1-3.「アンタの言うこと何でも聞いてあげるわ!」

「素人? アンタいま、あたしのこと素人って言った?」


 ”特級治癒師”エリザベラが青筋を立てて抗議をするが、ハタノは無視。

 椅子に腰掛けていた若い男性患者に「怖くありませんでしたか」と囁きながら、頭の傷を癒しつつ魔力精査を行う。


 腕の外傷の方は、先ほどのエリザベラの広域治癒により癒されているようだった。

 彼女の魔法の威力の確かさを実感しつつ、ハタノはそのまま頭蓋内の病変も魔力精査。問題なし。

 大丈夫ですねとハタノは男に声をかけ、次の患者に移ろうとして――


 エリザベラに、ぐっと肩を掴まれた。


「ちょっと! 今のどういう意味よ!? あんたね、負け惜しみ言ってんじゃ……」

「すみませんが、今は診察を優先してもよろしいでしょうか」

「っざけんな! 今あたしが全部治したでしょ、どいつもこいつも! なのに何見て……」

「あなたこそ、何処を見てるんですか? よく見てください。他の治癒師の多くは、あなたの治癒魔法のあとも診察を止めていませんよ」

「――え」


 そこで初めて、エリザベラが周囲を見渡した。

 彼女の”広域治癒”を受けた患者と、それを見ていた治癒師達は――戸惑いながらも、その多くはまだ診察を続けていた。


 ある者は診察室に案内し、改めて治癒を。

 別の者は、診察室が足りないためその場で患者に声をかけ、魔力精査を行っている。

 エリザベラの魔法で改善した、ああ良かったね、と帰宅させる者は殆どいない。


「なんで……あたしが治して」

「エリザベラ教授。残念ながら、今のあなたは治癒師としては三流以下と言わざるを得ません」

「どういう意味よ」

「簡単なことです。あなた、怪我は治せても、患者を見てないでしょう?」


 確かに彼女の”広域治癒”の威力は絶大だ。

 ここが戦場で、一刻を争う治癒が求められるのなら、絶大な力を発揮するだろう。


 が、いまの帝都中央治癒院には、十二分な治癒師がいる。

 怪我人も、軽傷が多い。

 であれば全体に治癒魔法をぶちまけるような雑な治癒よりも、一人一人の患者に向き合った治癒こそが最善なのは、誰の目にも明らかだ。


「エリザベラ教授。確かにあなたの治癒魔法は凄まじい。けどそれは、いま求められている治癒ではありません。……もし怪我に見落としがあったら? 治癒魔法は外傷そのものには強いですが、傷から入り込む汚染対策を十二分に行わないと、後ほど悪化する可能性があります。それに、隠れた骨折、臓器損傷、あるいは脳出血――きちんと魔力精査を行わないと分からない病は、いくらでもあります」


 ハタノと帝都中央治癒院の治癒師達は、まだ良好な関係とはいえない。

 治癒方針も異なる。


 が、それでも彼らは帝都中央という、帝国随一の医療施設で経験を積んだ治癒師だ。

 ただ治癒魔法をかけて帰宅させるような者はいない。

 そもそもただ治癒魔法だけで事足りるなら、治癒院という施設は不要なのだ。


「エリザベラ教授。言うなれば、今のあなたは大きな武器を振り回している子供です。”特級治癒師”の才に、あなたの知識と実力が追いついていない。それ以前に治癒師としての心構えが出来ていない」

「っ~~!」

「私は高圧的な物言いは好きではないのですが、あなたのために、ハッキリ申し上げましょう。――出直してきなさい」


 ハタノの物言いに、エリザベラの顔が強ばった。

 が、すぐに憤怒の色に染まり、ハタノを殺してやるとばかりに、瞳を三角に尖らせる。


 その態度に、ハタノは違和感を覚える。


(もしかして、誰も彼女の指導に当たっていなかったのか……?)


