、私より遙かにお強い方もおられますし」


 チヒロは謙遜するが、少なくとも一般的な強さでいえばチヒロは最上位級だ。

 だから、ハタノも安心して任せることが出来る。


「それを言いましたら、旦那様もお強いのですよ。決して助からないと思われた命を何度も救い、雷帝様の命すら助けたのですから」

「いえ。それは幾つもの幸運のお陰でもありますし」

「それでも、旦那様の実力がなければ難しかったでしょう」

「……あの……お父様とお母様って、もしかして、チートという存在では……?」


 チートとは何だろう。

 反則級という意味なら、雷帝様には及ばないと思うけれど。


 と、雑談していると、ふと、チヒロが溜息をついた。


「ただ代わりに、私はよく怖がられます」

「お母様が?」

「ええ。もっとも、勇者としてはそうあるべき、だと思いますけれども」


 ”勇者”。

 かつてはその名の通り勇敢なる者の象徴であり、戦の花として名を馳せたこともあった。


 が、それは昔の話。

 今の時代、単騎性能が高い勇者は戦場に投入するより、奇襲や暗殺に向いている、というのが一般見解だ。

 特にチヒロは適性が高く、日頃から目立つ和装をしているのは、潜入任務の際にべつの服へ着替えることで存在感を消す意味も兼ねてるらしい。


 とはいえ、チヒロも人の子。

 仕事の都合と分かっていても、嫌な目で見られることに無関心でいられる訳ではないと、ハタノはよく理解している。


 ハタノはもう何度となくかけた励ましの囁きを、告げようとして――


「お母様。でも私、お母様のこと、とても格好いいと思いました」

「……え」

「映画に出てくるヒーローみたいに、ぱっと泥棒を捕まえて……それに、誰にも怪我をさせませんでした」


 チヒロが、はたと驚いたように、口を開ける。


 チヒロの戦い方は一見して恐ろしくあるが、それは彼女が合理的な考え方の持ち主だからだ。

 相手に優しくして舐められるより、恐怖を与えた方が被害が少ない。

 そのためなら自分が悪者になることを厭わない。


 その様を理解してくれる人は、多くはないが――

 サクラがぎゅっと自らの手を握りしめ、一生懸命に妻を見上げて、


「怖い、っていう人がいるのも、分かりますけど……でも私は、お母様はとても優しいと思います」

「そ、そうですか?」

「はい。そういう人がいるから、平和なんだと思いますし。それにお父様もすごく、お母様を見る目は優しいですし」


 今日だって、私のために色々してくれましたし、とサクラ。

 ああ。

 この子は、本質を見てるんだな……と、ハタノが密かに感心しつつ、妻を見て――


 おや?


「あ。えと。それは、嬉しく思いますが……私は、そういう人ではなく……」


 珍しく。

 チヒロが本当に珍しくあたふたしながら、サクラに言い訳っぽく「違うんです」と、身振り手振りで説明していた。


 それが彼女の照れ隠しであることは、ハタノはもちろん、サクラにも分かるが……?


(ああ、そうか。チヒロさん、他人から褒められるのに慣れてないんでしょうね)


 ハタノは今まで幾度となく、チヒロを褒めてきた。

 その度に妻は顔を赤らめ、微笑み、互いの絆を深める役を担ってきたが――


 チヒロは多分、ハタノ以外に褒められた経験が薄い。

 せいせい雷帝様の「よくやった、褒めて遣わす」程度だが、あれはよく出来た犬にご褒美をやる言葉であって、サクラのように尊敬や感動の眼差しを向けられることはない。


 だから、珍しく照れているのだ。

 ……もう。

 なんと、うちの妻は可愛いことか。


「ち、違うのです旦那様。……えと。サクラさん? これは勇者の仕事ですから、ごく普通のことです」

「それでも、お母様は格好良かったと思いますし、素敵だと思います」

「いえ、しかし……」

「素敵です。私、拍手したいと思います」


 サクラがぱちぱちと、小さな拍手。

 妻が慌て、もうっ、と銀髪を揺らしながら旦那に助けを求めてくるので、ハタノはニヤニヤしながら黙っておいた。


 ていうか、分かっててやってるな……?

 サクラの横顔を盗み見れば、彼女は拍手しつつもほんの小さく、イタズラっ子のように唇をにまっとさせている。


 よくない子供だと思いつつ、でも、相手を弄れる――冗談を言っても許される関係だと感じて貰えたなら、それはそれで、サクラの妻に対する信頼の証でもあると思う。

 まあそれを差し引いても、チヒロさんは可愛いから弄りたくなるのも分かるけど……。


 つい満面の笑みを浮かべていると、チヒロがぺちっとハタノを叩いて、


「旦那様。や、やめてください。私はそのような人ではありません」

「チヒロさんは今日も可愛いですね。昨日も明日も可愛いですけど」

「旦那様!?」

「すみません、つい本音が」


 ハタノはサクラと共に苦笑し、チヒロはようやく二人が自分をからかっていると気がついて。

 もう、と、ついに拗ねてしまったので、二人で後できちんと謝ることにしたのだった。

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