2-2.「……覚悟はよろしいですか?」
”才”や魔力は、当人の精神状態に深く関与する。
ホルス教授に言われずとも、ハタノも経験則として理解している。
これは病にも同じことが言えるし、病は気から、という言葉もあるほどだ。
とはいえ、ハタノには父親としての経験がない。
そもそも子供と接した経験に乏しく、ハタノ自身、父親というイメージそのものがおぼろげだ。
であれば、まずは情報収集。
医学の基本、エビデンスに基づいた医療を。そう考え話を聞くことにした。
以下はその結果である。
――二級治癒師シィラ=クレアベイン
「子供ですか? はい、私は好きですよ。もちろん素直じゃない子もいますけど、またそこが可愛らしくて……
え、私の子供? まだ早いですよ、お付き合いも始めたばかりで……まあでも、そのうち考えなきゃいけないことで……子育てに詳しい人、ですか? すみません、私の知人にはミカさんしかいなくて。
それより院長、勉強会の件ですが、私一人では回らなくて――え、そのままお願い? いえ待ってください、それは困るのですけど、もおおっ!」
――四級治癒師ミカ=シノン
「子育ての前に彼氏なんだけど!?」
――雷帝メリアス=エリリアス
くだらないこと聞くな、と言われそうで質問できず。
――特級治癒師ホルス=バルクアウトベノン
定時で帰宅済みだったため質問できず。
――特級治癒師エリザベラ=アーチ(やっと見つけた)
「はぁ? 子育て? なに言ってるの? パパとママがあたしを愛してくれるなんて当然のことじゃない。そんなことより勝負よハタノ、あたしね、あれから成長して……あ、ちょっと!」
――特級治癒師ガイレス=ドルリア
「貴様、これ以上私を怒らせたいのか? 親の形など、人の数だけあるだろうに」
*
「旦那様、どうされましたか。ずいぶん落ち込んだ顔をされていますが」
「すみません、チヒロさん。私の人脈に、よく考えたら真っ当に子育てをした方が殆どおりませんでした……」
同僚。後輩。怖い怖い上司達。
ハタノの人脈は、完全にお仕事関係ばかりだった!
こういうのは普通、知人や友人、ご近所でお付き合いのある人に聞くものだろう。
が、ハタノは元々職場で浮いていたこと。
それ以上にプライベート上の人間関係が存在せず、聞ける相手がいなかったのだ。
(これが世に聞く、仕事はできるけど家庭はダメな夫、というやつでしょうか……)
父親とは難儀なものだ、と己の不甲斐なさを突きつけられたハタノである。
ちなみに、チヒロも実は似たような質問をしたらしく。
「すみません、旦那様。私も知人に当たりはしたのですが、成果はなく……」
「まあそもそも帝国では、才ある者には専門の教育者がつくことが普通ですからね。上位の才の方ほど、親、という概念を知らないのも無理ないことかもしれません」
「はい。まあ、私と旦那様は特殊な方かもしれませんが……そもそも人は、どうやって他人と家族になるのでしょうか?」
どうやって?