 新米とはいえ、エリザベラは”特級治癒師”だ。

 そして”才”を重視する帝国において、上位の才に物申す行為はリスクが高い。

 貴族に平民が苦言を呈するようなものだ。


 そして彼女の性格を考えると、仮に誰かが進言したとしても、聞く耳を持たなかったことだろう。


(逆に言えば、きちんと教えれば彼女はとても強力な戦力になる)


 どうしたものかと悩みつつ、ハタノは残りの患者を見渡し――


 ふと、視界の端に新たな患者が見えた。

 椅子にちょこんと腰掛けた、およそ三十代頃の、若い女性。

 下流貴族の出自か、簡素ながらも質のよいワンピースに身を包んだその患者は、右瞼の上あたりにだけ、丸く大きな青あざがあった。

 側にいた治癒補助師によれば、崩落事故から逃れる途中、階段で転んでしまい顔を打ったというが……


 ハタノは自然と足を向けた。


「すみません。そちらの……」

「ふんっ!」


 が、ハタノが診察するより先に、横から治癒魔法が飛んだ。

 びくっ、と女性が驚く間に怪我が癒され、青あざがすっと薄まり消えていく。


 ハタノの邪魔をするように、エリザベラが飛び出して彼女に声をかけた。


「これで完治よ。この”特級治癒師”エリザベラに感謝することね!」

「え? あ、ありがとうございます!」

「エリザベラ教授。待ってください、その方――」

「失礼します!」

「あ、ちょっと!」


 気づいた時には、遅かった。

 ハタノが止めるより先に、女性患者はエリザベラに一礼をし治癒院を後にする。

 まるで、逃げるように。


 ハタノが追いかけようとするも、エリザベラにぐっと袖を掴まれ、ままならない。


「ほら見なさい! ね、治ったでしょ? 確かにさっきの治癒魔法を飛ばすのは無駄もあったわ。けど、今のはちゃんと治ってお礼してくれたじゃない。これが治癒でしょ?」

「…………」

「どーしたの、ハタノ。何も言えない? 悔しい?」


 ふんふんと鼻歌を鳴らし、自慢げなエリザベラ。

 が、ハタノはぐっと腕を押さえ、苛立ちを押し殺しながら。


「……エリザベラ教授。あなた、不思議に思わないんですか?」

「なにが?」

「どんな風に階段を転んだら、右瞼やその周囲にだけ青あざが出来ると思います?」

「え。打ち所が悪かったんじゃ?」

「普通どう考えても、階段で転んだらまず頬骨や額、あるいは頭蓋骨でしょう?」


 呆けるエリザベラの顔に向け、ハタノはそっと右拳を突きつける。

 彼女は意味が理解できなかったらしく、ん? と首を傾げた。


「よくわかんないけど、負け惜しみはよくないわよ、ハタノ。分かったら、さっさと院長辞めてガイレスの爺に戻しなさい。あの爺、性格は陰険クソジジイだけど治癒魔法はすごいから認めてんのよね、あたし――」

「エリザベラ教授。先ほど、勝負、と仰いましたね。ではひとつ賭けをしましょう」

「お!? 乗ってきたね、いいわよ。何賭ける?」


 ふふん、と尻尾のようなツインテールを揺らすエリザベラ。


 ……どうやらこの子は一度、痛い目を見た方が良さそうだ。

 ハタノは溜息をつきながら、結果の決まった勝負を申し込む。


「先ほどの女性患者が、近いうちに再度うちの治癒院に来るかどうか。それを賭けましょう」

「はぁ?」

「あなたの治癒が本当に万全であるなら、治った患者がまた治癒院にくる必要はないでしょう?」

「ああ、つまりあたしの治癒魔法を疑ってるわけね。それで? 一月経っても来なかったら、あたしの勝ちってことでいい? もしあなたに負けたら、アンタの言うこと何でも聞いてあげるわ!」


 エリザベラが強気に笑い、ハタノは「構いませんよ」と了解して――




 その患者が同じような怪我をし、院に戻ってきたのは三日後のことだった。


 「は?」と、エリザベラは信じられないものを見たように、目を丸くし。

 ハタノは患者を治癒室に案内しながら、やはりなあと思い直す。


 眼球周囲の青あざで、崩落事故に巻き込まれた? まさか。

 目の周りの青あざなんて、早々――誰かに殴られでもしない限り、出来ないのだから。

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