3-7.「そこには何一つ、私心も悪意もありません」
「お待たせいたしました、ベヌール卿。今から腕の治癒を行わせて頂きます」
「貴様、今頃なにを言うか! いま我は勇者に裁きを……」
「卿のお怪我を癒して欲しいと告げられたのは、卿自身にございます。それに卿自身、いつまでも怪我を晒されているのはご健康に差し障ります。痛みませんか?」
「ぐ。……それは、そうだが」
「日々帝国の民を憂う貴族様の傷を、癒す。先程は人命のため他の者を優先致しましたが、本来、高位なる方の治癒を担当させて頂けるのは、治癒師にとってまたとない光栄にございます。どうか、お手を」
恭しく礼をするハタノ。
そう言われると、ベヌール卿として断る理由がない。
そもそも治癒を命じたのは彼自身であるし、治癒させてもらうことが光栄と言われれば、悪い気はしない。
仕方なく卿は腕をまくり、左前腕についた傷跡を示した。
大事な御身についた、擦り傷だ。万に一つでも治癒の跡を残しでもしたら、縛り首にしてやる――なんていう卿の目論見は、一秒と持たなかった。
「では癒します。失礼」
「っ、がっ、あだだだだ―――っ!?」
焼きごてを押しつけられたような、強烈な治癒痛に、ベヌール卿はみじめな悲鳴をあげた。
あまりの痛みに膝がくだけ、ひっくり返った亀のように両手足をじたばたしながら、ひぃひぃと涙目を浮かべ転がっていく。まるで鞭打たれたかのような激痛だ。
その様を、ハタノはいかにも申し訳なさそうな顔で、謝罪する。
「治癒に伴い、治癒痛が生じるのはやむを得ない処置です。傷跡が想定より深かったこともありますが、正当な治癒行為の範囲でして……」
「ふざけるなあああっ! 普通その前に痛覚遮断をかけるだろうが!?」
「確かに、通常はそのような措置を行います。ですが、ベヌール卿。これより戦地に赴かれるのに、痛覚遮断の魔法は得策ではありません」
なに? と、ベヌール卿が眉を寄せる。
ハタノはさも当然のように、迷宮を示した。
慌ただしく人が出入りする門扉は、いまだ開け放たれたままだ。
「先程、卿も迷宮で多数のオークを見られたかと思います。……私は迷宮について詳しくありませんが、異常事態であることは理解します。早急な掃討が必要であり、もちろん、帝国の”魔法騎士”様であらせられる卿は、治癒が完了し次第、すぐ再討伐に向かわれるのですよね?」
「な、そ、それはっ……い、いまの話と何の関係がある!?」
「痛覚遮断は痛みを和らげると同時に、肌感覚を失わせます。また麻酔効果もあるため、戦闘前には使わないのが鉄則です」
「ぐ、っ」
「体力持続回復も、同時に行いました。魔力ポーションも、迷宮街ならすぐに補填できます」
「待て! オーク共はすべて勇者が倒して……」
「残党がいないとも限りません。ですので、最善の治癒を行いました。ご覧の通り」
ハタノに促され、べヌールは己の腕を見やる。
傷は跡形もなく完治していた。通常、治癒魔法でも痕跡程度は残るものだが――
べヌールは完璧な治癒に、逆にあわてふためく。
「ふ、ふん! 迷宮の魔物などいつでも退治できる! まずは事態を収めることが先決……」
「そうなのですか? しかし、ベヌール卿……」
ハタノは訝しむように、眉を寄せ。
べヌール卿とチヒロにしか聞こえない小声で、ぼそっと呟いた。
「迷宮は帝国の貴重な資源。それらが危機にさらされながら、尻尾を巻いて逃げるというのは、如何なものかと」
「だ、誰が逃げるなど!」
「ですよね。私の妻に対し、恥知らずな戦いぶりと仰った卿のこと。さぞ勇猛果敢な戦いぶりで、オーク共を一網打尽にして頂けると、私は帝国の一市民として心より信じております」
「ぐ、き、貴様っ」
「逆にここで逃げれば、それこそ帝国への忠心を疑われ、ガルア王国の間諜であるとの疑いを向けられることでしょう。もちろん私は、卿の真心を誰よりも信じていますが……」
