1-4.「この力を、世間では”権力”と呼んでいます」
「すみません。じつは魔物に襲われまして」
「魔物は人間の顔だけを丁寧に殴ったりしませんよ。DVでしょう」
頬に青あざを作り、ふたたび帝都中央治癒院にやってきた女性患者を診察室に案内するなり、ハタノはすぱっと告げた。
DV。
帝国をはじめ、この世界では馴染みがないが、家庭内における暴力行為――親子、夫婦関係を問わず家の中でふるわれる暴力の総称を示す。
もちろんDV自体は病名ではないものの、外傷の原因が家庭内にあるのであれば、治癒師として触れない訳にはいかない。
同席したエリザベラが、くい、とハタノの袖を引いて耳打ちする。
「DVって何? ていうか、ハタノ。この患者、前は崩落事故のときに来たのよ? 殴られた、って、おかしくない?」
「偶然ではなく狙って来たのでしょう。暴力だとばれないように」
「は?」
「崩落事故のときに患者が来たから、崩落事故が原因である、と私達に思い込ませ、暴力を隠蔽するために、です」
木を隠すなら森の中。
DVを隠すなら事故の中。
ハタノはふっと息をつき、柔らかい治癒師の微笑みを浮かべながら、彼女に促した。
「……もう一度聞きます。殴られたのでしょう?」
「違います。ですから魔物に……」
「こちらの部屋は防音使用になっております。また治癒師として、個人情報を漏洩しないことはお約束します」
「ですから違うんです! 本当に、転んだだけなんです!」
(ね、ねえハタノ。さっき魔物に殴られたって言って、いま転んだって)
(理由が二転三転するのはよくあります。が、そこは主題ではありません)
正論で畳みかけるのは容易いが、それでは相手の心を追い詰めるだけ。
要するに彼女は、バレたら怖い目に遭うから嘘だと分かってても必死に取り繕っている……という状況だ。
ハタノはゆるりと笑い、すこし、姿勢を崩す。
相手に緊張感を与えないよう微笑みながら、そっと手を差し伸べ、けれど強要せず続けた。
「そうですね。確かに転んだだけ、かもしれません。……ただ私は治癒師なので、ほかに理由がないかなと、気になっただけなんです」
「…………」
「安心してください。例えほかの理由があったとしても、私は怒ったり、怒鳴ったりしませんよ」
自分はあなたの味方です。
あなたを陥れたり、無理やり話を聞き出したり、決めつけたりしません。
たとえ嘘を言ってもいい。
自分の身を守りたいと思うのは、人の自然な気持ちだから。
物腰柔らかく微笑みかけたのち、ハタノは患者である彼女に先を促す。
彼女――名を、メイさんと仰る方は、やがてぽつぽつと口を開いた。
「……私が悪いんです。全部私が悪いんです。言われたことをすぐ忘れてしまって、ご飯が、でも掃除をしなくちゃいけなくて……旦那は私のためを思って教えてくれてて、だからこれは殴られたのではなく、私のためで……」
「はぁ? んなの殴った方が悪――」
「エリザベラ教授、お静かに」
エリザベラを黙らせつつ、ハタノは彼女に続きを促した。
――それは帝国でよく聞く、才差結婚問題だった。
何らかの理由で、高い”才”を持った旦那と、低い”才”を持った妻が婚姻に至った場合、その才差から旦那が妻に暴力をふるう傾向がある。
男女逆でも起きうるが、パターンとしてはやはり男性側からの方が多い。
ハタノは聞き役に徹し「そうですか」とひたすら頷いた。
メイさんの主張はもちろん、ころころ変わった。
最初は家事ができない自分が悪い、に始まり、旦那の好みが分からない、高い”才”の旦那と結ばれたことは喜ぶべきことなので自分が頑張らなくてはならない。
けど自分は”才”が低いから家事ができない……
(ハタノ。この人、言ってることがめちゃくちゃ……てか、才が高いのと家事は関係ないでしょ)
(それくらい本人が混乱している、ということです。そんな方に治癒魔法ぶつけて追い返したのは誰です?)
