2-4.「うちの妻チヒロで――」

 ハタノとチヒロの間に、愛はない。

 二人は深い恋愛を経たわけでもなく、出会ったその日に業務として結ばれた関係に過ぎない。

 けれど、言葉にし難い心地よさを覚えているのも事実だ。


 相方であるチヒロが、ベッドに寝転がりながら、ハタノに囁く。


「旦那様が危惧されたことは、事実かと思います。シィラさんが旦那様の治癒法を学べば、非難されることもあるでしょう。……ただ世の中にはそういう方でも、理解してくれる人がいる、とも思いますよ」

「そう上手くいくでしょうか」


 ハタノは、チヒロという幸運に恵まれた。

 けど、シィラがその幸運に恵まれる保証はない。

 下手をすれば彼女の人生を傷つけてしまう可能性は、大いにある。


 そう告げると、チヒロも薄く微笑んで「そうですね」と。


「ええ。上手くいく、と、楽観的には見れません。……ですがそれも含めて、選ぶのは彼女自身かと」

「ふむ」

「旦那様は、いま自分が理解していることを彼女にきちんと全て説明し、その上で、彼女が選択できるよう道も残してあげました。であれば、あとは彼女の責任と選択です」

「……確かに。シィラさんも一介の治癒師です。子供ではないですからね」


 ハタノは頷く。

 シィラとて現場で働く治癒師であり、大人だ。

 自分の人生について、責任を持って選ぶだけの器量はあるだろうし、そうでなくては困る。


 ハタノがとやかく言い過ぎるのも、逆に失礼だろう。


「……ありがとうございます、チヒロさん。おかげさまで元気が出ました」

「いえ。私はいつも旦那様に支えられてばかりですので、お返しができて嬉しいです」


 隣でゆるりと微笑みかけてくる、チヒロ。

 ハタノも優しく返しつつ。

 ……愛してはないが可愛らしい妻の寝間着姿を見てると、つい自然と、湧き上がってくる感情がある。


 彼女に励まされた影響もあるだろう。

 何だか妙に、今日の妻は愛らしい。


(大切な話をした後に、この流れはよくないのですが……)


 最近どうも、自制が緩んでるなと思いつつ。

 無言で妻の肩に手を伸ばすと、チヒロは抵抗なく、こてん、とハタノに頭を預けてきた。


「…………」

「…………」


 互いに無言。

 けれど、言わんとすることは夫婦らしく暗に伝わる。

 ハタノはいつしか自然と出ていた翼を愛でつつ、自然と、二人は本日二度目になる口づけを交わしながら、お互いを抱き寄せあい――


「あ」

「……?」


 ハタノが止まった。

 どうしましたか、とチヒロ。


「いえ。チヒロさんを抱きながら、ふと、とある閃きが頭をよぎりまして。……すみません」

「どうして謝るのですか? べつに、言ってくださっても構いませんよ」

「しかし……」


 妻を抱きながら、こんなことを閃く自分は、頭がおかしいのかもしれない。

 さすがに相手に失礼だし、場の空気というものもある。


 が、ハタノの戸惑いをチヒロはあっさり看破し、そっと、旦那の頬に触れながら囁いた。


「遠慮なさらず。旦那様のことですから、どうせ、合理的だけど一般的でないことを閃いたのでしょう?」

「まあ……はい」

「私は旦那様の、業務的な思考には好感を覚えています。いまさら忌避することなどありませんので、聞かせてください」


 ハタノはそれでも戸惑ったが、――チヒロなら。

 彼女なら理解してくれるだろうと訂正する。

 実践するかはともかく、意見だけでも話しておこう。


(本当、妻の理解があるというのは助かります。まあさすがに、この発案は我ながらどうかと思いますが……)


 ハタノはそれでも遠慮がちに言葉を選び、丁寧に、妻へと提案を行った。


「もし、シィラさんが私の治療法を受け取ると選択した時のことですが――」


*


「先生。私に、先生の治癒法を教えてください」


 翌日。

 顔を合わせたシィラは朝一で、ハタノに頭を下げてきた。

 自分をしっかり見つめる薄赤の瞳に、昨日の迷いは感じられない。


「理由を聞いても?」


 中途半端な理由なら、もう一度拒否しようと思った。

 が、シィラはそっと胸に手を当てて。


「じつは昨夜、ミカさんと相談しまして。……まあ相変わらず、酒癖は悪かったのですが」

「ミカさんですからねぇ」

「はい。ただ、ミカさんに言われたのです。勉強して人を治癒できるなら、覚えておくだけ損はないよ、と。……確かに、いざという時に出来ないのは、私も悔いが残ると思いました」


 シィラが拳を握り、ハタノを見上げる。


「先日も、じつは同じことを思いました。頭をぶつけて怪我された、酔っ払いの方です」

「バルクさんですか。先日の」

「はい。私は患者さんの勢いに押されて治癒できなかったんですけど、もし私が正しい知識と技術をもっていたら、あなたはいま危険な状態です! と言い切れたと思うんです」


 確かに、物事を判断するのにおいて知識の有無は大きい。

 ハタノの業務上の迷いが少ないのは、自分の知識に照らし合わせ、これが正しいと言い切れるからという側面もある。


「先生の仰る通り、不利益もあるとは思います。ただそれでも、治癒師として知らないのは、私は嫌だなと」

「……人生のデメリットを背負うことは理解の上で、ですね?」

「私は、治癒師としてのデメリットの方が大きい、と判断しました」


 まっすぐな、逃げずに立ち向かう強い意志を込めた眼差し。

 ハタノも受け止め、後輩に頷く。


「……成程。シィラさんの意思、確かに理解しました。ではまず私の持ってる本をいくつかお貸しします」

「はい! ありがとうございます!」

「基礎的な解剖は理解していますね? 治癒師の中には治癒魔法に奢り、解剖をおそろかにしてる人も多いですが」

「大丈夫です。私、座学は得意なので」


 ぐっと拳を握るシィラ。

 これなら大丈夫そうだ――と言いたいが、口で言うのと実践は違う。

 ハタノは瞳を薄め、意地悪に、笑う。


「では、私が帝都中央治癒院に出張するまでの間、さっそく手技の練習をしましょうか」

「へ? ……どうやって、ですか?」


 そこまで考えてなかったらしいシィラが、ぱちぱちと瞬き。


「練習、といっても、布や紙では実感がないでしょう。ですからもっと、リアルな質感のあるものでやりましょう」

「具体的には、どういう……」


 自分はやはり、頭がおかしいのかもしれない。

 そう感じながら、ハタノは昨夜、チヒロと交わした約束を彼女に告げた。


「うちの妻チヒロで、実際に練習してみましょう」

「!? え? は? はあぁぁ――――――っ!?」


 シィラが悲鳴を上げて飛び上がった。






――――――――――――

いつも感想コメント、レビュー等ありがとうございます。大変励みになっております。

ありがたいことに、☆1000到達しました!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る