5-4.「ベッドの上で交わした戯れではありますが、どこまでも、ついていきますから」
ハタノを始めとした全員がそれを見逃した理由は、極めて単純なものだった。
(っ、異界の穴!? しかし、魔力を感じない……!)
”才”ある者ほど魔力に敏感なのは、この世界の常識だ。
逆にいえば感性を魔力に頼っているからこそ、”才殺し”をはじめとした魔力を伴わないものに対する反応は鈍いとも言える。
それでも、
「旦那様!」
真っ先に動いたのは、チヒロ。
ハタノの腕を掴み、ずぶり、と右膝まで飲み込んだ”異界の穴”に向けて魔力の衝撃波を放つ。
が、”異界の穴”はチヒロの一撃をものともせず、逆に、ハタノを喰らい尽くすように飲み込んでいく――
「っ……!」
「院長!」
「近づかないで! 皆さんは一旦離れて!」
叫んだのは、二次被害を抑えるため。
原因は不明だが、サクラの才”異界の穴”が暴走状態にある――術後の不安定な容体が影響したと考えられるが、真相は不明。
して、サクラを見れば――
(っ……意識が落ちている……!)
そうか。
手術が終わり、一息ついた瞬間に意識が切れて……その反動。
彼女が内心でずっと抑えていた不安が、安堵し眠りについたことで、無意識下から溢れてきたか――
子細はわからない。それでも今、ハタノに出来る最善は、全員を近づかせないことだ。
院長として、或いは一個人の信念として、余計な被害者を増やすものか――!
「エリザベラ教授はサクラさんに遠隔治癒を! ネイ教授は離れたままサクラさんに魔力精査をお願いします! 本人に異常がなければ、自然と治まるはず!」
「って、アンタは大丈夫なの!?」
「心配しないでください。仮に、吸い込まれても、」
大丈夫、と声に出そうとしたところで、ハタノの半身がずぶりと飲まれた。
「っ……!」
深海に引きずり込まれるような、おぞましい感覚を覚えながらも――おそらく大丈夫だ、と推測を立てる。
勘ではなく、実証に基づいた結論だ。
――誰だって、疑問に思うだろう。
異世界からモノを取り出せる魔法。
なら、異世界にモノを送ったらどうなるか?
ハタノも疑問を抱き雷帝様に問い合わせたところ、既に「人体実験を完了した」との報告があった。
結果から言えば、向こうの世界にすこし行き来した程度では、死なない。
少なくとも異世界に飛ばされ、即座に窒息死するようなこともない。
が。
向こうの世界に放り出されたあと、本当に帰還できるかと言われると――
いや、今できることは、ひとつ。
「っ……もし、サクラさんの暴走が続くようでしたら至急、雷帝様にご連絡を。逆にもし何事もないのでしたら、経過観察をお願いします」
「って、それどころじゃないでしょ、アンタ!」
「治癒そのものは上手くいったはずです。特に、サクラさんの精神状態に気を――それと、チヒロさん」
”異界の穴”に飲まれながら指示を飛ばし、――ハタノは迷う。
今にも消えそうな自分に、翼を広げて必死にしがみつき、幾度も”異界の穴”を消そうとしている最愛の妻――チヒロに、
「離れて!」
「っ……嫌です!」
「チヒロさんだって、状況は分かるしょう!」
災害にしろ治癒トラブルにしろ、事故対応の基本は被害者を増やさないことだ。
くだらない感情に引っ張られ、巻き添えを食うなど”治癒師”としても”勇者”としてもあってはならない。
それ以上に、ハタノ個人の感情としても、彼女を巻き込みたくはない。
最愛の妻を、こんな形で。
自分の事故に巻き込むなど、絶対に――
「飲まれるのは私一人で十分です!」
「分かっています! しかし、私は冷静に判断しています!」
「っ……落ち着いてください、チヒロさ――」
「異界の穴は、こことは異なる世界の道。その先にて、旦那様をお守りするのは誰ですか!?」
ハタノははっとする。
違う。チヒロは旦那への愛しさから、判断を誤っているのではない。
彼女は既に、”異界の穴”に自分達が飲み込まれ……
その後のことを、想定しているのだ。
ハタノ一個人では、ただの凡庸な治癒師でも。
飛翔能力を持ち、戦に長けたチヒロがいる限り、転移先がどのような世界であろうとハタノを守れる。
そう判断したからこそ、
「っ――!」
「私は旦那様を見捨てません。そして、私自身も見捨てません! それが私の、答えですから……!」
一見して滅茶苦茶な、けれど、合理的な選択。
ハタノは己のふがいなさを恥じ、ならば、と自らの半身を飲まれながら考える。
