4-4.「心の底では馬鹿にしているのでしょう」
ハタノの風邪は、幸い三日ほどで治ってくれた。
身体の重さこそ残っているものの、あとは仕事を動かしている間に良くなるだろう。
「ご迷惑をおかけしました、チヒロさん」
「いえ。たまには身体を休めることも大切です」
ふふ、と笑うチヒロと共に、のんびりと夫婦で朝食。
チヒロは相変わらず草を口にし、ハタノも風邪で弱った胃腸に優しい軽めのスープを頂く。
太陽が昇り、魔城に差し込む朝日を浴びながら迎えたいつもの時間が、心地良い。
いざ病気になると、健康であることを大変ありがたく感じるものだ。
(妻の看病も、嬉しかったですし、ね)
ハタノがほんのり微笑んでいると、ふと、チヒロが手をあげた。
「旦那様。ひとつ、ご連絡が」
「何でしょう」
「じつは仕事にて数日ほど、雷帝様と遠出を致します。飛行訓練ではなく実践の方を少々」
実践。ハタノは考えるが、それ以上は突っ込まない。
ハタノが知ってはならないことも多いだろう。
が、一つだけ。
「それは、どれくらい危険なものでしょうか。致命的なものでなければ良いのですが」
「ご安心ください。作戦規模としては大きいですが、危険性は極めて低いかと。ほかの勇者も付きますし」
「分かりました」
他の勇者も参加することから、大きめの戦であることは容易に推測できる。
が、彼女はその危険度を正しく測定できる人だ。
チヒロが『極めて低い』というなら、それは彼女が日頃から背負っているリスクと同程度と考えられる。
「気をつけて行ってきてください、チヒロさん」
「はい。お仕事がんばって参ります。……旦那様の方も、がんばってくださいね」
夫婦が頷き、にこりとお互いに微笑んだ。
*
三日ぶりに帝都中央治癒院に顔を出し、いつも通りに院長外来をこなすハタノ。
就任して二ヶ月半。
雷帝様やチヒロの宣伝および患者さんの噂が広まり、予約は今日も満員だ。
最近シィラが地力をつけてきたお陰で、彼女に仕事を振ることも増えてきたが、それでも慌ただしい。
シィラに継ぐ後継者が欲しいとは思うが、叶うのは先の話だろう。
――その種蒔きとなる勉強会も、好調。
若い治癒師を中心にちょこちょこと、ハタノの授業を聞くようになった。
加えて”特級治癒師”ネイ教授と、エリザベラ教授が顔を出すようになったのも大きい。
授業後の質疑応答も活発になり、ハタノも改めて自身の知識を問われることが増えた。
(少しずつ。本当に少しずつですが、変化の風を感じますね)
人に教えるということは、自身の学びにも繋がる。
今までなかった未知の経験は、ハタノを着実に成長させていた。
*
一方で、未だうまくいかないことも多い。
「……ですから、エリザベラ教授は魔力の扱いが雑なんです。消耗も激しくなりますし、もっと丁寧に」
「いやいやハタノ、あたし魔力尽きたことないし? 史上最強だから大丈夫だって!」
もう一つ。ハタノが雷帝様に命じられ組閣したのは、帝都中央の治癒師による救急隊だ。
対”宝玉”を想定した、迅速に派遣できる治癒部隊そのものは構築できたし、前回実践投入も行えた――が。
「エリザベラ教授。調子に乗ってると、また痛い目をみますよ」
「あーもううっさいなあ、あんたあたしの父親かよ!」
うっざ、と緑のツインテールを流して鼻をならすエリザベラ。
思春期の娘を持ったらこんな気持ちになるんだろうか、と、ハタノは何となく想像するが、これが本当に手に負えない。
はんっ、と鼻を鳴らして仁王立ちするエリザベラ。
「確かにアタシはアンタに負けたわ、ハタノ。けどそれ、あくまで知識面の話でしょ? この”特級治癒師”たるアタシの魔力について、一級治癒師ごときが語るなんて千年早いわ!」
「……どうしても聞いてくれません?」
「あたしは偉大なる”特級治癒師”! 言うことを聞かせたいなら、あたしより強い奴を用意することね。ハタノには知識面では譲ってあげても、魔力面では譲らないわ」
「分かりました。では、強い奴、をお呼びしましたので」
へ? とぱちぱち瞬きをするエリザベラを前に、ハタノは例の客を呼ぶ。
ドスン、と杖をつき、白髭をいじりながら現れたのは初老の男。
ハタノを死ぬほど面倒くさそうに睨み、続けてエリザベラを前に溜息をつくのは……ハタノの苦手な大先輩。
うげええええっ、とエリザベラが身を引いた。
「が、ガイレスっ! い、陰湿負け犬クソジジイ!」
「黙れ。貴様もハタノに一杯喰わされた負け犬であろうが。それに忠告したはずだ。魔力の使い方があまりに雑だと。……いいか? ”特級治癒師”は高い”才”を持つからこそ、その扱いは誰よりも繊細でなければならん」
「あーあーあー聞こえないーお説教聞こえないー!」
