6-3.「旦那様なら、理解、できますよね?」


 雷帝メリアス。

 帝国三柱の一人にして、極才”神の雷”保持者である彼女は、その名の通り晴天に雷を振り下ろす裁きの力を扱える。

 常人は勿論、才ある者であってもその一撃に耐えれる者はいないだろう。


 しかし世界最高峰の才――”極才”と呼ばれる力は、無敵ではない。

 ”勇者”が高い身体能力を持ち、攻防に優れた万能職なのに対し、極才の力は一点特化。

 何かに秀でる代わりに他の全てをそぎ落とした極限の刀であり、側面を叩かれれば容易く折れる。

 即ち、防御力がゼロである。




 銃声が轟いた瞬間、誰もが動けずにいた。

 ホールに居たのは大半が内政に関わる者であり、戦慣れしていなかった。

 中には戦闘職の者もいたが、生憎、雷帝様とは些か距離が離れていた。


 しかし唯一、銃声よりも早く動いた者がいる。

 チヒロだ。


 理解するより先に、身体が動いていた。

 ”勇者”の嗅覚が、僅かな殺気を感知して飛び跳ね――直後、迷う。


 チヒロは敵を睨む。正体不明の黒い筒を握っている。……あれは、何か?

 チヒロは“銃”を知らない。

 反射的にそれが投射系武器だと察したが、相手の腕を落とせば止まるのか? 既に攻撃は射出されているのか? 威力は? 射程は?


 チヒロの手元に、刀はない。

 祝辞の席に刃を持ちこむのは失礼と指摘され、やむなく愛刀を手放していた――不運が、重なる。


 チヒロが優先すべき仕事は、敵を屠ることではない。

 雷帝様を、ひいては陛下を守ること。


(――――っ!)


 チヒロは男と雷帝メリアスの間に、自らの身体をねじこんだ。

 同時に、魔力障壁を展開する。

 障壁を強化する時間はなく、常時展開している装甲のまま。


 それでも、勇者の持つ魔法障壁。薄くとも竜の爪程度なら防げる代物。

 油断した訳ではないが、並大抵の攻撃なら軽減できるはず――



 そう判断したチヒロの肩を、衝撃が貫いた。


「くっ……!」


 正体不明の一撃。左肩をふっとばされた。いや、違う。貫かれた?