今、できることをする。
何か一つ。この間際で、一声、かけるとすれば――
「シィラ! ミカ!」
「は、はいっ」
「サクラさんが無事なら、私達が”異界の穴”に飲まれても、彼女の才で私達を呼び戻すことも可能なはず! ですから絶対にサクラさんを守り切ってください! 雷帝様になにを言われても、です!」
「っ、分かりました!」
「了解!」
”才”暴走の責任として、雷帝様がサクラの処刑を命じる可能性は十分ある。
しかし、もし自分達が帰還する可能性があると考えれば、即断はできないはず。
か細い糸だが、その程度にはハタノも雷帝様を信頼している。
そして、シィラとミカなら、必ず――
ハタノが目の前で消えようとも、絶対に、自分が受け持った患者を守り抜く。
任せましたよ、と。
ハタノは返事の代わりに薄く笑い、まあ、あの二人なら大丈夫だろうなと確信しながら。
「すみません、チヒロさん。こんなことになってしまって」
「いえ。合理的な判断――と言いたい所ですが、旦那様との約束でもありますから」
「え……?」
「亡くなる時は、ともに。……ベッドの上で交わした戯れではありますが、どこまでも、ついていきますから」
こんな時だというのに、チヒロはハタノを励ますように、ふふっと笑い。
ああ。
自分は結局、どうやってもこの妻には勝てないのだなと思いながら――ついに全身を飲み込まれ、チヒロと共に、世界から姿を消した。
*
ぐにゃりと、世界が歪む。
全ての色の絵の具をぶちまけたような、まだらなマーブル模様が漂う中、ハタノは上も下も分からないままぐるぐると回転する。
噂に聞く、宇宙空間というものに放り出された、ような。
「旦那様。ここは……?」
「すみません。私にも、何がなんだか。……とりあえず、チヒロさん。こちらに来れますか?」
声をかければ、三半規管がおかしくなりそうな空間にも関わらず、翼を広げ、安定性を保つチヒロに抱き留められる。
おそらく、魔力によって発生した次元の合間だと思うが……。
その時、がくんと急な重力が襲ってきた。
ハタノもチヒロも引きずられるように底へと落ち、視界が全て白く染まり――
*
気がつくと、ハタノ達は人の群れの中に立っていた。
「……え?」
見渡す限り、人、人、人の集団。
昼時の太陽の下、本当に様々な人種……
黒服を着た生真面目そうな男に、殆ど素足をさらしてるかのような薄着の女子。
お爺様やお婆様、家族連れと思われる子供達――帝国の大通りかと思われる人の交錯が、洪水のようにとめどなく溢れている。
進行方向を見れば、彼等は一様に目の前にある巨大な建築物のなかへと吸い込まれるように。
或いは、吐き出されるようにせわしなく交錯していた。
ぽかんとしてる間に、ピーピーと耳障りな音が聞こえる。
ぼーっと見ていると、今度は舗装された大地の上を、車輪付きの箱――ハタノの知識にある、車、がそこそこの速度で何台も走り抜けていき、思わずうおおっ、と腰が引けた。
「……旦那様。あの走っているのは?」
「車、ですね。こちらの世界の移動手段のひとつ、です。……しかし、こんなに沢山?」
「つまり、ここが……?」
「はい。おそらく、異世界かと」
ハタノの心臓が今さらドキドキと拍動し、同時に、冷静になれと自分に言い聞かせる。
幸いなことに、ハタノ達は周囲から多少浮いてはいるものの、注目される程ではないらしい。
人波はいまもせわしなく流動を続け、まるで、こちらに構う暇などないと言わんばかりに流れていく。
「……旦那様。どうしましょう。とりあえず、翼で上空から様子を観察しますか?」
「いえ。幸い私達は目立っていないようなので、まずは人に紛れて様子を見ましょう。その前に、言葉が通じるかも分かりませんが……」
それに、これだけ大規模な――帝国を遙かに超える文明国なら、何らかの公的機関も存在するはず。
まあ、ここが軍事国家であると、色々まずいとは思うが……
と、ハタノ達が目立たぬよう脇道にそれた時。
すっ……と静かに、黒塗りの車がハタノ達の側に横付けした。
「……?」
ハタノ達が警戒する中、現れたのは黒服の男。
眼鏡をかけた理知的そうな男性は、こちらを見るなり人当たりのいい笑顔を浮かべ、失礼、と頭を下げた。
「突然のご挨拶、失礼致します。宜しければ、お話をいたしませんか。――異世界の方々」
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