6-4.「私は、貴様のことが嫌いだからだ」

 治癒スタッフの再招集は、速やかに行われた。


 ハタノは天才でもなければ、完璧超人でもない。

 予測不可能なイベントに備えていた宮廷治癒師、およびガイレス教授に連絡。

 ミカとシィラも念のために起こし、フィレイヌ様に連絡を入れたのち、チヒロを急ぎ治癒処置室へと入室させる。


 既に魔力精査は行った。

 原因は、理由不明の腹腔内損傷。

 血管にしろ臓器にしろ傷一つ残してないはずだが、とハタノは顔を歪めながら、痛そうに顔をしかめるチヒロに囁く。


「すみません、チヒロさん。夜分遅くに。……残念ながら、あまり宜しくないことが起きているようで」


 私の至らなさでと謝ると、チヒロは笑った。


「謝ることはありません。そもそも想定外のことなど、いくらでも考えられます」

「……しかし」

「旦那様が最善を尽くされてることは理解しています。それで私が死ぬのなら、仕方ありません。怖くはありますが、悔いはないので」


 だからお任せしますと言われ、――本当、覚悟の決まった妻だ、とハタノは急ぎ治癒室へと向かった。





 まず試したのは、従来の治針を刺して行う治癒だ。

 単純な損傷であれば、特にガイレス教授であれば容易く治せる。


 教授がハタノに代わり治癒を行う。

 が、


「駄目だ。治癒魔法で復元できん。……通常こんなことはあり得ぬはずだが」

「分かりました。では再度開腹を試みます」


 治癒魔法で治癒できないとなると、竜核に何らかの異常が起きている可能性が高い。

 ……チヒロの身体と”竜核”が適合しなかった?

 あるいは竜核から流入する魔力量が高すぎて、チヒロにダメージを与えているか。


 いずれにせよ、とハタノはガイレスに代わり治針を手に取った。

 この世界にCT等は存在せず魔力精査で原因がわからないのなら、再度開腹して直に様態を見るしかない。

 宮廷治癒師に催眠や痛覚遮断を任せ、チヒロを眠らせる。


 その腹部にナイフを走らせ前回同様の手順で、右即腹部より開腹。

 皮膚や筋層、血管をかき分け。

 目的とする”竜核”を再度発見し――


「っ……信じられん」


 先に声をあげたのは、ガイレス教授。

 ハタノも、遅れて理解する。


 ――一応、想定はしていた。

 チヒロの身体が、竜核より産出される魔力に耐えられない可能性。

 いくらチヒロに竜魔力が宿っているとはいえ、彼女が人間である以上……竜の魔力を過剰に注ぎ込まれれば毒となり、全身をむしばんでしまう。

 懸念しなかったわけではない。


 ……が。まさか――


「ハタノ。これは……逆だな」

「ええ。私も直に見て、わかりました」

「ああ。竜核の方が、勇者チヒロの魔力に耐えられていない。――逆だ。勇者チヒロの”才”が強すぎる」


 ガイレス教授が顔をしかめ、ハタノもぐっと眉を寄せる。

 絶えられないのはチヒロではなく、竜核の方。

 竜核に、動脈より注ぎ込まれるチヒロの魔力に、竜核の出力が追いついていない。


 ――この状況は、極めて厄介だった。

 竜核の力が強すぎるなら、抑える手立てがなくもない。

 が、逆となると……?


「ハタノ。貴様の妻は、信じられん素質を持つな。いくら”勇者”とて、竜核を逆に破るほどの高い魔力を有しているとは思えんが」

「……竜の翼を取り込んだことで、チヒロさんの潜在的な能力そのものが上がっているのかもしれません。……ただ何にせよ、このままでは」


 会話の間にも竜核はきしみ、小さな傷がいくつも刻まれつつあった。

 竜核そのものから、微少出血が続いている。


 ……まずい。

 崩壊しかけている。

 放置すればいずれ竜核が破れ、下手すれば大量出血に繋がるだろう。


 どうする。時間がない。

 何か他の手立てはあるか――?


 ハタノは迷い、考え……けれど。

 ぐっと拳を握り、頷く。


「竜核を取り除き、もとの状態に戻します。この状態で放置しては、彼女が危ない」


 手術は失敗、とハタノは判断した。

 ならば元に戻す。


 竜核を取り除いたからといって、チヒロが即座に死ぬ訳ではない。

 彼女に保有された竜魔力にはまだ余裕がある。

 その間に、次の手を考える――このまま致命傷に至るよりは、まだ、


「待て、ハタノ。ここで竜核を取り除けば、崩れた竜核を再使用することは難しくなるぞ。この銀竜の竜核は、勇者チヒロに唯一馴染む竜核だ。それを失うことがどれ程の痛手か、理解しているか?」

