3-1.「旦那様とて人なのですから。そういう面があっても良いではありませんか」

 久しく訪れた帝都中央治癒院には、ハタノの意識の問題か、ねっとりとまとわりつくような空気が漂っていた。


 中央治癒院はもともと、帝都魔城の近くに位置している。

 施設としては、治癒院本院とは別に、入院施設が二棟。

 さらに事務施設や研究施設、治癒師を育てる教育機関も付随しており、広大な敷地そのものが帝都中央治癒院の権威を示しているかのようだった。


 気を引き締めるハタノに、チヒロがそっと視線を送る。


「旦那様。緊張されていますか?」

「……ええ。私はあの職場が、少々、苦手でして」

「そうなのですか。帝都中央治癒院は、どのような施設なのですか?」


 遠慮がちに、チヒロ。

 ハタノは苦い思い出を絞り出す。


「帝都中央治癒院は、帝国治癒師にとっての登竜門であり、帝国の”才”社会を学ぶ場所でもあります」


 帝国法。

 ”治癒師”二級以上の”才”を持つ者は、医療業務に従事すること。

 かつ一級以上の”才”を持つ者は、帝都治癒院にて治癒師として活動すること。


「一級以上の治癒師は、必ず、帝都治癒院に一度は務めることを義務づけられています。チヒロさんに通じるか分かりませんが、研修医制度ですね。そこで治癒師は先輩方から治癒技術だけに関わらず、帝国国民としての常識を学ぶことになります。……まあその実態は、厳格な縦社会ですが」


 ハタノの肌には、合わなかった。

 研修と称した雑務の押しつけ。先輩の鞄持ち。

 ”才”による絶対的な序列、そして歴史を踏まえた伝統的な――あえて悪い言い方をすれば、硬直化した体勢。


 ハタノのような治癒師が、先輩方の不況を買うには十分だった。

 お前は間違っていると後ろ指をつきつけられ、悪意ある噂を撒かれ、陰湿な嫌がらせを受けたこともあった。


「まあ私が親から受けてきた教育が特殊だったのも、理由ですが。それを差し引いても、私には合わない施設でした。治癒結果よりも、建前や権威を重視するのは、どうにも」

「そのような施設で、治癒を受けて大丈夫でしょうか」

「……確かに仕組みは硬直化していますが、機材が一流なのは間違いありません。それに、中央治癒院にのみ勤める”特級治癒師”の実力は確かなものです」


 ”特級治癒師”。

 帝国でも数名程度しか存在せず、その能力の高さは勇者にならぶとも言われる。

 なかでも帝都中央治癒院の統括者、ガイレス教授は格別だ。


 事実、暗殺未遂事件にてチヒロを治癒した時、ハタノは教授に助けられている。

 その力を借りることは、今回の治癒にとって必須要項と言ってもいい。


 ……教授が、ハタノを嫌っているのは理解している。

 ハタノも彼の”才”を絶対視する治癒魔法至上主義は、苦手だ。

 それでも同じ帝国民であり、治癒師であり、雷帝様の命もあるなら協力して貰えるはず。


(忌避感はあります。けど、これはチヒロさんの治癒のため)


 目的を果たせるよう、最善を尽くそう。

 と、ハタノがぐっと拳を握りしめた、その手を……

 チヒロがその上から包むように、握りしめてくれた。


「チヒロさん?」

「いえ。旦那様が緊張なされていたようだったので」


 わずかに驚いて見返すと、いつもの着物姿であるチヒロが、ハタノを見上げやんわりと唇をゆるめていた。

 ……どうやら、だいぶ気遣われてるらしい。


「すみません。治癒師として、患者の前で動揺しているようでは三流もいいところですね」

「旦那様とて人なのですから。そういう面があっても良いではありませんか」

「……まあ、そうですね」


 ハタノとて、務め人であると同時に、一介の人間だ。

 人としての好き嫌いがあるのは、仕方ない。

 けれど同時に、私情に流されず治癒を完遂することが、治癒師の仕事だろうとも思う。


「ありがとうございます、チヒロさん。おかげで勇気が出ました」

「大したことは、していませんよ。それに旦那様は、いざとなれば私情に捕らわれず治癒に全力を尽くすでしょう?」

「結果はそうかもしれませんが、気持ちはぜんぜん違いますよ」


 乾いた砂漠の中で、ただ一人、仕事に向き合うのと。

 自分を応援してくれる妻の声を聞きながら仕事に励むのとでは、心持ちがぜんぜん違う。


(本当、チヒロさんには助けられてばかりです)


 ハタノは妻を見やりつつ、やはり、自分は彼女と長く一緒にいたいなと思い――

 けど余計なことは言うまい、と、足を進める。


 ……今やるべきことは、彼女の治癒。

 それ以外のことは、考えないようにしよう。


「行きましょうか、チヒロさん」

「はい、旦那様。私のこと、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします」

「いえ。こちらこそ、よろしくお願いします」


(チヒロさんを、助ける。今は、それだけ)


 ハタノは妻に並びつつ意を新たにし、帝都中央治癒院の門をくぐり――





 受付で待っていた人物に、目を細める。

 ……教授、ではない。

 ゆるい金髪を流した、白衣の男。

 口元こそ微笑んでいるものの、蛇のように細められた眼差しは、ハタノを値踏みするようにじっとこちらを見下ろしている。


 ハタノは苦い記憶を噛み潰し、相手はにやにやと挨拶をした。


「いやぁ、ハタノ。久しぶりだね。元気にしてたかい?」

「……久しぶりですね、ベリミー先輩」


 ”一級治癒師”ベリミー=オークライ。

 ハタノに嫌がらせをしてきた一人が、半笑いのまま握手を求めてきた。

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