 遅れて彼女の肉と血が飛び散り、骨がえぐれる感触とともに、多大な痛覚をもって全身に警告が走る。


 それでもチヒロは怯まず、男を始末しようと右手に魔力を収束させ――

 背後から聞こえた悲鳴に、足を止めた。


「っ、ああああっ!」


 背後に庇ったはずの雷帝メリアスが、肩を押え、激痛に呻いていた。


「――っ」


 魔法防御を完全に貫かれた、とチヒロは判断。

 直後、男がチヒロに銃口を向け、さらに引き金を引く。


 その背後に――もう一人、男の姿。

 王国万歳、と叫ぶ男の影に隠れ、二人目の――本命の暗殺者がその銃口を構えたのが、視界に映る。


 チヒロは一瞬、回避しようと足に力を込めた。

 が、すんでの所で静止。

 もし自分が避ければ、敵の一撃が背後の雷帝様に命中する可能性がある。


 ならば――


「っ……!」


 チヒロは身体を無理やり捻り、左腕を振りあげた。

 背中に庇った雷帝メリアスに、軽い裏拳を打ち込む。衝撃でメリアスの身体が吹っ飛ぶ。敵の射線を外す。


 直後、パン、と二つの発砲音。

 ひとつはこめかみをかすめ、回避に成功。

 同時に、脇腹に激痛。肉体が抉られ、思考が急速にクリアになる。

 それが何の痛みなのか、チヒロは理解しない。理解する暇があるなら脅威の排除をすべきだと、妙に時間感覚が遅く流れる世界の中、全力で仕事に励む。


 彼女は”勇者”だ。

 勇者とは、人を守るべきもの。


「っ、あああああっ!」


 右手に炎を灯す。その時点で、チヒロは己の防御を捨てた。

 敵の脅威度は不明。雷帝様は射線から逃がした。後は最速で始末するのが最善。

 でなければ、皇帝陛下の身すら危うい。

 たとえ差し違えてでも――チヒロが吠え、男達をまとめて焼き尽くす炎を投げつける。


 直後、三発目の銃声。

 炎と銃弾が交錯し、すれ違う。

 チヒロは胸元に衝撃を受け、身体をくの字に折られつつも、立ち止まり。

 カウンターで放たれた炎により、不当な暗殺者共が巻かれ、黒焦げに燃え尽きていく。


「がああああっ、熱い、熱いいいいいっ」

「王国ばんざああああい!」

「……ぐっ!」


 暴れながら炭と化す男二人を確認しつつ、チヒロは周囲を警戒。

 他の敵は。雷帝様は無事か。陛下は。

 視線と魔力捜査を飛ばし、ホール中を走査して――


 ふと。その視線が、ハタノと交わる。


 彼は、チヒロを見ていた。

 戦闘職でない彼はもちろん、数刻の危機に動くことは出来なかった。むしろ動いていたら邪魔になっていたので、静止したのは結果的に正しい行動だったとも言える。


 そんな彼に、チヒロは檄を飛ばそうと口を開く。

 早く、雷帝様を診てくれ、と――


 が、言葉はなぜか、形にならず。

 代わりに零れたのは、ごぼっ、という嫌な音と……大量の血痕。


「……?」


 うまく、身体が動かない。

 声が、出ない。


 チヒロはようやく、自らを見下ろす。

 色鮮やかな牡丹柄で着飾った、和服の内。

 丁度、心臓の辺りに手を当てると、その指先がべったりと血に染まっていった。


 ……風の音がする。

 遅れて、身体に自己治癒魔法を走らせ、理解する。


 己の心臓に、既に風穴が空いていることに。

 血染めのチヒロとまで呼ばれた女が、敵の血ではなく自らの血で、牡丹柄の着物を濡らしていることに。


 ――ああ、と。

 彼女は小さな、失望の声を零す。

 急速に失せる魔力。遠のいていく痛覚。色を失っていく世界。


 会場に響く悲鳴と怒声。燃えさかる炎。

 混乱と悲鳴の最中、チヒロは薄れゆく意識のなか、もう一度だけ旦那を見つめ。

 形にならない声で、呟いた。


 ――旦那様。

 ――申し訳ございません。私、死にました、と。


 心の中で謝りながら、彼女は血だまりの中へと崩れ落ちた。


*


 ハタノがそれを攻撃と認識したのは、二発目の銃声が響いた直後だった。


 雷帝メリアスの身体が、チヒロの殴打で飛ぶ。直後、チヒロが二発目を受けて後ずさる。

 フィレイヌが後方に飛び、皇帝陛下の幕へと魔法障壁を展開。


 チヒロが炎を掲げ、男へ反撃。

 男の身体が燃え上がるとほぼ同時に、三発目の銃声。

 チヒロの身体がくの字に曲がりつつも、男を焼き尽くし――爆発することで、ホールが混沌に陥った。


「うわああああっ」「何事だ!?」「襲撃! 王国の暗殺者です!」

「馬鹿な、どうやって入り込んだ!」「雷帝様は無事か!?」


 悲鳴をあげる者。倒れた雷帝メリアスに駆け寄る者。ただ騒ぐだけの者。

