5-8.「実際に経験するとまた見えてくる景色もありますよ」

 そこは光一つ射さない、完全な暗闇の中だった。

 腕を伸ばしても己の指先すら見えず、それどころか腕を伸ばしたという感覚すら分からない。


 ハタノは困惑と焦燥、漠然とした恐怖感を前に、足を踏み出す。

 自分が進んでいるのか、それとも後退しているのか。

 あるいは、何もない空間をただふわふわとさまよっているのかすら分からず、ただ焦燥に駆られたように走り出す。


 その足を、見えない腕に掴まれた。

 息をのむハタノの耳で、誰かが囁く。


 ――お前の治癒は、間違っている。

 ――お前にはもっと、出来ることがあったはずだ。


 舐めるような声が囁かれ、どすんと何かが落ちる。

 寝台に寝かせていたはずの患者が転落し、死体となってハタノの前に転がっていた。

 その胸元にはハタノの手により開かれた傷がばっくりと露わになり、全身血塗れの姿で横たわっている。


「っ……」


 夢だ、と気がついた。

 ハタノが時々見る夢だ。


 治癒に失敗し、患者が亡くなってしまう夢。

 医療事故を起こし、あるいは自分のミスにより患者に致命的な影響を与えてしまう夢。


 手術中に手が滑った。

 判断を誤った。

 傷を体内に残したまま、治癒魔法で皮膚を閉じてしまった。


 現実に起こりえた可能性。

 普段は胸の内にぐっと押し込み、意識しないよう抑えていた恐怖がぶわりと吹き出るように渦巻き、ハタノはどっと汗を流しながらその闇を見つめ――


 直後、どすっ、と背中から音がする。


 覚えのある痛みと共に、振り返れば。

 患者に背を刺される自分の姿がなぜか見え、ひたひたと、死の足音が近づいてきて――


*


「……先生?」

「っ!?」


 びくっと身体を強ばらせ、ハタノはようやく夢から覚めた。

 ……診察室で昼食を取ったついでに、うたた寝をしてしまったようだ。


 ふるりと頭を振り、起こしてくれたシィラに声をかける。


「すみません。少し寝ていたようです」

「お疲れですね、先生。……今日は休まれますか?」

「いえ。そういう訳には参りません」


 爆発事件の二日後。

 ハタノは院長外来を一時休診し、いまだ事後処理にあたっていた。


 治癒というのは継続性のある行為だ。

 二日、三日、一週間、一月と過ぎていく間に患者の様態はもちろんのこと、スタッフの疲労やストレスの蓄積にも気をつけねばならない。

 また今回の事件を受け、今後の対応を協議したり、不足している物資の応援依頼――仕事は山のように積まれている。

 休息は必要だが、休みすぎる訳にもいかない。


 シィラが心配そうに、ハタノを伺う。


「あまり無理をしないでくださいね、先生」

「ええ。ところで、シィラさん。何か御用だったのでは?」

「はい。それが……」


 シィラが顔を曇らせ、じつは、と状況を説明した。


 爆発事件から二日が過ぎた今も、帝都内での救援作業は続いている。

 その中で二日ぶりに、瓦礫から救出された患者が数名いた。

 ところが。

 瓦礫を除去して担架に乗せ、治癒院に運んだところで患者の様態が悪化し、そのまま亡くなってしまった……という事例が数例あったと、当院以外の治癒師より報告が届いたという。


「……ああ」


 ハタノは頭を抱えた。

 ”宝玉”による”才殺し”に目が行っていて、そちらの対処がおろそかになっていた。


「先生? 原因は分かるんでしょうか?」

「ええ。クラッシュ症候群と呼ばれるものですね」


 クラッシュ症候群。

 瓦礫などの重いものにより、腕や腰、太ももなどが長時間圧迫され、その後圧迫から解放されたときに起こる症状だ。


「瓦礫などにより筋肉が長時間圧迫されますと、筋肉の細胞――筋肉を構成する物質が、障害や壊死を起こします。それは分かりますか?」

「はい」

「そうして障害や壊死を起こした筋肉をそのまま放っておくと、内側に毒素――正しくは違うのですが、毒のある成分が出てくるんです。が、この時点ではまだ瓦礫に圧迫されているため、筋肉内に留まっています」

