後日談4.「いわゆる、バカップル、という奴ではないでしょうか」
そうして、あっという間に月日は過ぎ――
ハタノ達が、正式に帝都へ移住する日がやってきた。
夫婦の新しい寝床は、帝都中央。帝都魔城マクシビアンの一角だ。
”翼の勇者”チヒロの運用上、緊急出動を求める場合があること、および、ハタノ夫婦の安全性を確保するためだ。
懸念していた安全性について、雷帝様が担保してくれたのだろう。
「なんだか、改めて考えると凄いことになりましたね、チヒロさん」
「はい。……私は、元はただの”勇者”でしたのに」
今のチヒロは、帝国最大戦力の一角。
ハタノは、帝都中央治癒院の長に大抜擢だ。
帝都魔城に用意された客間も、並のスイートルームなど比較にならない豪華な丁度品が並び、寝室にはキングサイズのベッドがひとつ。
食事を含めた要件は、ベルをならせば召使いが二十四時間対応してくれるのだから、至れり尽くせり……。
「ですが、何となく落ち着きませんね」
「ええ。……いま思えば、あの郊外にある小さな家は、居心地が良かったのかもしれません」
「はい。豪華なものに囲まれていると、相応の責任が求められているようで、気が重いです」
傍目から見れば、盛大な成り上がり。
雷帝様の命とはいえ、たかが一級治癒師には余るほどの昇進だが――正直なところ、その期待に応えられるかと言えば、悩ましい。
そもそもハタノは余計な人間関係も、責任も重くなる立場も、一度たりとも望んだことはない。
しかし――
今のハタノには、力がいる。
(院長の荷は重いですが、院長という立場は、チヒロさんを守るのに大変有効です)
雷帝様の思惑通りだとしても、ハタノに力が必要なのは、事実だ。
そのためなら、多少の苦難もこなしてみせる。
(新しい環境。新しい仕事。そして新しい人間関係……不安がないとは、言えませんけども)
――ハタノの相手になる、ガイレス以外の特級治癒師。
計四人の彼ら、彼女達は一体どんな人なのか……。
未来を憂いながら、ソファに背を預ける。
つい頭で考えすぎてしまうのは、ハタノの悪い癖だ。
考えても仕方の無いことは、明日に回そう、と頭を切り返つつ。
「お互い頑張りましょうね」と、チヒロさんに声をかけ、振り返ろうとして――
不意に。
ソファに腰掛けたハタノの首筋に、ゆるりと、妻チヒロの腕が回された。
「旦那様」と。
思わずどきっとする中、チヒロがソファの背中から、絡むようにハタノの首を撫で、銀髪を揺らしながら頭を寄せてくる。
猫が甘えるような仕草に、ハタノは密かに高ぶる思いをぐっと抑えつつ。
妻のよい香りを嗅ぎながら、そっと髪を撫でて囁いた。
「……どうかしましたか、チヒロさん」
「いえ。明日からの新しい仕事に備えて、補給をしたくなりまして」
「魔力不足ですか? でも、魔噛草は先程……」
「魔力は満ちてますが、旦那力の回復です」
ヘンな造語が出てきた。
が、突っ込むのも野暮だし、それに、ハタノも考えてみれば妻力が不足している気がする。
――先日、愛の告白をしてから妻がたまらなく可愛く見えたハタノだが、結局、仕事に忙殺されてしまった。
引っ越しの準備に、院の仕事の引き継ぎ。
シィラやミカの移籍手続きに、チヒロの予後経過の観察。
慌ただしく過ごしている間に、今日に至ってしまった。
……明日からは、もっと忙しくなるだろう。
慣れない仕事へのストレスも、過分にあることだろう。
のんびり出来る時間も、少なくなるかもしれない。
そう考えると確かに、ハタノも今のうちに蓄えておくべきだろう。
「チヒロさん。背中からでなく、良ければ私の前に来ませんか?」
「……前、ですか」
「私もそういえば、妻力が不足気味でしたので」
ぽんぽん、とソファに乗せた自分の膝を叩くハタノ。
……実を言うと、自分から誘うのは恥ずかしい。
が、それでも妻に真正面から「愛しています」と伝えた旦那だ。
言葉は形にしなければ伝わらないし、それに、チヒロは遠慮がちな方だから、自分がリードせねば――と誘うも、チヒロはなぜか背後からハタノの身体に触れたまま動かない。
「チヒロさん?」
「いえ。……正面に回ると、旦那様と顔を合わせてしまうので」
「はい。そうしたいのですけど……」
「それはそれで、恥ずかしくて」
くすっと笑うハタノ。
今ごろ彼女はハタノの後ろで、白雪のような頬を紅色に染めてるのだろうなと想像しながら。
代わりに彼女の髪を撫で、くりくりと可愛い耳をくすぐりながら、囁いた。
「チヒロさん。次に時間が出来たとき、またデートをしましょうか」
「デート、ですか」
「はい。先日、チヒロさんに本屋に連れて行って貰いましたし、そのお礼を。……それに」
