2-3.「そういう相手に出会える可能性も……こうして、あるわけですから」

 時代を問わず場所を問わず、人が営む社会には必ず『常識』という概念が存在する。

 食生活、仕事、冠婚葬祭。死生観。礼節。人の生き方。


 そして――いつの時代においても常識から外れた者は、排斥される。


「シィラさん。私も、そしてチヒロさんもですが……仕事に向き合い、使命を果たすことが、必ずしもシィラさんの人生にとって喜ばしいとは限りません。時には患者さんを助けたのに、文句を言われることもあるでしょう。お前のやり方はおかしい、と」

「……でも、それで治癒魔法だけに頼ってしまうのは、患者さんにとって最善じゃないですよね? それって患者さんに嘘をつくってことじゃ……」

「難しい問題です。が、患者さんの身体にとって最善であることが、患者さんの気持ち、あるいはシィラさんの世間体にとって最善でない可能性は大いにあります」


 ハタノ自身の苦い記憶でもある。

 自分なりに治癒を行い、成果を出してきたにもかかわらず、あいつはおかしいと揶揄される。

 人の身体を裂くなど、どうかしてる、と。


 チヒロも似た経験があることだろう。

 ”血染めのチヒロ”とまで呼ばれ、国のためなら汚れた殺人も厭わない彼女は、仕事人としては最善を尽くしていても、人々から怖がられている。


 理屈が正しいことと。

 人の気持ちが納得することは、全くもって違うのだ。


 だから、ハタノは自身の治癒法を他人に語りたがらない。

 他人に、自分と同じ轍を踏またくないなと思うからだ。


 ぎゅっ、とシィラが拳を握りしめた。

 薄い赤。情熱的な瞳が揺らぎ、ハタノを見つめる。


「でも、先生はその道を選んだんですよね? 非難されることを覚悟で」

「違います。私はこれ以外の治癒方法をそもそも知らずに育ちました」

「え?」

「両親の教育方針によるものですが、そもそも私は帝都中央治癒院に勤めるまで、盲腸といえば腹を割いて治癒をするのが普通だと思っていたのです。まさか治癒魔法を上から行う、あるいは治針を刺しての治癒が主流だとは思いもしませんでした」


 そして”才”を重んじる帝国の治癒法は、治癒魔法のみで人を癒すことが美徳とされる。

 治癒魔法だけで治癒を完遂した方が、格が高いことを証明できるからであり、人の身体を開くなど下劣極まりないというわけだ。


「かといって今さら、私はやり方を変えられませんでした。そして事実、私が帝都中央の治癒師を押しのけて治癒した結果、形式上は左遷されたわけです」

「……そう、なんですか」

「はい。なので、そういう話を踏まえて、考えてみてください。患者さんのためという視点だけでなく、自分の人生――例えば将来シィラさんが結婚し、伴侶を持ったとき。自分が人様の腹を割いて治癒してると知られたら、旦那にどう思われるか?」


 それは、普通の人生に収まる範囲を超えるはずだ。


 シィラは瞼を伏せ、じっと考え込むように黙ってしまった。


*


 その夜、帰宅して――ハタノは、失敗したかなと溜息をついた。

 寝間着に着替えたチヒロが、おや、とハタノに気づく。


「どうかされましたか、旦那様」

「いえ。シィラさんには、辛い選択をさせてしまったかな、と……」


 黙って拒絶する手も、なくはなかった。

 これはハタノ個人の知識であり、人様に教えるものではない、と。


「お前には教えない、と強情に拒否する手もありました。下手に、シィラさんに選択肢を与えてしまったせいで、逆に悩ませてしまったかもしれません

「……そうなのですか?」

「ええ。選択肢を与えられるということは、どちらかを選ばなければならない、ということですから」


 シィラはおそらく本能的に、ハタノの治癒法が正しいと理解してる。

 でなければ、自分に治癒法を尋ねたりしないだろう。


 が、それを理解した上で、ハタノの治癒を学ばない道を選ぶと……彼女は治癒師として、患者さんに誠実に向き合っていないのでは、という悩みを抱いてしまうかもしれない。

 かといってハタノの治癒法を採用すれば、彼女はまた別の形で迫害される危険性がある。


 ハタノは深く溜息をつく。

 こういうのは、苦手だ。


 自分の事ならいくら不利益を被っても構わないが、他人の人生が関わってくると、本当に悩ましいし……

 自分は彼女に、最善の回答を示せたのか?

 と、つい考えてしまう。


(こういう時、私は自分が弱い人間だと自覚させられますね)


 悶々と悩みつつベッドに腰掛け、ふっと息をつくハタノ。

 頭ではどうしようもないと分かっていても、つい悩んでしまう――


 と、苦い顔をしていたハタノの背中から……

 ふわり、と、柔らかな腕が回される。


 気づけば、チヒロがハタノをそっと抱き留めるように両腕を回していた。

 ハタノはどきりとしつつ、絡められた腕を手に取りながら振り返る。


「……チヒロさん?」

「旦那様は、そういう所で誠実ですよね。仕事に対して本当に、真摯な方だと思います」

「べつに、そういう訳ではありません。今日の言葉が、シィラさんに正しく伝わったかも分かりませんし」

「ですが、旦那様なりに誠実に対応したことは私にも分かります。彼女のためを思って言ったことも」

「その気持ちが、きちんと伝わると良いのですが……」


 ハタノはあまり、自信が無い。


 そもそも他人と、面と向かって真面目な話をするのが得意ではない。

 ハタノは業務上のコミュニケーションは取れても、人生の芯に迫るような会話は苦手だと自覚している。


 だから自分なりに、誠実に伝えようとはしたが、……本当に伝わったかは分からないし、不安にもなる。

 もし余計なことを言いすぎて、彼女の人生を狂わせてしまったら?

 なんて考えると、やはり気が気でない――


「旦那様」

「はい」


 耳元で呼ばれ、振り返ろうとして、


「……っ」


 そのまま唇を奪われた。

 押しつけられた柔らかな妻の身体に、ハタノはつい混乱して。


 ……けれど、彼女に求められる形で、自ら口づけを重ねていく。


 無言で交わる、夫婦の時間。

 ……。

 ふっと息をついて離れると、彼女がほんのりと顔を朱に染めながら、ハタノにふふっとはにかんだ。


「すみません。私は他に、旦那様を元気づける方法を存じないもので」

「いえ……ありがとうございます。びっくりしましたが、元気は出ました」

「それは良かった。――それに旦那様。言うほど悲観することもないと思いますよ」


 戸惑うハタノに、だって、と妻チヒロが笑いかける。


「確かに旦那様の治癒法を使うと、忌避の目で見られることもあるでしょう。嫌な想いをすることだって、あるはずです。……ですが、全く理解されない訳ではないとも思います」

「そうでしょうか」

「ええ。だって――」


 と、チヒロはハタノを見つめ。


「私のことを、旦那様は大変よく理解してくださっています。そういう相手に出会える可能性も……こうして、あるわけですから」


 チヒロが微笑み。

 ハタノは、う、と固まったまま、妻と同じように顔を火照らせてしまった。



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