「分かっています。ですが他に手立てがなければ、撤退しかありません。……竜核そのものが傷つき、機能停止してしまえば結果は同じです」

「確かに竜核は傷ついている。……だが見ろ、ハタノ。竜核とチヒロ自身の魔力拒絶は起きていない。適合そのものはしている。貴様の理論は、悔しいが正しかった」

「それでも結果が伴わなければ意味がありません」


 必要なのは理論や過程ではない。チヒロが治ったという結果だ。

 教授のいうとおり魔力反発が起きずとも、竜核がチヒロの魔力に耐えられず崩壊してしまうなら、意味がない。


 そしてハタノが知る限り、竜核をいま保持する手段は、ない。


「教授。すみませんが、ここは撤退を……」

「………………」


 だからこそ、ハタノは竜核の除去に乗り出そうとして。

 ――ぐっと、その腕を掴まれた。


 ハタノが振り返り、驚いて見つめたのは……

 側から手を出した、ガイレス教授だ。


「教授?」

「……なるほど。面白い。予想外ではあったが、じつに好ましい状況だ」


 ハタノは眉を寄せる。

 ……?


 ハタノの隣。

 同じ治癒師として佇むガイレス教授は。

 彼は、なぜか――

 しわがれた老獪な瞳に、うっすらと邪悪な笑みを浮かべ、ハタノを横目で見つめていた。

 その顔に浮かぶのは、――愉悦?


「……教授? どうして止めるのですか。何を笑って」

「ハタノ。私は貴様に、どうしても言ってみたい台詞があった」

「は……?」

「代われ。ここからは私が、主治医だ。私ならこの勇者を救える」


 ハタノは躊躇う。

 何を言ってるのか。正気か? と。


 ……しかし。


(教授は、私の理解が及ばない相手ではありますが……決して、狂言をいう人間ではない)


 人としては信用できずとも。

 ”特級治癒師”として、ハタノは彼を優れた人物だと見積もり、だからこそ教授をここに呼んだ。

 彼に背を預けたのは、自分。


 ならばと身を引いたハタノに代わり、ガイレスがチヒロの前に立つ。

 治針をそっと差し込み、傷ついた竜核の形をゆっくりと目視で確かめながら、針先をなぞらせ……。


 ハタノに、ニヤリと笑った。


「ハタノ。貴様は”特級治癒師”をどう思う?」

「どう、とは」

「一級治癒師の上位互換。その程度にしか考えていないだろう。だとしたら、貴様は特級治癒師を甘く見すぎだ」


 露出した竜核をゆっくりとなぞり、その形状を確かめる教授。


「ハタノ。一級治癒師が使える治癒魔法の最高峰は、なんだ?」

「“創造”です」

「そうだ。一級治癒師における最上位治癒魔法”創造”。それは自ら思い描いた物質を作り出す、強力な魔法だ。……しかし”創造”は自身に詳細な知識がなければ、その場しのぎの偽物しか作れぬ代物」

「はい。それは存じていますが」

「――特級治癒師が、さらに上の魔法を使える、としたら?」

「さらに上?」

「特級治癒師はかの雷帝様程ではないにしろ、固有にして唯一無二の魔法を持つ。そして私、特級治癒師ガイレスが扱う史上最強の治癒魔法。それが、これだ」


 できの悪い生徒に講釈を垂れるよう語りつつ、ガイレスはもう一度竜核の傷に触れ、ぼそりと言葉を紡いだ。

 小さな詠唱をはさみ、治針の先に赤い光が灯り、直後――


「っ……!」


 竜核の傷が、塞がれていく。

 ……治癒魔法?


 いや。治癒魔法により竜核の損傷が癒せないことは判明している。

 仮に治癒できたとしても、チヒロの魔力に竜核が耐えられないという事実に変わりはない。


 だが。

 教授の治針が深紅の輝きを増すたび、竜核はその傷を癒し、同時に――

 魔力産出量そのものが、チヒロの身体に適合するかのごとく上昇している。


 ――違う。

 これは治癒しているのではない。

 治癒魔法はあくまで元の機能に復元する魔法であり、機能を上昇させるのは不可能だ。

 ……となると……


 先ほどハタノは、一級治癒師の最大魔法を”創造”と答えた。

 その上となると。


「教授。その魔法は……まさか。竜核を新しく作っているのですか?」


 くく、と、ガイレスが愉悦の笑みを浮かべた。


「そうだ。これが私の最大魔法”生命生成”。文字通り、命を作る魔法だ」


 ハタノは絶句する。

 作る?


 聞き間違いで無ければ……治癒ではなく、完璧な生命の生誕。

 人や竜の臓器を作り出すということは、すなわち、生命そのものを魔法で生み出せると。

 そんなことが可能なのか。


 いや。仮に可能だとして、それは――


「……待ってください。教授は、竜核の正確な解剖をご存じないはず。それでもその魔法は、竜核を正しく作れるのですか?」

「”生命生成”はそもそも”創造”と根本的に仕組みが違う。……”創造”は物質を正しく思い描き、それを現実に具現化する。つまり正規の解剖図が必要になる」

「ええ」

「それに対し”生命生成”は、現実の法則そのものをねじ曲げ、私の思い描いたものを現実に適合させる魔法。――私が神となり、世界にルールを敷く力だ」


 はぁ!?

