1-6.「妻を不安にさせては、旦那の名折れです」
「チヒロさん。お仕事の方はキツくありませんか?」
「私はまだ、試験飛行の段階ですので。それに以前より重用されているおかげか、皆様方の目も温かく感じます。前に比べれば、ぜんぜん、ですね」
一糸まとわぬ姿のまま、チヒロがハタノにすり寄りながら囁く。
夫婦の時間を終え、ベッドでゆるりと寝転んだまま、ハタノは妻を抱き寄せ銀髪をさらりと撫でながら愛しい笑みを浮かべた。
チヒロが大変でないなら、良かった。
それだけで今のハタノとしては、満たされた気持ちになる。
「……旦那様こそ、慣れない仕事で大変ではありませんか?」
返答に、すこし迷った。
が、彼女なら良いだろう、と語る。
「正直にいいますと、すこし、キツイですね」
不慣れな院長業務。見知らぬ相手との交渉や、接待の連続。
患者とただ向き合ってれば良かった時と異なり、自分が今まで関わってこなかった業務に手間取っているのは、事実だ。
「旦那様がキツイと仰るということは、よほど大変なのですね……」
「そうでもありませんよ。いきなり患者が死ぬ訳ではありませんし、それに、仕事とはなんでも大変なものですし」
「他と比べてどうかは関係ありません。旦那様が辛いと思ったのなら、お辛いのでしょう」
ベッドの中、妻がそっと指先を絡めるように自分の手を握る。
人肌の温かさを感じながら、ハタノはふっと胸の奥底にたまった淀みを吐き出すように、愚痴た。
「そうですね。正直に申し上げますと、どこから手をつけて良いかわからない状態です」
ハタノは典型的な現場人間なので、交渉や根回しに弱い。
エリザベラのように直情的な人なら相手できるが、治癒院にただよう空気を変えるだとか。雷帝様のように破竹の勢いで何かを成していくのは、ハタノには向いていない。
それにまだ、帝都中央治癒院に勤める”特級治癒師”との挨拶も、きちんと終えていない。
エリザベラは、どちらかと言えば腫れ物扱いされる側。
他の三名との顔合わせが、最初の山場になるだろう。
それ以外にも、自分の方針を示す必要もあるし……どうしたものか。
「チヒロさんなら、こういう時どうされますか?」
人に相談できる――その心地よさを覚えながら、ハタノが尋ねると。
「私の”勇者”としての運用は、上層部に任せているので、参考になるか分かりませんが。やはり実践が一番かと」
「実践、ですか」
「はい。もちろん私の実力をやっかまれたり、手法を疎む声もありますが……雷帝様をはじめ、実力をしかと認めてくれる層は、どこにでも必ずおられます」
確かに。
思えばハタノも、雷帝様に実力を理由に重用されたと言ってもよい。
やはり自分の治癒方針を、実際に院で見せるのが丁度よいか。
(院長外来などを設けてみましょうか。最初は患者が来ないかもしれませんが、うまく患者様がつけば……)
専門の外来を行い、実践形式で見せる。
他の治癒師がさじを投げた者や、紹介を受けた者であれば?
「ところで、旦那様。ほかの“特級治癒師”の方との、ご挨拶は」
「顔は合わせましたが、きちんとはまだ……ああでも一人、面白そうな子はいましたね」
妻に、エリザベラについて伝える。
治癒師としては未熟だが、”才”については圧倒的。
頭はちょっとアレだが、正しく学べば伸びるだろう、とハタノがお墨付きを与えると、チヒロが薄くはにかんだ。
「旦那様らしい考えですね。それに、旦那様が好きそうな方です」
「そうですか?」
「性格は甘いようですが、根が素直で実直。……旦那様は言い訳を好まない方ですし、正面からぶつかってくる方のほうが相性がよいと思いますよ」
そうだろうか。
けど、妻がそう言うのならそうなのだろう。
チヒロの目利きは確かだ。信頼がおける。
とはいえ、治癒魔法に絶対の自信をもつエリザベラが、そう簡単になびくことはないだろう――
と、考えていると。
チヒロがころんと、ハタノにしなだれかかるように転がってきた。
チヒロさん? と、ハタノが返す前で、素肌のまま掛け布団を持ち上げる、チヒロ。
そのままハタノに馬乗りになり、可憐な銀髪と柔らかな素肌をさらしながら、愛しさにゆるんだ瞳でハタノを見つめてくる。
……甘えている、のでしょうか?
