エピローグ
1-1.「静養を命ずる。育休というやつだな!」
次の仕事は、子育てだ――
雷帝様の新たなる勅命にハタノが感じたのは、純粋なまでの疑問であった。
「雷帝様。どうして私達が、子育てを?」
もちろんハタノとて、単語の意味は理解している。
この世に新しい生命を誕生させた後、夫婦がともに行う、人生でもっとも大切なプロセスだ。
しかし、彼女――いま雷帝様より紹介された黒髪の少女は、自分の子ではない。
だけでなく、史上最強の才”異界の穴”の持ち主と来た。
それを何故、自分達が?
「くく。そなたら夫婦もゆくゆくは、子を授かるであろう? であれば事前に、子育ての経験をしておくのも悪くないと思ってな」
「雷帝様。そちらのお子さん、見たところ十歳くらいだと思いますが……」
0歳児の育児もしたことないのに、十歳児の子育てを任されても。
そもそも帝国では”勇者”のような特別な才持ちには、専任の教育者がつくケースが大半だ。
チヒロも、実際に産んだ子は帝国の教育部に預けられることになっているので、子育てに直面することはない、はずなのだが。
「なに、十歳も0歳児も子供は子供であろう? 大丈夫だ、問題ない」
いや問題がありすぎる。
意味が分からない。
そもそも、ハタノはともかく現在のチヒロは帝国の守護を担う大切な”翼の勇者”。
その彼女に、子育てをしてもらう理由は……?
(何か、裏があるな)
雷帝様が馬鹿正直に、”極才”級の子をハタノに預けるはずがない。
が、尋ねたところで雷帝様は答えてはくれないだろう。
答えてくれるなら最初から話す、それが雷帝様だからだ。
(これも、仕事か)
狙いは分からない。が、ハタノは「了解しました」とチヒロ共々、礼をし――
「それと、ハタノ。貴様も帝都中央の院長として、ずいぶん仕事をこなしてきたようだな。それに、先日はよからぬヤツの手により大怪我も負ったと聞く。幾らか苦労もあっただろう。ゆえに、余から慰労として特別休暇をくれてやる」
「……は?」
あの雷帝様が、休暇……だと???
そんな馬鹿な。
「チヒロ共々、子育てに慣れるまで暫し静養を命ずる。育休というやつだな! 優しすぎる余の判断にうち震えながら、家族水入らずの時を過ごすがよい」
くく、と笑う雷帝様の前で、ハタノはチヒロと共に目を丸くしながら。
およそ十歳にも満たない少女とともに、しばらくの間、普段の仕事から降りることになるのだった。
*
帝都魔城の自室に戻ったのち、自問する。
子育て。
育休。
十歳児。
耳慣れなさすぎる単語が頭の中を巡り、考える。
(どうして、私達なのでしょうか)
これが護衛任務なら、雷帝様は最初からそう仰ったはず。
が、雷帝様は子育てだと言い切り、お休みまで頂くこととなった。
……必ず、他に目的があるはずだが――
(まあ、いま考えても答えが出るものではなさそうです)
いずれ答えは見えてくるだろう。
それよりも大切なのは、きちんと、新たな少女と向き合うこと。
これも仕事か、と、ハタノは思考を切り替え、対面にちょこんと座る少女を改めて観察する。
綺麗な子だな、と思う。
こちらの世界では珍しい、おかっぱ風の黒髪。
チヒロほどではないものの白く綺麗な素肌に、きゅっと結ばれた唇は品の良さを感じる。
帝国貴族のお子様らしい紺色の制服は、雷帝様が支給したものだろうか。
視線を合わせると少女が強ばり、対するハタノは、患者に接するように笑いかける。
「すみません、ご挨拶が遅れましたね。私はハタノ=レイ、隣の彼女は私の妻チヒロ=キサラギ、といいます。えっと……まあ、一時的にあなたの保護者になると思ってもらえれば幸いです。……改めて、お名前を聞いても?」
「……サクラ=ヒロセ、といいます。十歳です」
「サクラさん、と呼んでもいいかな」
「はい。よろしくお願いします。……お父様、お母様」
ぺこり、とお辞儀をするサクラさん。
その喋り方が、まだ不慣れなようだったので。
「サクラさん。慣れなければ、ハタノさん、チヒロさん、でも構いませんよ。まだお互い不慣れですし、突然のことですし」
「いえ。雷帝様からもお話を聞きましたので、お父様、お母様、と」
「……分かりました」
本人が望むならそれで良いか、とハタノは微笑み、それから――
「…………」
「…………」
言葉に詰まる。
ハタノは当然ながら父親の経験などなく、子供の相手も、患者としてしかない。
チヒロに目配せすると、彼女も似たようなものらしく。
珍しく、うっすらと冷や汗が浮かんでいた。
(チヒロさんは、お子さんと接した経験は……?)