(…………)
そわり、とエリザベラが椅子から身体を起こし――
あ、と思った時には遅かった。
「ね、ねえあなた。旦那と別れたら? どのくらいの”才”か知らないけど、帝国でも特級クラスの”才”じゃなければ相手を変え……」
「なに言ってるんですか絶対にダメです! 彼は”才”も高いし、とても優しい方なんです。別れるだなんてできません!」
「けど、どーみても幸せそうじゃなぐえっ!? は、ハタノ止めんなっ」
「そうですね。帝国で”才”の高いかたと結ばれることは、幸せなことです。……けど、そのぶん苦労もあるでしょう。宜しければ聞きますよ」
もちろん、ハタノとて彼女が間違っていることは理解していた。
が、ここで全否定してしまえば、彼女は心を閉ざし、帝都中央治癒院を訪れることは二度とないだろう。
全否定はしない。
彼女に共感し、信頼を得つつ、ゆっくりと正しい方向へと姿勢を修正する。
治癒魔法では治せない、心の病への対処法だ。
そうして暫く話を聞き、ハタノはゆっくりと彼女の意見を修正しようと進言する。
「お話は分かりました。……ただそれでも、殴られるのは痛いですし、あなたご自身の健康を損なわれては、旦那様だってお困りになられると思います。微力ではありますが、私達にも協力をさせて貰えないでしょうか」
「……協力、ですか」
「ええ。奥さんがいまのまま上手くいかないと仰るのであれば、うまくいく方法を一緒に探しましょう。そうすることで、旦那様も不機嫌にならず、あなたが殴られなくなれば私の仕事も減る。でしょう?」
優しく語りながらも、ハタノはどうしたものかと考える。
旦那が、妻を殴るなどハタノには考えがたい行為だが……それはともかく、帝国ではDVに対する理解が薄い。
麻薬や犯罪行為は通報できても、DVを理由に帝国兵への引き渡しや強制隔離は、法整備そのものが整っていない。
時間をかけて彼女の認知の歪みを正すことが出来たとしても、その間、旦那の方をどうするか――
……仕方ない。
あの手を使うかと思いつつ、診察終了とともにハタノは患者へ柔らかく頷いた。
「また何かありましたら、当院をおたずねください。必ず、力になりますので」
*
「分かりましたか、エリザベラ教授。あなた、患者の背景を見ていなかったでしょう」
「っぐ……!」
「私を遙かに超える力をお持ちなのに、それでは宝の持ち腐れですよ」
エリザベラが拳を振るわせ、けれど、反論はない。
それは彼女が、物事を正しく理解したことを意味する。
ここで言い訳がましく、自分は悪くないと言い張るなら、ダメだと思うが――
彼女の態度を見る限り、思うところはあったらしい。
「……ね、ねえハタノ。さっきの患者、どうするの?」
「といいますと?」
「確かにあたしは見逃したわ。けどあなただって別に、あの人を治癒できたわけじゃないでしょ。旦那の元に返したら、それこそまた……」
「ええ。帝国はDVに対する理解がありませんし、仮にあったとしても、人一人を強制隔離するというのは難しいものです」
このまま放置すれば、彼女はまた殴られる……だけで済めばいいが、最悪のケースも考えられる。
もちろん、ただの治癒師が家庭の事情に介入できるはずもない。
……が。
今のハタノは、曲がりなりにも帝都中央治癒院の院長だ。
昔は不可能と思われたことも、今なら、できる。
「エリザベラ教授。実は私、治癒については非道というか、手段を選ばないところがありまして……。今回はすこし、劇薬を使わせて貰います」
「なにそれ。薬?」
「急ぎ行うべきことは、旦那の暴力を物理的に止めること。つまり患者本人ではなく、旦那を止めればいいんです。妻に暴力をふるうな、と」
「は? それ脅迫でしょ。帝国兵に捕まるわよ?」
「問題ありませんよ。私、捕まりませんから」
は? 眉を寄せるエリザベラに、ハタノは意地悪げに人を細めた。
正直、自分がこんな台詞を言うときが来るとは思わなかったが……
ハタノは白い歯を見せ、物語に登場する悪の幹部のように、笑う。
「いまの私は帝都中央治癒院の院長で、妻は世界一かわいい勇者で、私達のバックには雷帝様がついています」
「は?」
「ですので私が白昼堂々ナイフで人を刺したとしても、罪に問うことは難しいでしょう。この力を、世間では”権力”と呼んでいます。才とはまた異なる力ですね」
「…………」
「ついでに、うちの妻はなんと空が飛べ、闇夜に乗じた暗殺がとても得意なんです。脅迫のひとつやふたつ、仕事とあれば容易く行えることでしょう」
我ながら、権力とは恐ろしいものだと思う。
人命のためとはいえ、使いすぎるのも良くないな……と、ハタノは内省しつつエリザベラを見れば、彼女は見事にドン引きしていた。
しまった、やり過ぎたか?
コホン、と態度を改め、ハタノはすみませんと謝罪する。
「今のはあなたへの脅しのようにも聞こえましたね。すみません……引きましたか?」
「いや。それよりアンタが普通に、自分の妻を世界一かわいいとかいう方がドン引きなんだけど。いやまあ、堂々と脅迫宣言するのもどうかとは思うけど」
そうだろうか?
ごく普遍的な真実を語っただけだが……という顔をしたら、エリザベラは何故か苦いものを噛んだような顔をしながら椅子をずりずりとハタノから離す。
何を不信に思われてるのか分からず、ハタノは小さく、首を傾げた。
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