ちょっと不思議に思うハタノに、妻がそっと口づけを落とした。
ん、と薄く交わる唇。
ハタノは彼女の銀髪をさらりと指先に絡めながら、なぜか不満そうに唇を尖らせている妻へと問う。
「どうしましたか、チヒロさん」
「仕事熱心なのは大変よいですし、私も嬉しく思いますが……旦那様は、仕事のことになりますと、見境がないので」
「え」
「年下の可愛い治癒師に、浮気などをしないでくださいね」
「……?」
「昔の私なら、仕事ですから、と割り切れたのですが……」
裸のまま、チヒロはハタノの上でもじもじと唇を揺らしながら。
こくり、と小さく唾を飲み込み、照れながらも、ハタノをじっと見つめ。
「その……せっかく、人生で初めて愛を語った旦那なのですから、妻としては独り占めしたいな、とも思いまして」
ようやく、彼女が言いたかったことに気づく。
チヒロはどうやら、ハタノが若い女に懸想するのでは――とまでは考えてないと思うが、仕事であっても近づきすぎることに、ちょっと拗ねているらしい。
(なんと可愛い)
もちろん妻も本気では言ってないだろう。
業務に理解ある妻だし、ハタノも仕事は仕事だと割り切る方だ。
が、それはそれ。これはこれ、である。
「すみません。考えたこともありませんでした。チヒロさんが可愛すぎて、他の女性に目を向けるだなんてこと想像もできなくて」
「っ……旦那様って実は、そういうのを素で仰いますよね」
「……前は、恥ずかしくて言えなかったのですけれどね」
今はもう、妻に対する愛情を隠す必要はない。
であれば、きちんと告げた方が妻のためになるだろう。
とはいえ、妻を心配させてしまうようでは、旦那としてふがいない。
……今日は、一日の疲れをいやして貰えたこともあるし。
少しばかり、妻にお礼もかねて安心させねばならないだろう。
ハタノは裸の妻を優しく撫でながら、どうしようかなと考え――
「チヒロさん。最近、チヒロさんは私の前で翼を出されなくなりましたよね」
「はい。竜魔力も安定しましたし、不意の感情の揺らぎで出ることもなくなりましたが……」
「すこし、出して頂いてよろしいですか?」
チヒロが小首を傾げながら、もぞりと、背中を揺らす。
ハタノの前で広がる、小ぶりな銀の翼。
身体を重ねる度、何度も見たその翼をさらりと撫でながら、……ハタノは己の指先を、そろりと翼の付け根へ伸ばしていく。
びくっ、と彼女の身体が跳ねた。
「ひゃっ。だ、旦那様?」
「チヒロさんは耳も弱いのですが、翼のつけ根も意外と弱いのを、旦那としてよく理解しておりまして」
「っ、そのようなこと――あ、ちょっ! んんっ!?」
チヒロが悶え、自分の身体の上でびくびくと跳ねるのに構わず、ハタノは指先で撫でながら優しく弄る。
妻が抗議の悲鳴をあげ、けれどその声に色づいたものが含まれてることを察しながらハタノは身体を起こし、妻チヒロを愛おしく抱きしめた。
「ん、っ! だ、旦那様!?」
「妻を不安にさせては、旦那の名折れです。なので、チヒロさんに思い知って頂こうかと。……私が、他の女性に見向きなどする余裕もなく、この可愛らしい妻のことを隅々まで好いている、と、その身体で知って頂きたく」
「す、すみませんでした旦那様、疑ってしまって……っ!」
妻がパタパタと羽をはためかせるが、もう遅い。
男として、或いは旦那として高ぶり始めた心がいまさら収まるはずもなく、今日は徹底的にいじめ……じゃない、可愛がることで自分の気持ちを証明しようと、慣れた手つきで優しく指を沿わせていく。
チヒロがハタノをよく知るに、ハタノもチヒロのことをよく知っている。
「今夜は寝かせませんよ」と囁きながら、悶える妻の手を取り、ころんとベッドで体制を入れ替えて。
抗議するチヒロへ強引に口づけを降ろしつつ、ハタノはその麗しい身体にゆっくりと手を伸ばし始めた。
彼女はもう誰にも渡さないし、自分もまた、他の女に見惚れる余地もない。
是非ともその心意気を、妻に知ってほしいと思いながら。
*
――帝都上層部より緊急の呼び出しがかかったのは、その翌朝。
ハタノが(昨晩燃えすぎたせいで)ちょっと疲労を覚えつつ、妻と顔を赤らめながら朝食を取っていた矢先に、その一報は飛び込んできた。
「すみません、ハタノ様。雷帝様より、帝都魔城にて緊急会議が開かれることになりました。ご出席の程、よろしくお願いします」
「内容は?」
形式上、ハタノは帝都中央治癒院の長。
すなわち帝国医療界のトップであり、その自分に緊急招集がかかる程の事例とは?
来訪した使用人に問うと、「宝玉」と呟いた。
「宝玉?」
「子細の程は、私も分かりません。が、ひとつ確かな情報としては」
――ガルア王国郊外にある都市が、一夜にして半壊した、と。
ハタノは訝しげに、眉を寄せた。
――――――――――――――――――――――
IQ3→IQ2
次から真面目な話に戻ります……!
○ご連絡事項
1.カクヨムコン9に参加しました
皆さま改めまして、本作品を気に入られていましたら、☆評価やレビュー等で応援していただけると嬉しいです。読者様の一声が本当に大切なので!
……とは言いましたが、この文章をお読み頂いている時点で、既に猛者の方々とお見受けしますが(笑)
今さらかとは思いますが、宜しくお願いします。
2.おまけの18禁ノクターン追加版
カクヨムコン投稿記念で、二人の初めてのシーン(一章1-4)追加版を書きました。他サイトになりますが、ご興味がありましたら下記よりどうぞ
https://novel18.syosetu.com/n4766in/
3.新作投稿しました
「人が苦手な僕と陰キャな彼女は、恋人(偽)だけど自分の部屋でゆっくり自由に過ごしたい」
学生同士の契約婚もの。同じくカクヨムコン9参加作品です
現代ラブコメのため本作と大分ジャンルが違いますが、ご興味がありましたらフォロー宜しくお願いします。
https://kakuyomu.jp/works/16817330667661879279
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