ハタノも子供の診察は行ってきたし家庭事情に触れたこともあるが、確かに、どうやってと聞かれると……。
「人は、どうやって家族になるのでしょう。我が子を目の当たりにしますと、本能で愛せるとは聞きますが」
「そうですね。人と仲良くなる、とは一体どういうことなのか……」
ううむ、と考え込んでしまう夫婦。
と、チヒロさんがぽんと手を叩く。
「しかし、旦那様。よく考えてみますと、私達も最初は他人同士でありました」
「……ええ、確かに」
「私も旦那様も、最初はお互い堅く、たどたどしかったと思います。まあ今の私は、旦那様をこの上なく愛していますが」
「それはまあ、私の方がもっと愛してますけど……」
妻を見やるハタノ。
仕事を終え、寝室にていつもの寝間着姿に着替えた妻は、今日も麗しい銀髪を揺らしながらハタノを見つめ。
視線が交わるだけで、薄く唇を綻ばせる彼女は今日も愛おしい。
……そんな妻と自分も、もともと他人同士。
仕事の都合で、たまたま顔を合わせた仮初めの旦那と妻。
それでも彼女とは不思議なほどに価値観が合い、今では彼女が側にいないと狂おしくなる程の衝動を覚えているのも、事実だ。
たまたま価値観が合っただけ、とも言えるが……
「旦那様。私からひとつ提案があります。……まだ手探りではありますが、サクラさんとより仲良くなる努力をしてみるのは、いかがでしょう」
「努力、ですか」
「ええ。私も以前、旦那様に尽力して頂きました。覚えていますか? 旦那様が私を、初めてのデートに誘ってくださった時のこと」
大分前の記憶だが、彼女をデートに誘い、買い物や演劇の舞台につれていった覚えがある。
その帰りに迷宮での事故が起き、自分達には仕事をしている方が似合ってるなと感じたものだ。
ふふ、と。
当時を思い出してか、チヒロが薄くはにかんだ。
「上手くいくかは、わかりません。それでも、実践してみるのは大切なことかと」
「確かに。……では、サクラさんと三人で、ええと……帝都の家族デート? いえ、家族旅行でしょうか。それを実践してみましょうか」
「はい。仕事と違って、失敗しても良い経験になるでしょうし」
何事も実践、というのは、実務的なハタノとチヒロの信条でもある。
それに昔のハタノなら仕事以外のことに気を遣わなかったが、今なら多少は理解できるかもしれない――
と、ハタノが納得していると。
チヒロがさりげなく、ハタノの置かれた手に、そっと自らの手を重ねてきた。
見れば、妻がうっすらと潤んだ瞳でハタノを捉えている。
「では明日からさっそく考えますが……その前に」
少し、口ごもるチヒロ。
ハタノは彼女の言いたいことを何となく予測しながら、あえて黙っていると、やがてチヒロが耐えかねたように唇を尖らせる。
「家族との関係も、大切ではありますが。それとは別に、妻と仲良くなる関係を築くのも大切だと思います。……先程さりげなく、私の方がもっと愛してます、と仰って頂けたのはとても嬉しいのですが――」
と、チヒロが自然に近づき、触れるような口づけをした。
声を詰まらせるハタノの耳元で、妻が囁く。
「私の方がより深く愛している、という点については、譲れません。ここは、議論が必要かと」
「……すみませんが、そこは私も譲りがたいですかね、チヒロさん」
ハタノは、言葉とは裏腹に瞳を柔らかくゆるませ妻の髪を撫でる。
夫婦間での見解の相違――
ここはきちんと話し合って、解決するべきだろう。
「では、チヒロさん。サクラさんと話す前に、まず夫婦としてきちんと意見のすり合わせを行いましょう」
「はい。それで、旦那様。そのお話はどのように――っ」
返事の代わりに、チヒロの肩に手を伸ばす。
そのまま優しくベッドに押し倒すと、チヒロは特に抵抗することもなく横になり、ふふっと笑った。
しなやかな銀髪が、ベッドの上にゆるりと零れていく。
相変わらず綺麗だなと思い、その髪を救いながら、ハタノはすこし意地悪をするように笑った。
「続きはゆっくり横になりながら、で、如何でしょう」
「旦那様。それでは話し合いになりませんよ?」
「言葉はなくとも、身体に刻めば十分かと」
「刻まれるのは、旦那様の方かもしれませんけれど。……覚悟はよろしいですか?」
チヒロがイタズラっ子のように笑いながら、ハタノの首筋にか細い腕を回してくる。
妻の柔らかな熱と、そのとろけるような信頼を目の当たりにしながら、自分はとっくに負けているのだけどな――と密かに思いつつ、自然に彼女と口づけを交わす。
家族の時間も大切だけれど、夫婦の時間も大切。
改めてそう感じながら、ハタノは妻にせがまれ、もう一度優しい口づけを交わすのだった。
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