2-6.(旦那様の、ばか)


 音もなく風もなく、闇の中を刃が掠める。

 その度にひとつ、命が消える。

 旦那様が守る命を奪う側とは、皮肉なものだ、とチヒロは一抹の寂しさを覚えながら炎を放つ。




 その一団は、来客と呼ぶには物騒であり、暗殺者と呼ぶにはお粗末なものだった。


 チヒロ夫婦の自宅からほど遠くない雑木林に、身を潜める男達。

 闇に乗じて襲撃をかけるつもりらしいが、チヒロにとっては、大手を振って歩いているのとなんら変わりない。


 奇襲はあっさり成功した。

 糸を引くように、刀を一閃。

 複数の男達の首がずれ、音を立てて地面に落ちる。


 敵が異変に気づいた時には、その数は半分に減っていた。

 それでも、静かに。

 淡々とチヒロは彼らを処理していく。


「ま、待っ……」


 雷帝様より、怪しい奴は躊躇無く殺せと命を受けている。

 いまや、ハタノとチヒロは世界のお尋ね者。襲撃者などいくらでも心当たりはある。


 最後に残った男を掴み、チヒロはその顔面を地面に叩きつける。

 ぐえ、とカエルが潰れたような音。

 その首筋に刀をあてつつ、男の耳元でささやく。


「質問に答えなさい」

「た、助けてっ……」

「質問に答えなさい」


 悲鳴をあげる男の首を掴み、そのまま万力のように締め上げた。


 男の顔が青ざめてゆく。

 そのまま殺すか――という程に力を込めた後に解放し、げほ、と呼吸を取り戻した男に、チヒロはもう一度だけ問う。


「質問に答えなさい。誰の命令です?」


 聞いても無駄だとは思うが……

 と懸念しつつ問えば、男はやはり喉を引きつらせながら「し、知らない」と。


「本当に知らなかったんだ。ただ、この家にいる奴らを殺せば、いい金が手に入るって……!」

「他に聞いたことは? 治癒師を狙えとか、そういう話は」

「し、知らねぇ。本当に。だから」

「そうですか」


 手を離す。

 男が、解放された、と息をつく間に、チヒロはすらりと刀を抜いた。






 チヒロは帰り道を歩きながら、そっと銀髪を掻いて、憂う。

 雷帝様の話によれば、今のチヒロは『世界のお尋ね者』らしい。

 かの敵、ガルア王国曰く――空飛ぶ悪魔は世界の敵であると吹聴しているのだとか。


 もっとも、各国が脅威に思うのは当然の反応だろう。

 帝国に反旗を翻せば、明日にでも雷帝様が飛んでくる。脅威に思わない方がおかしい。


 その各国が考えることといえば当然、チヒロの排除。


(だとしても、まだ暗殺事件からそう時間も経ってないはずですが……やはり、行動が早いですね)


 そしてチヒロは、今の状況が大変宜しくないことも理解している。

 自分一人なら、脅威はいくらでも退けられる。

 が、彼らはいずれ別に狙いを定めるだろう。


 チヒロに翼をつけた、ハタノに。

 或いは、ハタノの治癒院に勤める者達に。


(そうなる前に、対策を。そして、その対策は……)


 冷徹なチヒロは、暗殺を免れる最適な方法も理解している。

 ハタノとそろって、雲隠れすることだ。

 このような帝都辺境の地でなく、帝都魔城の奥深くに引きこもり、雷帝様を初めとした四柱の庇護を受ける。

 同時に、チヒロはハタノと距離を取る。

 わざわざ敵に狙われやすい存在を、二人そろって並べておく必要もない。


(そもそも一番狙われてるのが私である以上、旦那様の側にいたら、いつか必ず巻き込んでしまう)


 仮に、敵方が”勇者”に準ずる”才”持ちをぶつけてきたら。

 チヒロはハタノを守り切れる自信が無い。


 であれば、ハタノは雷帝様の庇護下に預け、チヒロとは別行動にした方が良いだろう。


(その場合はもちろん、離婚になりますが。――それも仕方のないこと)