 何だそのめちゃくちゃな魔法は。

 現実の枷すら、外してしまうと???


「……つ、つまり教授。その魔法は極論を言えば、自分の好きなものを好きなように作れると?」

「そうだ。人体を知らずとも命ある人間を作れる、論理も何もない現象。……くく。子供が思い描くような力だろう? どんな敵にでも勝てる最強絶対無敵の魔法――それがこれだ」

「っ……」

「だが、それが特級治癒師であり、私――ガイレスという教授の高み。貴様如きただの一級治癒師では決して及ばぬ”才”の頂」


 ガイレスが目を見開いて笑い、ハタノに見せつけるように”生命生成”の赤い光を放ち……


 その口から、小さく、血を吐いた。


「教授!」

「っ……」


 悲鳴をあげながら、そうか、とハタノは気づく。

 当然だ。

 いくら魔法の性能が高くとも、人の身で命を作るなど――”特級治癒師”であっても負荷が高すぎるに決まっている!


「教授。魔力負荷が!」

「ふん……。見栄は張ったが、実際に人を作るなど不可能だ。出来てせいぜい、人間の腕や足、心臓といった一臓器の生成が限界。……当然、竜核を作るなど特級治癒師でも出来るはずがない」

「では」

「だが、今回は貴様がすべてお膳立てをしてくれた。人体に適する形で竜核を埋め、血管を繋ぎ、魔力拒絶も起きない。その状態であれば、竜核を無理やり適合させるくらいは出来る――否、その程度が出来ずして、何が特級治癒師だ」


 ガイレスの全身が震え、しかし、その治針は竜核から離れない。


 ハタノが「魔力ポーション!」と叫び、教授に飲ませるが、まるで穴の空いたバケツに水を足すかのように効果が薄い。

 教授のもつ魔力減少が、早すぎる。


「教授。そのままでは教授の身が!」

「それがどうした。ハタノ、我ら帝国の民はすべて皇帝のため、国のため――仮に私がここで死のうと、翼の勇者が生きていた方が国の利益になる。そうであろう?」

「それは……!」


 国に数名いる”特級治癒師”と、一人で戦況を一変させる”翼の勇者”。

 どちらの優先度が高いか――?


 かつて、ハタノがチヒロを見捨て、雷帝様を優先したように。

 ガイレス教授は、自らの身より勇者チヒロを優先する。

 ただそれだけのことであり、ハタノの立場はそれを否定してはならない。


 ……それは、分かる。

 分かるが、だとしても。


「教授」


 ハタノは今、チヒロを救おうとしている男に、疑問をぶつけずにはいられない。


 自らの命を失う。

 その恐怖に抗える者など、そう居ない。

 ましてや、自ら死に向かいながら治癒魔法を放つなど、狂気の沙汰だ。


 なのに。

 なのに――

 勇者チヒロを救おうとしている男は、何故か。

 脂汗をかきながら、今にも死にそうな顔をしながら、……患者に向き合うでもなく。


 ……ハタノを見つめ、薄気味悪く笑っていたのだ。

 何故。何故?


「くく。不思議そうだな、ハタノ。私がどうしていま、笑いながら貴様を見ているか。分からないだろうな。貴様には決して」

「教授。そんなことより、私にできることは」

「無い。これは特級治癒師だけが立てる場だ。貴様には何一つとして出来ることはない。だから」


 教授の赤い光が増幅し、”生命生成”の力が、走る。

 その魔力の輝きは、雷帝様に迫らんとするばかりに強く。


 ガイレス教授の顔は土気色に青ざめ、自ら死へと近づき――悪魔のように、笑う。


「貴様はそこで己の無力さを噛みしめ、悔いるがいい。そして目に焼き付けろ。……私が。この私”特級治癒師”ガイレス=ドルリアこそが、この世で最も優れた治癒師であると。その身で知り、そして私が死んだ後も悔い続けろ。永遠にな」

「っ……どうして、そこまで」

「決まっているだろう!」


 ぽたり、と。

 その唇から血を零しながら、教授はハタノに向け――


「私は、貴様のことが嫌いだからだ。……そして貴様の方が、私より遙かに優れた治癒師だからだ!」

「は?」

「貴様には理解できぬことだろうがな。私には――俺には決して、その屈辱は受け入れられん。つまらぬ男のくだらない意地を、そこで見続けているがいい、ハタノ」


 血を吐きながら。

 男は、ハタノに決して理解できないことを、心の底から、叫んだのだった。


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