1-5.「二つ一緒じゃ、ダメですか?」

 その日の仕事は結局、深夜までかかってしまった。

 初日の崩落事件の影響はもう無いが、新院長としてハタノが行うべきことは山ほどある。


 治癒院の現状把握。各所への挨拶を始め、いまの院がどういった仕組みで動いているかの再確認。

 そして、今後の改善方針の作成。


 最初から、ハタノの外科治癒を押しつけては反発が出るだろう。

 帝都中央治癒院の、いまの風土をある程度理解した上で、彼らに受け入れやすい形を作らねば――と、ヒアリングをかねて現場の視察をしているのが、今の段階だ。


 雷帝様はハタノのことを、お飾り院長でも構わないと言った。

 が、仮にも院長になった身としては、何かしら成果につなげる活動に励みたいとは思う。


(とはいえ、言葉や論理だけを示しても、効果は薄いでしょう)


 やはり実際の治癒をもって、彼等に見せるのが一番。

 ハタノの治癒は、従来の治癒魔法とは別の形で患者を癒やせるのだと、きちんと実績で示さなければ。


 ……と、今日も悩みながら、ハタノは治癒院から馬車に乗り、帝都魔城へと帰宅した。


 現在ハタノ夫婦は自身の安全確保もかね、帝都魔城にある客間の一角を住まいとしている。

 豪華スイートルームにも劣らぬ一室。

 自分の身にはあまる待遇だと感じつつも、まあ、妻がいるならどんな部屋でも大丈夫だろう、と自室のドアを開け――


「お帰りなさいませ、旦那様」

「ええ。ただいま帰りました、チヒロさ……」


 とたとたと可愛い足音と共に迎えてくれた妻に、ハタノはぴたりと固まった。


 銀髪を揺らし、にこりと頬を柔らかくゆるめて迎えてくれたのは、いつも通り可愛らしい妻チヒロだ。

 色白ながらもふにっとした微笑を浮かべ、疑いようのない愛の眼差しを含みながら見上げてくる、ハタノの愛した女性……

 なのだが。


 ハタノの視線は自然と、彼女の身体へと向けられる。


 彼女はいつもの和服姿……の上に、今日は新たな装いを施していた。

 白い肩紐を乗せ、ストレートに伸びた前掛け。

 白いフリル付きの、すらりと伸びた清潔感あふれるその名を、ハタノももちろん一般知識として知っている。


 ――メイドご用達の、白エプロン。

 ごく普通の。箒とかを片手に持っているのが似合いそうな、例のアレだ。

 けど、と、ハタノは混乱する。


(可愛い妻が、また可愛くなっている……じゃない。何故チヒロさんがエプロンを?)


 ハタノが知る限り、チヒロは料理をしたことがないし、料理に興味があるという話も聞いたことがない。

 妻の食事も相変わらず草だし、ハタノの夕食は頼めば帝都魔城の使用人が届けてくれる。

 なので料理の必然性がないのだが、そんなことは関係なく可愛い。


 じゃなくて。


「チヒロさん。何故、エプロンを?」

「……似合いませんでしたか」

「いえ。大変似合うというか、チヒロさんは何を着られても可愛いですが、どうしてエプロンなのかな、と」


 勇者家業の一環だろうか?

 エプロン姿で使用人に扮し、どこかの密偵に赴く、とか?


(そんなことをされては、全世界にチヒロさんの可愛さがバレてしまう)


 それは大問題だ。

 チヒロさんのエプロン姿を、敵国にさらすなど。

 いや帝国内でも大問題だ。国内にチヒロさんの可愛さがバレてしまう。


 必要があれば雷帝様に抗議せねば、とハタノは大真面目に考えつつ、彼女の肩にするりと手を乗せた。


「チヒロさん。嫌なことがあるなら、断ってもいいのですよ」

「へ???」

「以前の私には、何の力もありませんでした。が、今なら多少の融通が利きます。そのような格好で、どこかに密入国するような仕事よりは……もっと有益な仕事がありますでしょうし」

