3-9.「男の生理現象です!!!」

 その朝、ハタノは珍しく寝坊をした。

 といっても、三十分ほど遅れて目を覚ました、些細なものだ。

 仕事人間のハタノは魔力休息日でも朝きちんと目覚める方だが、やはり疲れが溜まってたのかな……と、目頭を押さえつつぼんやり起きようとして。


 ふと、隣のチヒロが寝起きのまま、自分をぼーっと見つめていることに気づく。

 寝起きの妻、というのは珍しい。

 可愛い睫毛が、小さく揺れている。

 そのまま、こてん、と寝転がり柔らかな瞳を向ける妻に困惑してると、妻は旦那を朝食にでも誘うかのような気楽さで告げた。


「おはようございます、旦那様。本日は、お休みにございますよね」

「ええ。そうですが」

「……私、ふと考えたのですが……その。子作りの責務は、朝にこなしてはいけないのでしょうか」

「チヒロさん!?」


 ぶわっと全身の血が駆け巡り、目が覚めた。

 顔が熱くなるのを抑えられず、一方、チヒロは少々頬を赤らめながらも冷静に。


「子作りには些か体力と時間を使いますし、私もまあ、気の持ちようを考えますと平日朝からというのは気が引けます。ですが休日であれば、支障はないのではと考えまして」

「いや支障というかなんというかですね」

「ご教授頂きたいのですが、朝に行うと問題はあるのでしょうか」


 んぐ、と声に詰まるハタノ。

 特にありません。


「朝より夜の方が、子を宿す確率が高いとか?」


 ないです。


「私の家は郊外にあるので、声が迷惑になることもないでしょうし」

「それは確かにそうなんですけど、その、常識的に破廉恥といいますか……」

「破廉恥」

「はしたない、というか、朝から快楽を貪るのは人として堕落してるといいますか」

「しかし旦那様。昨晩、目的のためなら手段や過程は問わないと……」

「言いましたけどそれとこれとは別と言いますか」


 あわてふためき否定する旦那であった。

 いやもちろん子作り業務の上で、否定する必然性はない。ない、のだが。


(さすがに、恥ずかしい)


 ――業務だと分かっていても、ハタノは未だに恥ずかしさが出てしまう。ハタノの女性に対する経験の薄さ故だろう。

 それに、朝の日差しの下で、というのも……。


 なんて思ってたら、チヒロが薄い掛け布団をぺらっと広げ、ハタノのある一点を見つめながら。


「ですが、失礼ながら……旦那様のものも、朝から立派に猛っておられますし」

「男の生理現象です!!!」

「そうなのですか。すみません、旦那様が私の寝顔に欲情されたのかと」


 妻は自分をどんな男と見てるのか、とハタノは問いただそうとして――


「で。結局、朝でも問題ないのですね?」


 ぐい、とベッドに押し倒される。


 気がつくと、ハタノは彼女に馬乗りにされていた。

 両腕をしっかり固定され、女に襲われる格好のまま固まるハタノ。


 彼は慌てて抵抗しようとして――止める。


 勇者に押さえつけられたから、ではない。

 うっすらとした朝日に照らされ、きらめく銀髪を揺らした妻に、迂闊にも目を奪われてしまった、から。


 透き通るような白い肌に、宝石のように美しい瞳。幾夜となく愛でた顔でありながら、つんと立った睫毛をぱちりとさせる様が、ハタノの弱い心を捕まえる。

 その顔から視線を下ろせば、寝起きに擦れたのか、着崩れてた寝間着がそっと伺える。僅かに汗を伝うその首筋からはうっすらと形のよい鎖骨が覗き、ハタノはその下にあるものを想像し、自然と胸が高鳴ってしまう。