「ただ魔力をばらまくだけでは、成金が金をばらまいてるのと変わらぬ。事実、貴様は帝都中央でほかの治癒師に白い目で見られてるのにも気づかなかっただろう? ”特級治癒師”の面汚しが。貴様が無様すぎるから、そこの一級治癒師に足下を救われるのだ」
「あんたもすくわれてんじゃんジジイ」
「死にたいらしいな、ガキが……。どうやら貧相なその身体と頭に、今一度教育が必要なようだ」
「誰が貧相よ!」
がるる、とエリザベラが吠え、ガイレス教授が腰掛けながらせせら笑う。
人選、失敗したかな……と、大真面目に悩んだが、他に人がいない。
(ホルス教授は逃げるし、ネイ教授はバカの相手はしてられないと言うし)
そもそも帝都中央自体が、ある意味で深刻な人手不足なのかもしれない、と頭を抱えた。
必要なのは”才”が低くても”人”として能力が高く、そして志の高い者の発掘だ。
そういう者が出てくれれば、ハタノの代わりを任せられるだろうなと、すこし、先の未来について思い描いた。
大小様々なトラブルを抱えつつも、帝都中央治癒院は少しずつ変わっていく。
全てがうまくいく訳ではない。
最近だと、とある治癒師がハタノの外科治癒技法を真似しようとして、先輩とトラブルになったという話も聞いている。
治癒は、真贋を見分けにくい。
本当に治癒効果があったかどうかは患者が死ななければ分からず、さらには患者個々の事情があるため正誤を判断しにくいという欠点もある。
そんな中で、誰もが悩み、迷いながらも進むしかない。
ハタノは治癒院の変化を、確かに感じながら……
そろそろ、最大の懸念に手をつけよう、と考える。
*
翌日。
ハタノは二人きりの会議室にて、改めてその男と向き合った。
以前は嫌味たっぷりにせせら笑っていた横顔はひどく歪み、不愉快さをもはや隠そうともしない、蛇顔の男。
”特級治癒師”グリーグ=ケルビン教授はハタノを睨みながら、苛立たしげに頬をつり上げた。
「業務中にわざわざ何用ですかね? 院長殿。これでも私は忙しい身なのですが」
「お時間を割いて頂き、ありがとうございます。グリーグ教授。改めまして、お話をしたく」
「……新院長様はどうやら私が思っていたより老獪なようだ。高位貴族の顧客に手を回し、ガイレス教授に取り入り、他の特級治癒師も餌で釣ったとみえる。それで? 自分が優位に立った途端、上からものを言いたいと?」
「私はただ、自分のできる仕事をしただけです」
患者の紹介は受けたが、その後のことはハタノが実直に仕事をした結果だ。
患者は、腕のわるい治癒師には寄りつかない。
エリザベラ教授も、ハタノの政治力でなく知識を認めたからこそ仕事を共にした。
ホルス教授は、ハタノの人間性を認めた。
ネイ教授は餌で釣ったけど……彼女はちょっと風変わりだし政治力の問題ではない。
「それで? 最後に残った私に、何か御用でしょうかね?」
「はい。改めまして、ご協力をお願いできないかとお伺いに来ました」
グリーグ教授が、ハタノにとって最も相容れない相手であるのは理解している。
最近、ハタノの勉強会に出席している者に対して嫌がらせをしたり、悪評を吹聴している話も聞いている。
それでも相手は”特級治癒師”。
その”才”の高さが、帝国の大きな戦力であるのは間違いないのも、事実だ。
「グリーグ教授。今日は話し合いに来たのです。――私の何が、気に入らないのでしょうか?」
「要するに私を味方に取り入れたい、と? ええ、ご命令頂ければ従いましょう。今はあなた様が院長ですから」
「そういう表向きの態度だけではなく、個人的に聞いてみたいのです」
ホルス教授やチヒロと話をした上で、ハタノなりに出した結論だった。
ガイレス教授は彼を、決して相容れない相手だと語っていた。
しかし……
最初から諦めて仲違いするのは本当に最善だろうか?
自分は、他人を愛することができない。
そう思っていたハタノは、チヒロと出会った。
自分の治癒法は誰にも理解されないと思っていたが、シィラを始め理解者が現れた。
エリザベラ教授をはじめとした”特級治癒師”も、きちんと話せば個々人の事情があり理解できる面もあった。
何より自分は、未だ口が悪いとはいえ、ガイレス教授とも交流を持つようになった。
であれば。
この男ともきちんと向き合えば、互いに理解できるものがあるのではないか……?
そう尋ねたハタノに対し。
グリーグ教授は、ちっ、と舌打ちし、腹の底から押し出すようにこちらを睨み、ぎりっ、と聞こえそうな程に奥歯を噛む。
「いい加減にしてください。どうせ、あなたも私のことを”半端者”と、心の底では馬鹿にしているのでしょう」
その声には深い深い、嫉妬と妬みが入り混じっていた。
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