 ハタノは元々、勇者チヒロに一級治癒師の”才”を混ぜるためだけに選ばれた相手だ。

 ”才”だけを考えるなら他の一級治癒師が相手でも良い。

 チヒロが女である以上、男に抱かれれば子が宿ることも知っている。


 ハタノが旦那である必然性は、全くない。

 診察が必要だというなら、診察時だけ顔を合わせれば良いのだ。

 むしろ現状を考えるとリスクしかなく、”勇者”として判断するなら、一刻も早く別れるべき――


 なのに、チヒロはその言葉を切り出せない。

 敵の始末には躊躇わない思考が、仮初の旦那のことを思うと、途端にもやがかかったようにおかしくなる。


(理屈では、分かっているのです。旦那様は帝都魔城に隠れ、私は帝国の翼として敵国に圧をかける。別運用をした方が、絶対にいい。そもそも私と旦那様がいつも一緒にいる時点で、敵に狙ってくれと言っているようなもの)


 自分を納得させようと、チヒロは理屈を並べ、ハタノと離れようとする。

 ――けれど、どうしても。

 その一言を、自分から切り出せない。



 ……あの日。

 確かに死んだと思った瞬間から、命を救われ。

 帰宅して、彼に抱かれた頃から……チヒロの意識は明らかにおかしくなった。


 ハタノのゆるやかな笑顔が、ふとした拍子に頭をよぎる。

 ”血塗れのチヒロ”とまで呼ばれ、忌み嫌われた女を、何一つ嫌わず抱き留めてくれる旦那様。


 チヒロがどんなに人らしくない行動をしても、微笑んでくれる旦那様。


 否定せず、気を遣い、配慮をし、そして優しく抱き留めてくれる旦那様――


 それに甘えてはならないと、理解してるのに。

 最近のチヒロは自分でもおかしいと分かるくらい、ぐずぐずと彼に頼ってしまっている。

 心の中で、これではダメだと思いながらも、つい、彼の表情が見たくて小さなイタズラまでしてしまう。


 ……そして、彼に抱かれる夜を迎える度、思う。

 この熱を、手放したくない。

 たとえ業務上の関係に過ぎずとも、その関係を壊したくないな、と。


(こんなことを口にすれば、旦那様には失望されるでしょうけれど)


 チヒロの旦那は優しいが、彼とうまく関係を結べているのは業務上の間柄だからだ。

 お互いに踏み込みすぎず、否定せず、契約上の夫婦という体を保っているからこそ二人のバランスは成り立っている、……と、チヒロは思う。


 そもそもチヒロは、人を愛するということが分からない。

 それに、旦那にそのような気持ちを向ければ、彼も迷惑するだろう。

 ――業務の関係として付き合ってたから上手くいったのであって、それは困る、と言われるかも……


 ふるりと首を振り、チヒロは自分の気持ちに蓋をしようと押し殺す。

 ”勇者”として、何度も行ってきた所業。

 戦において、感情など邪魔な存在でしかない。必要なのは合理的な判断と、結果だけ。


 ゆえに、チヒロが彼と別れるのは必然であり、いつか、……いや。

 近々。

 少なくともハタノが狙われる前に、自分から切り出すべきことのはず――


(分かっているのです。わかっては、いるのに)


 ぶんぶんと頭を振りながら、チヒロは唇を噛む。

 理屈も道理も、社会的な意味も、すべてが彼と別れるべきと示しているのに。

 なのに、今まで散々押し殺してきたはずの心だけがきしむように悲鳴をあげ、固い石でも詰め込まれたように喉を潰す。


(旦那様の、ばか)


 優しいというのは、実は、罪深いことかもしれない。

 ――同時に、分かっていながら彼に甘えてしまうのは、自分の弱さなのだろう。


(本当に、私はおかしくなってしまったのかもしれない)


 どうか旦那にだけは、この気持ちがばれませんように、と。

 チヒロは密かに願いながら夜空を見上げ、ゆっくりと帰路についた。









 ちなみに――これは本当に、だいぶ後になって判明したことだが――

 竜の魔力には、当人を性的に興奮させる作用がある。

 そもそも竜の翼を広げる行為は、異性に対し「俺の魔力はこんなにもすごいんだぞ」とアピールする意味もある。


 なので。

 当時のチヒロが必要以上に、ハタノに妙に甘さを見せるようになったのは……

 決して彼女の意識が緩んだことだけが、原因ではない。


 と、チヒロはずいぶん後になって理解し「だから当時の私が悪かった訳ではありません」と、頬を膨らませて旦那に迫ったのは、ずいぶんと後の話である。

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