 生唾を飲むハタノに、チヒロが笑った。

 妻とて、旦那から滲み出る欲を察しないほど、鈍くはない。


「試してみましょう、旦那様。デートも業務も、実戦には学びがあります。であれば朝の行為も、有意義な休日の使い方になるやもしれませんし」

「っ、で、ですからそれは人として問題が」

「問題。それは合理的でない問題ですか?」


 目を逸らす。

 合理を優先されると、断れないのがハタノのあり方だ。

 気持ちの問題で否定しようにも説得力がなく、それを見越したチヒロがくすくす笑う。


「旦那様は、こちらの仕事での嘘は下手ですね」

「し、仕方ないじゃないですか! 女性との経験など、あなた以外にないのですから」


 弱みを握られ、顔を背けるハタノ。

 妻はそんな彼の頬に手を伸ばし、するりと優しく、けど自分以外の女を見ることを許さないとばかりに顔を合わせ。


 押し倒すように、口づけを交わされる。


 初夜はぎこちなかった行為にも、お互い少しずつ慣れてきた。

 ん、と唇をついばむような優しいキスを交わしながら、ハタノは自らの顔が上気するのを抑えられない。せめて興奮に呑まれまいと、頭の片隅に冷静な思考を置こうとし――

 そんな些細な抵抗は、彼女の舌がそろりとハタノの口元に差し込まれたことであっさりと瓦解した。


(――っ)


 彼女の柔らかな、でも確かな肉質を持った舌先が遠慮がちに、けれど男を試すように絡みつく。

 ハタノはびくっと震え、けど臆したのも一瞬のこと。

 妻が自ら積極的に迫ってきたという興奮、ちろちろと小さくも快楽を求める動きに、高ぶる男の性を抑えれるはずもなく。


 気付けばハタノも応じるように、自らのものを絡めていた。

 穏やかな日差しに照らされながらも、ねばつく水音を鳴らしながら。


「――――」

「――――」


 ぷは、と。

 息継ぎをしながら、ゆっくりとお互いの顔を離していく。

 二人の間に薄い糸を引いたような雫が零れ、ハタノは唇の熱が引いていく感触を名残惜しく思いながら。


「……私の妻は、そういう知識を、どこで学んでくるのですか? ……まさか、とは思いますが」

「安心してください。他の者に尋ねたりはしてません。勇者の威厳が損なわれますので。ただ、旦那様の医学書同様、古今東西には専門家の書物がございまして」

「どのツテで手に入れるのです、そんな稀少な代物」


 ハタノの問いに、勇者はう、と詰まる。

 ややあって、罪人の名を明かした。


「雷帝様が……具合はどうだ、と別件の仕事中に問われまして。問題ありませんと伝えたのですが、男と女の間には星の神秘よりも深き技巧が存在するのだ、と風変わりな書物を」


 雷帝様は暇なのか? 暇であらせられるのか?

 帝国三柱、我が国の最高戦力の一角である、あの御方が?

 結婚の申し出以降お会いしていないが、お目見えする機会があったら一言言うべきかもしれない。

 と、ハタノが無謀な妄想をしていると、馬乗りの姿勢に戻った妻がさらりと銀髪を流しながら。


「朝と夜。確かに、行為の中身自体は変わりませんが、その……」


 日差しの下に晒された妻は、ハタノから見て大変に眩しく。


「お天道様の下で、このようなことを行うと、背徳的で……些か、興奮致しますね」


 そして彼女から零れた爆弾は、あまりにも強烈だった。

 ああもう。

 ――そんなこと言われたら我慢できるはずないだろう、と、ハタノは返答の代わりに、彼女を抱き寄せ。

 その唇に自ら絡みつきながら、愛なき妻の胸元へと手を伸ばした。






 かくして迷宮での悲惨な事件を終え、二人の生活は日常を取り戻す。

 ハタノの治癒院はいつも通り慌ただしく、勇者は変わらずハタノの知らないところで敵を屠る。



 そんな生活が十日ほど続いた頃――訴状が、届いた。



 罪状。治癒義務違反、不敬罪および暴行罪。

 ベヌール=ルートヴェヌ卿に対する不適当な治癒行為および不敬なる言論。また勇者による暴力行為により著しい損害を被ったことを認め、ここに帝国への翻意ありとの疑念を抱く。

 上記理由により、治癒師ハタノ=レイ、勇者チヒロ=キサラギに対し、帝国第一法廷への出頭を命じるものとする。






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いつもお読み頂き、ありがとうございます。第一部前半が終わりました。

引き続き、後半を更新していきます。第一部終了までは毎日更新の予定ですがんばります。

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