4-5.「こんなにも頑張ってきた私を、結局、誰も救ってくれないじゃあないか――」

「私がこの世で最も嫌いなものは、ハタノ院長。あなたのように善人面をしながら、裏で私のことを”半端者”と陰口を叩くような人です」

「何の話でしょうか?」

「自分の立場が強くなったら強気にでる。じつに卑劣な人間の考え方ですねぇ」


 手広い会議室の中、グリーグ教授のねめつけるような視線がハタノに迫る。


 確かにハタノは、グリーグ教授のことを快く思ってはいない。

 しかしその理由は、彼が半端者と呼ばれるからではなく、ハタノに対し当てつけるように嫌がらせをしてくるから、だ。


「グリーグ教授。……確かに、教授がそう呼ばれていることを、耳に挟んだ覚えはあります。ですが、私はそれを理由に、グリーグ教授に陰口を叩いたことはありません」

「院長様は綺麗事が達者なようだ。しかし、私をその二枚舌でだませると思わないことですね」

「誤解です。そもそも論として”才”は、あなたの方が高いでしょう、グリーグ教授」


 ”半端者”と、ガイレス教授は彼を評した。

 が、例え半端と呼ばれようとも”特級治癒師”である以上、ハタノの方が弱いのは事実だ。


「グリーグ教授。仰りたい話は、私も耳にしています。……グリーグ教授が、他の特級治癒師が使えるような特別な魔法がないことも。ですが、それは特級治癒師と比較しただけの話に過ぎず、あなたは一級治癒師に比べれば、はるかに強力な魔法が使えるはず。その事実には何の相違も――」

「ではどうして、あなたが院長なのです?」

「……それは、雷帝様の命で」

「あなたより”才”の高い私が、どうして、あなたの下に仕えているのです? その事実をどうご説明するつもりで?」


 ハタノは内心、頭を抱えた。


 ――事実を説明するだけなら難しくない。

 雷帝様が帝国における”才”主義を、”能力”主義に移行したい。その旗頭としてハタノが選ばれたこと。

 ハタノが持つ異彩な知識を、帝都中央治癒院にもたらし、帝国の役に立たせたいこと。

 ハタノ自身、チヒロを守りたい意味合いも込めて、その思惑に乗ったこと。


 すべて説明はできるが――

 それで納得するかは別だろうなと思いながら、彼に語る。


 はっ、とグリーグ教授は呆れて手をあげた。


「相変わらず次から次へと、よく舌が回るものですね。その二枚舌で、あの勇者も落としたのですかね? なるほど、”血染めの勇者”と言われた勇者も、しょせんは女であったと」

「教授。妻の文句は辞めて頂きたい、と以前もお伝えしましたが」

「事実を指摘されて怒るとは、院長もじつに狭量な方だ」

「妻をバカにされて怒らないようなら、その方が旦那として問題ですよ」


 じろりとハタノが睨むも、グリーグ教授はへらりと笑うのみ。


「あなたはさぞ幸せでしょうねえ。半端者と見下された私と違って、一級治癒師として健全に育てられた。さぞ両親に愛され、素敵な教育を受けてきたのでしょう。生まれながらの勝ち組。まっとうに育てられた善人に、私のような負け犬の気持ちなど、分かるはずもない」

「……両親に愛され、ですか」


 ……難しい。

 何を言ってもこの男はすべて、特級治癒師としては半端に生まれてきた自分自身の生い立ちを――自身の不幸を、理由にこじつけてしまう。

 そのせいで、聞く耳を持たない。

 ハタノが院長という立場であり、どうしても、上から目線でしか語れないのも理由だが……。


 それでも、彼は”特級治癒師”だ。

 その実力が貴重なことに変わりなく、その力を借りれるかどうかの差は、大きい。


 ――ハタノが丁寧に応じているのには、理由がある。

 先日、耳に挟んだ”宝玉”。

 ガルア王国へ救援部隊として訪れた時、実際に爆発跡を見たが――もしアレが帝国内で炸裂した場合、一人でも多くの治癒師が必要になるのは、明白。

 その時に”特級治癒師”の力を借りれないのは、帝国として小さくないダメージを背負うことになる。


 これも、仕事。

 ハタノは改めてグリーグ教授を見つめ、そっと頭を下げた。


「グリーグ教授。私は帝国国民ではありますが、”才”が人のすべてを決めるとは思いません。同時に”才”を無視する気もありません。人が成長するには、そのどちらも必要なのだと思います。……そして教授は、少なくとも私より強い力と、恵まれた環境をお持ちです。治癒師としてまっとうに仕事をこなせば、必ず評価されるはずです」

「ふん。まっとうに仕事をして、評価? それが出来れば苦労はしない。実際どうだ? 私は少なくとも、エリザベラやネイよりも賢く、ホルスよりも向上心がある。ガイレス教授がいなければ、次の院長は間違いなく私。――なのに、そこにあなたが滑り込んできた。これが正当な評価だと?」