 陛下お付きの魔術師がフィレイヌに続き魔法障壁を展開しながら、ヴェールの奥にいるであろう陛下を避難させていく。


 そして、ハタノは――ほんの一瞬だけひるみ、けど、


「チヒロ……っ! チヒロ!」


 血だまりの中に伏せたチヒロを見て、全身が総毛立った。

 ぞくり、と芯の底から心臓をわしづかみにされたような恐怖を覚えながら、チヒロの元へ。


 チヒロ。チヒロ。


 ハタノは心の中で叫び、全身から汗が噴き出し、ドン、と誰かにぶつかりよろめき邪魔な人間を押しのけながら。

 愛してもいない妻の元へと、彼は走り――


 そのハタノの耳に、ホールに渡る悲鳴に混じるように、突入してきた兵士が急報を告げた。


「き、急報! ガルア王国、及び宗教国家アザムより進撃あり! ゴーレムと思わしき魔法機兵を携えフィオナ河を渡航中、その数、二万!」

「なんだと!? 馬鹿な、王国にそのような戦力があるはずが無い! そもそも何故進軍に気づかなかった!」

「それが、巡回兵によると突然現われたと!」

「アザムの幻影魔法か! かの国と手を組んだと言うのか、王国め!」

「我が帝国は今――大群の奇襲を受けています!!!」


 その悲鳴と叫声が、混乱を加速させた。

 眼前で雷帝と勇者が撃たれた悲劇を目の当たりにし、まだ暗殺者がいるのではという憶測が飛び交い、パニックに陥った者が我先にとホールからの脱出を計る。

 そこへ入れ違うように警備兵がかけつけ、統率が取れなくなり――


 ハタノはその波を掻き分け、蹴飛ばされ、体当たりを受けながら。

 それでも血塗れの妻の元へと膝をつき、その容体を見て……


 顔を、歪める。


「チヒロ」

「……旦那、様……?」


 息も絶え絶えに呟くチヒロは、常人であれば即死の状態だった。

 貫通攻撃を三発。血塗れのため子細は不明だが、左肩に一発。脇腹をかすめて、一発。

 そして、心臓を斜めにぶち抜かれた一発。


 生きている方がおかしい。けれど、彼女の各部が淡い光に包まれている。

 ”勇者”が持つ高い自己治癒能力。失われた血を魔力で補うことで、命を取り留めているのだ。


 ――だとしても、あまりに傷が深く、出血量も多い。

 既にハタノの足元は血に塗れ、チヒロの顔は蒼白に震え、濃厚な鉄と死の香りが漂っていた。


 ハタノは直感する。これはダメだ。助からない。確実に妻は死ぬ。

 ……だとしても!


「待っててください。今、治癒します」


 ハタノは、成すべきことを成すまでだ。

 ”勇者”の自己再生能力の強さを、ハタノは知らない。

 故に、もしかしたらという一縷の望みをかけつつ、とにかく止血と体温維持を――

 と、腰元のアイテム袋へ延ばした、その手を。


 チヒロにぐっと掴まれ、止められた。


「……旦那様。何を、しているのです……?」

「なにって、治癒を!」

「っ――拒否、します」


 ハタノは耳を疑う。彼女は、何を言っているのか。


 もう助からない、と生存を諦めているのか。勇者であっても心臓を穿たれれば死ぬと、理解しての発言か。

 だからと言って、諦めるなど!


「チヒロ。私は治癒師です。結果的に助からずとも、可能性があるなら最善を尽すのが私の仕事です。邪魔をしないで!」

「……ええ。ですから、っ……あなたの仕事を、成して下さい。旦那様」


 彼女はその全身にたっぷりと血化粧を纏いながら、ハタノに道を示す。

 震える指先で、彼女が示したのは……。


 チヒロの一撃により吹っ飛ばされ、今なお倒れ伏している――雷帝メリアスの姿。

 黄金の髪と漆黒のドレスを纏ったその姿は、今まさに赤く染まりつつある。


 ハタノはその意味を理解し、愕然とした。


「……旦那様なら、ご理解頂けるはず、です」


 遅れてチヒロが、治癒師としてあるべき道を、示す。

 息も絶え絶えながら、彼女は決して間違うことなく、最善を突きつける。

 お前が優先すべき患者は、私ではない、と。




 ――”勇者”。

 数多の“才”の上位互換にして、極めて高度な単騎性能を持つその存在は、帝国でも十数名しか居ない精鋭。

 帝国の至宝にして、戦線における要。ひとつの戦力の最高峰。


 しかし稀少ではあるものの、代わりが効く存在でもある。

 ”神の雷”帝国三柱が一人、雷帝メリアスの恩身に比べれば……?


 理解したハタノに、チヒロは聞きたくも無い、自らへの死刑宣告を口にする。


「私と、雷帝様の命と、どちらを優先すべきか。……旦那様なら、理解、できますよね?」と。

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