5-6.「私も、同じ気持ちですよ、チヒロさん」
「それにしても、相変わらずすごい人の数ですね、旦那様。建物も、見たことないものばかりですし……」
「ええ。そしてそれ以上に、文明を扱い慣れている人の多さが、技術力の高さを物語っています」
東京駅郊外。
ハタノ達はこちらの世界の私服に着替え、一般市民に混じりながら、感嘆の溜息をついていた。
こちらの世界を訪れてからの一週間は、まさに、人生が覆るほど驚きの連続だった。
田島氏の案内により、ハタノ達がまず連れられたのはこの世界の治癒院――病院だ。
感染症のチェック及び安全性の確認、および全身検査のためのスクリーニングを行うらしい。
と、案内された病院で、ハタノは思わず声をあげてしまった。
「おお、噂に聞く本物の病院です……ああ、見てくださいチヒロさん。採血セットだけでこんなに綺麗な道具をぽんぽんと……」
「だ、旦那様、採血されながら騒がれるのはあまり……」
「すみません治癒補助師さん。この採血セットは一般の治癒院でも使われているのでしょうか。採血データは……え、電子カルテ? 患者データを院内のどこでも見れる? すみません今お時間宜しければお話を。時間は取らせません、ほんの一時間ほど……」
「待ってください旦那様、完全に不審者ですよ!?」
珍しくチヒロに嗜められたが、その後もハタノは超音波エコー装置や心電図、CT、MRI装置等を見るたび、興奮のあまり目を輝かせてしまった。
頭では良くないと分かっているのだが、最新の医療機器があるとわくわくしてしまうのは医療人の性なのだ。
「旦那様っ」
「す、すみません。つい」
「もう。……でも珍しいですね、旦那様がそこまで仰るなんて。でもいけませんよ、旦那様。私達はいま、異世界の代表としても見られているのですから。帰還するまでの間とはいえ、あまりはしたないことは――」
と、たしなめるチヒロさんであったが、彼女も都内某所にある防犯グッズセンターにて大変に興奮していた。
「え、警棒や模擬刀はともかく、スタンガンに催涙スプレー……? それに、防犯ブザーに防弾チョッキまで。これを一般市民が……!」
「チヒロさん?」
「軍事用として用いるには物足りませんが、一般市民でも購入できるほど普及しているのは驚きです。ああ、さらには防災グッズまで……先日の”宝玉”事件など、こういうものがあれば勇者の助力がなくとも救援が楽に……今度、帝国の安全管理局に連絡して対策を……」
「チヒロさん、落ち着いてください。私達はあまり目立ってはいけませんので」
ハタノが医療人であるのと同じように、チヒロも相変わらず勇者であった。
その後も二人は、国内観光などそっちのけで都内のめぼしい店を見回った。
とくに入り浸ったのが本屋だ。最近は数が減ったと聞くが、それでも医学書に専門書、この世界の軍事レベルからマニアックな資料まで揃っている、ハタノ夫婦にとっては宝の山だ。
付け加えて、帰宅した後も動画――サクラが以前見せてくれた、スマホ、なるものの道具で様々な知識を漁った。
このスマホとやらの能力は凄まじく、原理は不明だが世界とつながり、あらゆる知識を即動作で見せてくれるらしい。
医療の事細かなテクニックまで、ワンタップで表示されるのは驚異的としか言えない。
「……噂に聞く、賢者の石とはこのようなものを言うのでしょうか」
「賢者の石?」
「あらゆる知識を内包したという、空想上の魔導具です。もっとも、私達の世界のすべての知識を動員しても、この世界には勝てないと思いますが」
文字通り、桁が違う。
人が空を飛ぶことすら夢物語の世界に住むハタノにとって、飛行機が平然と飛び交い、宇宙というその上の世界に至ることなど想像もできなかった。
この世界に必要なのは、”才”ではない。
様々な機器を扱う”技術”と”頭脳”――ある意味で”才”よりも残酷な格差がそこに存在し、一方で、その恩恵を享受していることを自然に受け止める文化レベルの高さ。
文字通り、神の世界だ。
そうして気づけば一日二日が過ぎ、一週間が過ぎていく。
清潔感のある室内に、ふかふかのベッド。
贅をこらしたわけでもない、平凡にも関わらず美味しい食事。
「身体がなまると良くないので」と、チヒロさんは最近通い始めたジムで運動に勤しみ、ハタノは購入した大量の医学書に目を通すことでさらなる知識の獲得に勤しんでいく。
その日々は――ハタノ達にとって、ある意味、分相応なくらいに幸福な時とも、言えた。
もちろん、理解している。
この世界でも、凄惨な戦争が数多く起きていること。
”才”の代わ殺戮兵器が戦場を飛び交い、新たな悲劇を生み出していること。
貧困と飢餓、利権とイデオロギーの衝突。
火種が世界で燻り、悲劇はすぐさま世界中に張り巡らされた情報網により世界へと伝播する、危うい世界――
それでも、ハタノ達のいる世界に比べれば……。
「そういえば、旦那様。先日お伺いした、大学病院の方はどうでしたか?」
「ええ。治癒魔法を見せたところ、大変驚かれていました。実際に私が手術中の応用について語ったところ、ぜひうちに来て欲しい、と」
そしてこの世界の治癒師――医者は、ハタノとある意味でよく似ていた。
性格は様々だが、その本質はどうしようもない医学バカ。
知識に貪欲で好奇心を抑えられず、ハタノがひとつ魔法を見せただけで、大人達がまるで子供のようにキラキラと目を輝かせながら「どんな治癒ができるか」と検討する。
それを見て、思う。
もし、ハタノがこの世界に居続けることが出来れば、多大な貢献ができるだろうな、と。
生活に困ることもなく。
日々美味しいご飯を頂き、無限の知識を吸収できる。
ハタノもチヒロも唯一無二の存在として重宝され、望むなら、帝国以上の待遇をもって迎えられる。
それは、安全と平穏を愛するハタノにとって……
そして、チヒロにとっても理想的な世界だろう。
素直な欲望に従うなら、夫婦揃ってこの世界に住めば。
もしかしたら、帝国のような圧を受けることなく、自由に、幸せに過ごせるかもしれない。
……けど。
けれど――
「……旦那様。その」
「はい」
「……もし、サクラさんの”異界の穴”が、再び開いた時のことですが」
運動を終えて一息ついたチヒロが、ハタノに囁く。
……きっと。
……いや、必ず。
彼女も同じ想いだろうなと気づきながら、ハタノは彼女に先を促す。
チヒロは、すこし不安げに。
それでもまっすぐに、彼女は微笑んで。
「この世界は、とても素晴らしいと思います。ですが、私はやはり帰りたいと思います。……旦那様は、如何ですか?」
「ええ。私も、同じ気持ちですよ、チヒロさん」
至上の楽園とまでは呼ばないが、恵まれたこの世界は、ハタノ達にとって居心地が良く。
けれど、あまりにも――眩しすぎた。
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