2-3.「それに私も、ワガママの一つくらい、言いますから」

 その翌日、ハタノは(ガイレスに怒られながら)休暇を貰い、チヒロとサクラを連れて帝都を見て回ることにした。


 ”宝玉”事件により手痛い傷を負った帝都ではあるが、幸いにして大通りの被害は然程でもない。町中にはいつも通り声を荒げる出店や、食事処、アクセサリ屋などが並んでいる。


 サクラはお祭りでも見たかのように、驚いて目を輝かせていた。


「お父様。今日は、お祭りなのですか?」

「いえ。帝都の人通りはいつも、このようなものですよ。もっとも今は、復興のための物資搬入等でいつも以上に賑わっていますけれどね。……どこか行きたい所はありますか?」


 食事処。被服屋。アクセサリ屋。

 帝都に揃わないものはこの世にない、と豪語されるラインナップに、けれど、サクラは遠慮がちにこちらを見上げ。


「あ。……えと、お父様とお母様の、お好きなところで構いません。私に気を遣わなくて、結構ですので」

「いえ。折角ですし、サクラさんの好きな所に致しましょう」

「でも……」


 よく分かりません、と、呟く彼女。

 遠慮してるというより、経験そのものが乏しいのかもしれない。

 もしくは、自分の意見を言うことが許されない、と思い込んでいるのか。


 その気持ち自体は、ハタノもチヒロもよく分かる――

 からこそ、彼女に適した台詞を、ハタノは口にする。


「どこに行っても構いません。もしそれで失敗したり、面白くなくても、良いんじゃないでしょうか?」

「え……」

「最初からいいところ、素敵なところを探そうとしなくても良いんです。……実は私とチヒロさんも昔、同じように夫婦でデートをしたことがありまして。……その時、あまり盛り上がらなかったのですよね」


 昔、まだハタノとチヒロが夫婦のあり方を模索していた頃の話だ。


「サクラさんに話すのは、恥ずかしいのですが。当時、私は妻とデートをすべく、演劇に誘いまして。けれど、正直にいえば妻はあまり楽しんで頂けなかったのです。ね、チヒロさん」

「すみません。私に、そのようなものを楽しむ感性がなく……」

「そもそも私達は夫婦揃って、デートなのに仕事の実用性ばかりを相談してましたからね」


 このアクセサリの防御効率がどうだ、とか。

 演劇は本物には勝てない、とか。

 食事をそもそも魔噛草にしているチヒロは、普通の食事に興味がない……と、正反対のことばかりしていた。


「それで、当時の私は失敗したなと思っていたのですが。今考えてみますと、良かったかなとも思います」

「……そうなのですか?」

「ええ。むしろ失敗を通じて、相手を知ることができました。その話題が今こうして、サクラさんとの話題の種になっていますからね」


 失敗もまた経験。

 それは夫婦関係に限らず、仕事にも、或いは人生にも共通する話だろうと、ハタノは思う。


「ですので、試しに行ってみて面白くなければ面白くなかった、で、構わないと思いますよ」

「…………」

「まあ、適当に見て回りましょうか」


 ハタノはサクラの手を握り、事前にチヒロと相談した店をふらりと回ることにした。





 実のところ、ハタノもチヒロも相変わらず一般店への興味は薄い。

 食事に拘る性格でもないし、アクセサリも綺麗さより実用性に拘るタイプだ。

 これが二人きりのデートなら、帝都の中央街よりこじんまりとした本屋を選んだことだろう。


 けど、今回はサクラとのお出かけでもある。

 夫婦の興味と、彼女の好奇心は別物。

 子供だから、親の感性に合わせなさいと言うのは、傲慢だろう。


 ……と考えてる間に、サクラは小さなアクセサリー屋の前で足を止めた。


 首にかける、三日月を模したネックレス。

 ハタノから見れば魔力に乏しく実用性のないものだが、金色の月のなかに小さなウサギが描かれたデザインが気に入ったのか、サクラは惹かれるように目を輝かせ――ハタノ達を伺う。


 彼女はすぐに目をそらし、気づいたハタノは、そっと手を差し伸べた。


「これ、買いましょうか?」

「え。あ……」

「何でもかんでも買うのは駄目ですが、少しくらいならワガママを言った方が、世の中お得ですよ」

「お得?」

「ええ。私やチヒロさんにはわかりにくいのですが、世の中、ときには自己主張したほうが良いことも多いようです」


 何事も、理屈だけでは通らない。

 ハタノもチヒロも合理性を追求する人間だからこそ、そうではない人間を何度も目の当たりにしてきたし、彼等がなぜか得をしている場面に幾度となく遭遇した。


「それに私も、ワガママの一つくらい、言いますから」

「お父様も……? 誰に仰ったのですか? あまり、想像できないのですけれど」

「秘密です」


 雷帝様に。

 妻をください、と。

 ……その一生分のワガママの代償として、帝都中央治癒院の院長に拝命されたが。


 けど、当時のワガママについてハタノに後悔はない。

 むしろ我を突き通したあの時の自分を、誇らしく思う程だ。


「サクラさんも、本当に大切なものがあるなら、きちんと自分の口で言葉にすることです。……ときに相手と揉めることがあっても、必ず、自分が欲しいと思ったものは守るようにしてください」


 ハタノは柔らかく微笑み、チヒロも口にはしないが、ニコニコしている。

 平和だなあ、と思いながらサクラを促すと、彼女はおずおずとアクセサリを手に取り、お店の人にお願いした。


「……じゃあ、あの。これください」


 お金を払い、サクラがそっと胸元のポケットに入れて、ふふ、と子供らしく頬を綻ばせる。

 見ていると、ハタノも何となく胸が温かくなる。


 今までは、妻の笑顔が幸せの元だったけれど。

 成程そうか、お世話している子が嬉しそうにしているのも、幸せなものだな、と……

 ごく普通の人間が抱くような感想を持ち、ハタノは妙に、自分もただの人間なのだなあと実感するのだった。


*


 とはいえ、サクラは元々ワガママを言うのに慣れていないらしい。

 一つアクセサリを頂いた手前、次のものを要求するのは気が引けたらしく……その後は共に、店をぶらりと見て回るだけになった。


 それでも、サクラにとっては楽しい経験になったらしく、大分疲れただろうに口元が綻んでいる。

 ……良かった。

 チヒロさんと相談し、帝都を回って正解だったな。


 と満足ながら、城へと戻る帰路を歩いて――






「っ――泥棒だぁーっ!」


 大通りに響いた声に、ハタノ達がふと振り向くと。

 脇に荷物を抱えた盗人らしき大男が、通行人を蹴散らしながら――たまたま、こちら側に飛び込んでくるのが見えた。


 サクラが驚き。

 ハタノも修羅場に慣れてるとはいえ、少し戸惑いながら……。

 もしかして、こっちに突っ込んでくる気か? と。


「チヒロさん」

「はい。怪我はさせないように致しますので」

「……お、お父様。あの。大丈夫で……」

「ええ。まあ、怪我をすることは無いと思いますよ。――あの泥棒さん」

「え?」


 サクラが呆けた声をあげ、ハタノは意図の違いに気づく。

 ああそうか。


「あの。お父様。……お母様の心配では?」

「いえ。チヒロさんは心配しなくても絶対に大丈夫ですので、一応、泥棒の心配をしようかなと……」


 サクラはまたまた瞼をぱちくりさせ、ハタノは「まあ見ててください」と、ゆるりと余裕をもって微笑んだ。

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