すっかり青ざめ、足を震わせるベヌール卿。
実直なチヒロと違い、日頃から患者を言いくるめる弁を駆使するハタノにとって、屁理屈は造作もない。
先程までは事実上、患者を人質に取られていたから黙っただけだ。
もしべヌール卿が武力に訴えようものなら、ハタノの背後には帝国最高戦力たる妻が控えている。
弱い犬が遠吠えを吐ける時間は、とうに過ぎたのだ。
「ベヌール卿。顔色がすぐれませんが,大丈夫でしょうか?」
「っ……き、今日はどうやら、体調が悪いようでな。討伐をしたいのは山々だが、また別の機会に」
「正常化の魔法を施しましょう。吐き気や頭痛といった諸症状を和らげる効能がございます。もっとも、どのような治癒魔法であっても、仮病には効果がありませんが……」
「――っ!」
ベヌール卿の顔が火を灯した。
その顔は興奮したオークの如く紅色に染まり、わなわなと拳を振わせている。
が、ハタノは卿の顔を見ることなく、うやうやしく頭を垂れ、迷宮への道を譲るように身を引いた。
「もしお元気になられましたら、すべては帝国のため、人命のため。どうか未熟な私達夫婦に、卿の模範を示して頂けませんでしょうか」
語るハタノの周囲には、民衆の目があった。
遠巻きに見ていたその眼差しは、必然”魔法騎士”たるベヌール卿に向かう。とても、冷めた目で。
”才”ある者は、その力を国のために正しく扱え。
帝国の教えに従い、卿は向かうべくして向かうべきであろう。
――が……卿は、身体で理解している。
力試し等という身勝手な理由で迷宮に足を踏み入れた挙句、醜いオーク共にしてやられ、今まさに死の一歩手前を経験した恐怖と恥辱。
その汚名を誤魔化すため、勇者や治癒師に八つ当たりしたことも、本当は理解している。
そんな卿が選んだ道は。
臆病風に吹かれて尻尾を巻き、けれど己のプライドを捨てきれない、浅ましい一言だった。
「す、すぐさま迷宮へ討伐隊の派遣を依頼する! この程度の難事、我が手を出すまでもないということだ! それに我は、は、腹が、痛くなってきたからな! 貴様の下手くそな治癒のせいだっ」
卿はみじめにも腹を抑えながら、呼びつけた馬車へと転がるように飛び込んだ。
民衆の呆れと侮蔑の混じった視線を背に、慌ただしい車輪の音を鳴らしながら大通りを駈け、逃げるように迷宮街を去って行った。
――その様をハタノが呆れながら見送っていると、ふと、後ろからチヒロが袖を引いた。
チヒロがくすりと、愛してもいない旦那様に微笑みかける。
「治癒のご協力、ありがとうございました。お疲れ様です、旦那様」
「いえ。仕事ですので礼には及びません。チヒロさんこそ、お疲れ様でした」
「私も、通常の業務をこなしたまでですので」
現場は死屍累々であったものの、特別な出来事ではない。
治癒師が患者を助け、勇者が魔物を屠った、それだけの話。
結婚に比べれば、日常の一幕だ。
けれど、と。
チヒロは一つだけ――珍しくひとつだけ、彼の仕事に口を出す。
「旦那様。……先程の治癒は、本当に適切だったのでしょうか?」
痛覚遮断のない治癒魔法に痛みを伴うのは理解するが、あの程度のかすり傷で腕がねじれる程の治癒痛が発生するのか、と。
妻の問いに、ハタノは至極真面目に応える。
「治癒師の理念に則った、極めて正当かつ合理的な治癒を行いました。そこには何一つ、私心も悪意もありません」
「何一つ、ですか」
「ええ。何一つ、ですよ」
けど、その目が薄く笑っていることに気づき、チヒロはつられて綻ぶ。
まったく。
悪い旦那様だこと。
心の中で囁きながら、それでも不思議と、チヒロの心はなぜか軽くなるのだった。
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