「……それは、つまり」

「圧迫を解除したと同時に、これらの毒素が血流にのって全身に巡り、死に至ります」


 現場にいた救援隊はひどく驚き、また落ち込んだことだろう。

 長い時間かけ、瓦礫の中から患者を救出したにも関わらず急変し、命を落としたのだから。


「この病の厄介なところは、救出する前まで患者が元気に見えることです。……もちろん救援が早いに越したことはありません。しかし、もし長時間の救出が叶わなければ、疑った方がよいでしょう」


 とはいえ、クラッシュ症候群は外傷の中でも特段、死亡率が高い病だ。


 そもそもの救命が難しく、また対処法も難しい。

 ハタノの知る知識では、救出後に大量の輸液および透析により、血中に流れた毒素をなるだけ薄めつつ除去することだが帝国の医療レベルでは難しい。

 というより、ハタノも異世界の知識として透析を知っているだけで、実際に行ったことはない。

 現実でできるのはせいぜい、瓦礫を除去する前に大量の水を飲ませ、血中内の毒素を薄める。

 あるいは瓦礫除去前から輸液を行うのが良いだろう。


 ”才”が高い者であれば、圧迫された部位を切除したのち魔力により再生することも可能だが……

 一般市民にそれを適用するのは、難度が高い。


「では結局のところ、助けるのは難しい、ということでしょうか」

「残念ながら。とはいえ、全く対応できない訳ではありません。水分補給と持続回復、その両方を併用することで助けられる命もあったとは思います」


 ハタノは改めて、自分に出来ることがあるなと再考する。


 正しい治癒知識の、伝達。

 クラッシュ症候群に限らず、帝国の治癒師は魔法に頼りすぎたあまり、基礎的な医療知識が欠けている面がある。

 治癒魔法に頼るなという訳でなく、治癒魔法をより有効に使える術があるにもかかわらず、先の”才殺し”による刃のように、ハタノやシィラ以外では治癒を行えない症例が多く診られた。


 それらに対処するには。


「シィラさん。……これからもっと忙しくなると思いますが、今後も宜しくお願いします」

「は、はい。これからも患者さんの治癒は、頑張りますが――」

「いえ。それもありますが」


 シィラは最近、ハタノも驚く程の速度で知識を吸収している。

 ハタノの勉強会以外でも、ハタノから本を借りて知識を仕入れ、実践も欠かさず行っているのだろう。


 あと一年、あるいは二年もすれば。


「いずれ、シィラさんには他の治癒師に知識を教える先生役をやってもらおうと思いまして」

「……え? え、えええっ!?」

「よろしくお願いします、シィラ先生」

「い、いやでも私、単なる二級治癒師ですし、そんなのっ……」


 慌てふためくシィラに、ハタノは笑って応えた。


「私だって、ただの一級治癒師に過ぎませんよ。けど、これからの治癒師には、あなたのような人が必要なのですから」


 ”才”至上主義から、”才”と”知識”の両立へ。

 奇しくもそれは、雷帝メリアスが目指す帝国の未来像そのもの。

 自分は相変わらず、雷帝様の手のひらの上で踊らされているのかもしれない。


 それでも、患者が一人でも多く救えるのなら、構わない。


「待ってください、ハタノ先生! 私には、せ、先生なんて荷が重すぎますっ」

「知ってます。シィラさんは苦手でしょうね、そういうの。でも」


 と、ハタノはもう一度笑い、後頭部を掻きながら困ったように呟いた。


「私も苦手です。人に教えるのも、院長をするのも。……けど、実際に経験するとまた見えてくる景色もありますよ」


 ハタノだって不安はあるし、怖いものは怖い。

 けれど、怖くても仕事をするのが治癒師であり、怖いからと怯えていては、ただ患者が亡くなるだけだ。


 なので頑張ってくださいと笑うと、シィラは震えながら「お願いですから許してください」と頭を下げた。





 二級治癒師、シィラ=クレアベイン。

 その名が帝都治癒院の女神、あるいは大先生と呼ばれるようになるのは、もう少し先の未来のことである。


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