「?」
「……きちんと、好き合った関係の上で、デートをしたいな、と。……私も、すこしは思うので」
仕事、ではなく。
夫婦らしい、普通のデートをしてみよう。
……と、ハタノはむずむずする心を抑えながら囁くと、チヒロがぽふんとハタノの頬に頭突きをしてきた。
ぐりぐりと頭をこすられ、最近妻のスキンシップが可愛いハタノは思わずにやけてしまうが黙っておく。
いけない。
これは大変宜しくない。
昔からチヒロは可愛いと思っていたが、最近ちょっと歯止めが効かなくなっている気がする。
と、ハタノは顔を背けて我慢するも、チヒロは構わず、ハタノの耳元で。
「旦那様は、ずるいです。いつも私に優しいことばかり」
「それを言うなら、チヒロさんだってずるいですよ。……昔の私なら、こんな気持ちになるなんて考えられもしませんでしたし」
「それは、私も同じです。……血染めのチヒロとまで呼ばれた勇者が、このような気持ちになるなんて」
「嫌ですか?」
「……。……旦那様の、いじわる」
もう、とチヒロが拗ねたような声を上げ、ハタノの耳を、そっと――
ぱくり、と口にくわえた。
びくっ、と震えたハタノに構わず、妻の舌がちろちろとハタノの耳を舐めて、うわ何だこれ、妙にくすぐったくてむず痒い気持ちにさせられる――
って、そんなの何処で覚えたんですか……?
「ち、チヒロさん?」
「すみません。先日の本屋で、恋人のすること四十八戦、みたいな本がありまして」
「また変な知識を仕入れて……」
「嫌、ですか?」
「……。……私の妻は、意地悪ですね」
ハタノは苦笑しながら、お返しとばかりに彼女へと振り向き、そのまま唇を奪う。
ん、と一瞬驚いたチヒロの脇を掴み、そのままおいで、とソファへと引きずり込むハタノ。
チヒロは勇者特有の柔軟さでするりと乗り上げ、ぽふん、とハタノの上に乗る。
色づいた頬に、華奢な身体。
ハタノは自然とその頬を撫で、銀髪を愛でつつ、よしよしと妻を撫でながら、幸せいっぱいに微笑んでみせる。
「明日からお仕事、頑張りましょうね、チヒロさん。――きっと大変だと思いますけれど」
「はい。旦那様こそ、おそらく私以上に大変かと思いますが……お仕事の程、頑張ってください」
何かありましたら、私も協力しますので。
妻の優しい応援にハタノははにかみ、返事の代わりに、もう一度口づけを交わす。
(ああ。もう十分に、妻力を頂きました。これでまた頑張れる)
慣れない仕事であろうと、仕事は仕事。
頑張るしかない。
か細くも力強い妻の身体を抱きしめながら、ハタノは心満たされるままに微笑み――
ふと、思った。
「チヒロさん。……魔力は回復上限がありますが、妻力はこのままだと無限に増えていきませんか?」
「……そうですね。私もそういえば、旦那力の上限がわかりません」
「はい。――で、思ったのですが」
「何でしょう」
「これ、もしかしなくても、……いわゆる、バカップル、という奴ではないでしょうか」
バカップル。
夫婦病の一つであり、妻ないし旦那が可愛く見えすぎるせいで、周囲の視線を気にしなくなる視野狭窄が、主な症状だ。
他にも、所構わずいちゃついたり、他人の目が気にならなくなったり。
重症の場合、思わずちゅっちゅしてしまう、らしい。
「…………」
「…………」
チヒロはハタと正気に戻り、ハタノもそのまま固まる。
ソファの上で、ぱちぱちと瞬きする二人。
で、チヒロはこてんと首を可愛く傾けてから、ハタノに告げた。
「まあ……人目はありませんので、良いのではないでしょうか?」
「そう、ですね。夫婦が仲良くするのは、仕事ですし」
「ええ。仕事ですからね。――いまは、仕事以外でも好きですけれど」
妻が宝石のような瞳をうるませ、ハタノの身体へぽすんと体重を預けてくる。
その身体を抱き留めつつ、ハタノはもう、この病は一生ものかもしれないと思い――むしろ死ぬまで煩って欲しいなと願いながら。
もう一度、愛しい妻へ優しい口づけを降ろしたのだった。
そうして一夜が過ぎ――
ハタノの院長就任の日が、やってきた。
――――――――――――――――――――――――――
二章幕間はここまでです。
三章開始は11月中旬を予定しています、いま暫くお待ちください。
なおサポーター様限定で、今日明日中にチヒロの過去編を三話ほどUP致します。
(内容が重いので、本編外とさせてください)
またサポーター限定様の方向けには、三章の早読みもそのうち公開する予定です。
もしご興味がありましたら宜しくお願いいたします。
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