「それは申し訳ありませんが、タイミングが悪かったとしか。しかし成果を積み上げれば、必ず」

「院内の治癒師すら、裏で私を半端者とあざ笑っているのに?」

「そのようなことを言う奴は、私からも注意します。……それと、他人があざ笑ったところで業務に関係ありません。治癒師なら治癒で結果を出すべきです」


 ぴくっ、とグリーグ教授の頬が引きつった。


 ハタノが望むのは、帝都治癒院での足の引っ張り合いではない。

 ただ普通に、治癒師の”才”を使い、業務に丁寧に応じて欲しいという、それだけの話だ。


「では、ハタノ院長。私があなたの言う通りにしますから、次期院長の立場を確約して頂けませんか?」

「……それは、お約束できません」

「ほら見なさい。やはり口先ばかりだ」

「事実の問題です。私には次期院長を任命する権限がありません。また、グリーグ教授だけを優遇する訳にはいきません、とお伝えしたいだけです」


 もちろん彼が相応の努力をしたなら、雷帝様に口添えすることは可能だ。

 が、その時にグリーグ教授以上に努力している人がいたら、それを無視する訳にはいかない。


 嘘は、つけない。

 だから、ハタノは今できる最大の言葉で、グリーグ教授を説得するしかない――


「院長。本当はもう、決まっているのでしょう? 私の処罰」

「は?」

「私とて院内の空気ぐらい、理解していますよ。本当は今日は、私に降格ないし処罰のための話を持ってきたのでしょう」


 はは、と乾いたように笑い、椅子にもたれるグリーグ教授。

 いいんですよ、と、投げやりな笑みを浮かべられ、ハタノは眉を顰める。


「まあ帝国とて、特級治癒師の私をおいそれと処罰はできないとは思います。……が、雷帝様の強権があれば左遷くらいは可能だ。或いは噂の、魔城地下の牧場にでも繋ぎますか?」

「教授」

「いいですよねぇ、生まれながらに持ってる人は。……本当に、あなたのことが妬ましい。……あなたには私のように、泥の中を這いつくばって生きてきた、弱い人間の気持ちなんて分からない――」

「違います」


 ハタノはびしゃりと断じた。

 確かに、資産や”才”の面では優遇されていたと思う。

 けど、ハタノが最も恵まれたのは――


「私はただ、人に恵まれただけです」


 そう。ハタノは人に、恵まれた。

 誰しもが善人だった訳ではない。

 両親はともかく、雷帝様などはお世辞にも、いい人、とは言えないだろう。

 それでも、多くの人が、ハタノの味方をしてくれた。


 雷帝様。炎帝様。城帝様。

 シィラやミカ。ガイレス教授や、エリザベラ教授。


 そして何より……幸運にも出会えた愛しい妻。

 チヒロが居なければ、今の自分はここにいなかった。……それらの幸運が、たまたま、ハタノをここに居合わせただけだ。


 ハタノは胸に手を当て、自分が至った経緯を思い浮かべながら、続ける。

 それが自分に示せる、精一杯の誠実さだからだ。


「グリーグ教授。私は沢山の人に手を取られ、今ここにいます。もちろん誰もが善意で動いた訳ではありません。……それでもきちんと、自分のあり方を示せば、認めてくれる人はいるものです」


 かつて、ハタノの治癒は異端視され迫害され、追い出された。

 その時にふて腐れた気持ちが、全くなかったかと言われれば嘘かもしれない。


 けれど幸運にも出会えた妻が、自分を認め。

 雷帝様や、ミカ、シィラが認めてくれたことから形が変わり、今こうして帝都中央治癒員に戻ってきた。

 ――それは単なる奇跡、ではなく。

 きちんと自分の仕事に向き合ってきたからだ、とも、ハタノは思う。


「ですから教授。もう一度、きちんとやってみませんか。……最初から、一治癒師として。教授のお力であれば、必ず出来るはずです」


 ハタノは、どうか、とグリーグ教授に手を差し伸べる。


 ……正直、彼のことは好いていない。

 それでも当人が望むのであれば、ハタノは力を貸したいと思う。


 そんな、ハタノの想いは――


「相変わらず、院長は綺麗事がお好きなようだ。その二枚舌で、一体いくつの相手を落としてきたことやら」


 結局、伝わらなかった。


「ハタノ院長。私を馬鹿にするのもいい加減にして頂きたい。そんな子供じみた言葉を口にして、一体何の得があるんです?」

「教授」

「私は騙されませんよ。あなたは間違っている。――なにが仕事だ。それで上手くいくなら、今まで私がやってきたことが全部無駄になるでしょう? 違うんです。世の中すべては才能と、そして舌の上手い奴が立ち回れるんです」

「グリーグ教授」

「そうでなければ、私は。……治癒師でなく政治屋として生きてきた私は、あまりに報われないではありませんか! こんなにも! こんなにも頑張ってきた私を、結局、誰も救ってくれないじゃあないか――」


 テーブルを叩き、グリーグ教授が吠えて立ち上がった、その時。




 ハタノの視界の端で、ちかり、と何かが光った。


 え、とハタノは教授とともに、窓に視線を向け。

 直後に感じたのは――肌に叩きつけられるかのような、魔力圧。


「っ……!」


 何の変哲もない、のどかな昼時。

 まばゆい太陽が照らす帝都の空に、凝縮された宝石のような閃光が、きらめく。


 直後。


 帝都の頭上に、巨大な岩の腕が現れ――その光を掴む。


 ハタノが呆気にとられる前で、光が輝きを増し、爆発。

 轟音とともに岩が砕け、まるで流星のように――帝都に、炎と岩の雨が降り注いだ。

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