(勇者としてならありますが……母として、と言われると)
(まあ私達、まだお子様を持った経験ございませんしね)
……もしかしたらこの仕事。
治癒師としての仕事より、難度が高いのでは?
と、ハタノは内心結構焦っていたが、動揺をみせる訳にはいかない。
子供の教育上、最も良くないのは親の一貫性がなくなること。
実際の親になったことはないが、ハタノも経験上、毒親とその子供の精神的なケアに当たったことはある。
よし、とハタノは自分の中にある知識を総動員し、まず会話のとっかかりを――
「サクラさん。その……なにか趣味とか、好きなことか、あるかな?」
(旦那様。最初からその質問は……お子さんに声をかける変質者の気配が少々)
(そうは言いますが、子供との会話が思いつかなくて。チヒロさんは何かありますか)
(……。……し、しりとり、とか……?)
(チヒロさん、初手しりとりはもう会話の限界ですと言ってるようなものでは)
(し、しかし旦那様。では一体どうすれば……?)
(…………)
(…………)
だらだら汗を流し始める二人。
夫婦揃って子育てLv0、そのうえ元々、他人と親密になるのが苦手な妻と夫である。
最初から致命傷であった。
……これはもう駄目かもしれない。
と、唸ったハタノ達の空気を、読んだのか。
「お父様とお母様は、何がお好きですか?」
「え。……私、ですか」
「はい」
無表情なサクラに問われ、ハタノは眉を寄せる。
好き、と聞かれても困るが……。
「そうですね。強いていえば読書をするのが好きです。小説とか、医学書とか。知識を知ることは、楽しみでしょうか」
「では、私もそれを好きになります」
「……え?」
「良ければ、私にお父様の好きな本を教えてください。……お母様は?」
さらに聞かれ、今度はチヒロが戸惑う。
「そうですね。私が愛おしく思うのは、旦那様とキスしてベッドでいちゃ…………いえ。帝国を守る”勇者”として、鍛錬を好んで行います」
「鍛錬、ですか」
「仕事の一環ではありますが、同時に、自身の身体と魔力を鍛えると、心が澄み渡るような心地よさを覚えます。安心するのでしょうね。自分はいま、正しいことをしている、と思えるのが」
「では、私にもそれを教えてください」
チヒロが眉を寄せる前で、少女サクラはぺこりと頭を下げた。
「私は、お父様とお母様の好きなものを好きになりますので、よろしくお願いいたします。……ご迷惑は、おかけしません、ので」
その、あまりに礼儀正しく、かつ独特な答えに、ハタノとチヒロは顔を見合わせる。
違和感。
一般的な子供は、もっとこう……うまく言えないが。
自由にワガママを言ったり、あれがしたいこれがしたい、と言うものではないだろうか?
同時に、ハタノとチヒロは何となく……彼女に対して、ある種の共感を覚える。
自分達に、どこか似ているな、と。
(旦那様。サクラさんについて、ですが)
(はい。……思い込みは危険ですが、どこか、昔の自分に似ている気がします)
親に対する従順さ。
逆らうという概念すら抱かず、親の言うことは絶対であり、それをきちんと聞くことが正しいと言わんばかりの姿勢は。
かつて、親から治癒師として教育を受けたハタノと、勇者のあり方を母に叩き込まれたチヒロに、何となく似ている気がした。
……そして、それが決して正しい訳ではないことも、今の二人は理解している。
ハタノは少女に、「とりあえず食事にしましょうか」と微笑みかけながら、これから彼女とどう接していくか、ゆっくりと考え始めた。
―――――――――――――――――――――――――――――
本来なら四章(最終章)とする予定でしたが、物語について考えた結果、エピローグという形で公開することと致しました。あとは結末に至るだけの物語です。
なお、内容はまだ10万字以上ありますので、もうしばらくお付き合い願えればと思います。
今後もいままで通り、水曜&土曜日の週二回更新の予定です。
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