「密入などしませんが」

「ではどうして、エプロン姿なのでしょう?」


 業務上の理由が思いつかず、うーんと考えるハタノ。

 対するチヒロは、困ったように頬をちいさくカリカリと掻いて。


 ほんのりと顔を赤らめながら、……そのぉ、と。


「これは、その。……旦那様もご存じの通り、私は最近、雷帝様直属の”翼の勇者”として訓練を行っているのですが」

「飛行訓練ですね。話は聞いています」

「ええ。その際、雷帝様お付きの方々とも交流を重ねておりまして。幸い、彼女達は”血染めのチヒロ”なる私の異名を気にしないようでして」


 雷帝様直属の配下となれば、実力主義が根付いてるだろう。

 チヒロさんとの相性も良さそうだ、と、彼女の新しい環境に喜ぶハタノだったが、そんな思考は妻の一言で吹っ飛んだ。


「その方々から、助言を頂いたのですが……こういう格好をすると、旦那様が喜ぶよ、と」

「んふっ」

「旦那様?」


 しまった。変な声が出た。

 ハタノはむせたのを誤魔化すように咳払いをはさみ、頭を抱えて視線を逸らす。


(いや確かに、正解ですが!)


 まっさらなエプロン姿で出迎えてくれる妻。ハタノも旦那として、ドキドキしない訳ではない。

 正解ではある。

 が、余計なことを持ち込まないで欲しい、というか……。


「旦那様。もしかして私、からかわれていましたか?」

「……そういう訳ではありませんが」

「申し訳ございません。よく考えましたら私、旦那様の好みも聞かずに勝手な格好をしてしまったかと……今すぐ脱ぎますので、失礼」


 と、肩紐をはずそうとするチヒロさんの腕を、ハタノはごく自然な流れで、掴んだ。

 ぱちりと瞬きをする妻に、ハタノは唇をちょっと歪めながら、……正直、可愛すぎて反応にすごく困る――


「その。……別に、可愛くない、とは一言も言っていません……し、チヒロさんは何を着ても可愛いです」

「…………」

「なので、ええと。もう少しそのままで居て貰えると……」


 言い訳より先に、本音が零れた。

 いやだって。

 可愛いし……。


 ハタノは自分でも顔が赤くなるのを自覚しつつ、でも次に何を言えばいいのか分からず顔を逸らす。

 妻はいつ見ても可愛いのだが、可愛い、と告げたあとにまた可愛いと告げるのも変な気がするし……


 と、あたふたしていると、チヒロさんがふふっと柔らかくはにかんだ。


「よかったです。それと、お帰りなさい、旦那様。今日もお仕事、お疲れ様でした」

「っ、は、はい。チヒロさんこそお疲れ様でした」

「ええ。そして普通の夫婦はこういう時、このような台詞を言うそうですよ」


 チヒロが少し背伸びをして、ハタノの耳元に寄り添い、囁くように告げる。


「ご飯にしますか? お風呂にしますか?」

「……じゃあお風呂で、」

「それとも、私にしますか?」


 耳元で、イタズラ好きの妖精が誘うような小声で呟かれる。

 ハタノは思わず顔が熱くなり、そして囁いた側であるチヒロもほんのりと耳まで赤くしつつ、……そっと、頬にキスをされる。


 そんなことをされたら、答えなんて決まったようなものじゃないか。

 と、理性ががらがらと崩れるのを感じながら、ハタノは妻に微笑み、――こちらもイタズラを返す。


「二つ一緒じゃ、ダメですか?」

「え」

「お風呂とチヒロさんを一緒に……と」


 自分でも何言ってるんだと思ったが、思った時にはもう言ってたので仕方が無い。

 そう、これは仕方が無いのだ。

 それにほら、チヒロさんと一緒にお風呂に入った方が、色々と……効率的だし。


(??? 何が効率的なんでしょうか???)


 自分で考えながら、意味が全くわからなかったが――


「ふふ。今日の旦那様は、ちょっとワガママですね。でもそんな旦那様も好きです。……今日はお仕事でお疲れなようですし、私が元気づけてあげますね」

「んぐっ……」


 耳元で囁かれて、ハタノの気持ちがぐらりと揺らぐ。

 いかん。うちの妻は、こんなに愛情豊かであっただろうか?

 と思ったが、自分ももしかしたら大概かもしれない。


 この調子で一日我慢できるかな、と、ハタノは最近妻の前でゆるみまくった己の理性に些か自信をなくしながら、妻に手を取られて、ゆっくりとお風呂に向かう。




 もちろん、色々と我慢できないのは火を見るより明らかであった。





――――――――――――――――

仕事は大真面目なのに、家に帰ると途端にIQ3になるハタノ君。

……いや、お馬鹿なのは旦那だけではないか……?

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