6-3.「私の手で宜しければ、いくらでも」
”竜核移植”手術において、ハタノが参考にしたのは異世界の腎移植手術だ。
腎臓。
血液を濾過し、余分な老廃物や塩分を体外へと排出するその臓器は、人体でいう腹部の背中側(後腹膜)に左右一つずつ存在する。
配置は左右対称に見えるが、実際には右腎のほうが肝臓に圧迫されやや低い。
そして通常の腎移植手術では、機能を失った腎臓を切除――はせず、元々あった腎臓のさらに下側。骨盤腔内に新たな移植腎を埋め込み、外腸骨動脈や尿管、膀胱を吻合していく流れになる。
――今回の手技はその簡易版。
他臓器には触れず、移植腎と同じ場所に竜核を埋め込み動脈と静脈を吻合するという、言葉にするだけならシンプルなものだ。
これは”竜核”の特性によるところが大きい。
竜核は臓器としては異例なほど簡易的な構造をしており、肺のようなガス交換も、尿管との吻合も必要ない。ただ血液循環さえ保てれば、魔力を産出できるという単純さに救われた一面がある。
(理屈だけを見れば、決して難しい作業ではない)
ハタノはすっと眉を寄せ、妻の身体に刃を向けた。
まずは皮膚。
手を当てつつ魔力を通したナイフにて、右下腹の皮膚をさらりと裂き、続けて筋層を切開し腹腔内を露出。
定期的な浄化魔法により汚染を防ぎつつ、まずは、壁にへばりついた下腹壁動静脈を結んで脇にどける。
続けて、ハサミの先端にちいさな金属板のついた器具――開創器という、開いた腹部を固定して保持する器具――をぐっと挟み、開いて固定。
術野を確保したうえで、いくつも張り付いている腹壁を治針で横へとよけていく。
……治癒魔法最大の利点はこの際、仮に動脈や組織を傷つけたとしても、すぐさま治癒できることだ。
もちろん強引な切除は行わないものの、万が一ミスを起こした時のリカバリーが効く――常時その意識を頭に置きながら、治針を伸ばす。
腸骨動脈を露出し、リンパ管を治癒魔法にて結紮。
さらに創部を開き、ようやく目的となる瑞々しい内腸骨動脈が露わになったところで、ハタノは一度息をつく。
(異世界の治癒……手術には、治癒魔法がないと聞きますが、正気の沙汰とは思えません)
……もし、治癒魔法がなかったら。
ハタノには想像もつかないが、事実、異なる世界ではその前提で治癒が行われているらしい。
治癒魔法がない世界で、切り、縫い、結び、止める。
切る以外すべて治癒魔法で行え、さらに汚染には浄化魔法で対処できるこの世界の医療に比べ、あの世界はどれだけ過酷なことだろう。
その中で切磋琢磨している者達は、人知の及ばぬ怪物達に違いない。
――治癒作業にあたりながら、ハタノの思考に余裕があるのには理由がある。
ひとつは、ガイレス教授の配した宮廷治癒師の実力が高いことだ。
ハタノは治癒魔法以外の処置――浄化による汚染対策や、持続治癒による患者体力の維持管理を、彼らにすべて任せている。
これが非常に安定していた。
強すぎず弱すぎず、さざ波一つない穏やかな海のように、患者の魔力が常に安定しているのだ。
そして、もう一つ。
背中にガイレス教授が控えているのも、ありがたい。
ハタノが万が一致命的なミスを犯したとしても、教授の強力な治癒魔法があれば、致命傷は免れることができる。
その目算が、ハタノの精神を非常に安定させていた。
(剥離完了。……準備はできた。お願いします)
ハタノが目配せをすると、ガイレス教授がそっと控えていたものを運んできた。
一見すると銀色の、卵のようなもの。
予め処置を施し、動脈および静脈を露出させたまま魔力で安定させたそれは、今も薄く発光している。
”竜核”。
手袋をした手で触れると、暖かく柔らかく、けれど力強さを感じる不思議な感覚がある。
竜核は竜にとって、第二の心臓と呼べるものでもあるらしい。
(これが上手くいけば。お願いします)
ハタノは意味もなく祈りつつ、そっと、手術で開いたチヒロの腹部へと差し込んでいく。
幸い銀竜は小型竜であったため竜核も小さく、腹部にきちんと収まるサイズだ。
(あとは……竜核と血管を繋ぐための、人工血管の吻合)
ハタノは動脈にそっと針開け器具を差し込み、ぱちん、と穴を開ける。
大出血に至らないよう押さえつつ、そこへ事前に制作した人工血管を差し込んでいく。
――今回用意した人工血管は、ハタノの切り札のひとつ。
チヒロから前もって取り出したべつの血管を、治癒魔法で再生保持したものだ。
他の生物、あるいは”創造”魔法にて作成した血管では、長期の使用に耐えられない。
この世界にはステントグラフトのような人工血管も存在しないため、ハタノは大分悩んでいたが――シィラと解剖練習を重ねる間に、ふと閃いたのだ。
治癒魔法があるなら、当人の血管を再生し使い回せないか? と。
そうして幾つか実験した結果、実用的であるとハタノは結論づけた。
新たな人工血管を吻合し、治癒魔法で念入りに治癒。
同様の処置を静脈にも行っていく。
ハタノはじっとりと汗を流しながら、縫合ミスがないか魔力精査。
問題無いことを確認した後、遮断していた血流を再開。
チヒロの体内にて竜核に血が流れ始め、どくん、と竜核が震えたような気がした。
ハタノは竜核にそっと手を触れつつ、さらに念入りに魔力走査を行う。
竜の魔力生産に異常はないか。
チヒロの全身に漂う魔力は、どうか。
竜魔力と人魔力のバランスは、最初は保てないだろう。チヒロは体調を崩すかもしれない。
が、それも次第に馴染むだろう、という予測を立てている。
ぽたり、とハタノの額から汗がこぼれ落ちた。
緊張はあるが――今のところ、問題無し。
ハタノは再び治針を取り、開いた腹部を上から順に戻していく。
剥離した血管や組織を戻し、治癒魔法をかけてひとつひとつ丁寧に。
開創器を外し、それから傷つけてしまった筋層、そして皮膚を閉じて――
……ふっ、と息をつきながら皆に告げた。
「終了です」
その一言は、自分でもずいぶん重く感じられた。
……けど。
とりあえず、ここまで。
軽く息をつきながら、しかし、ハタノは気を緩めない。
「治癒自体は完了しました。とはいえ、竜核の移植がチヒロさんに強い影響を与えるのは、間違いありません。すみませんが、しばらくは緊急手術の可能性を頭に入れておいて貰えますでしょうか」
よく勘違いされるが……
手術が終われば治癒は終わり、ではない。
術後合併症や感染症、患者本人の体力など、山場はこれから幾つもある。
仮に退院してもなお、彼女は自身の身体と付き合っていくことになる。
医療はその人の命が続く限り、継続し続ける。
手術は確かに山場ではあるが、全てではない――治癒における、ひとつの過程にすぎないのだ。
そう告げながらも、ハタノは大きく息をつく。
まずは、第一段階を突破。
そのことに安堵したのは、事実だった。
*
……妻チヒロが目を覚ましたのは、それから二時間後のことだった。
帝都中央治癒院、最上階。
窓から帝都が一望できる特別室内にて、寝間着姿のままぼんやり目を覚ましたチヒロに、ハタノは口元を和らげ微笑んだ。
チヒロも気づき、うっすらと笑みを返す。
「……旦那様。ぶじに終わりましたか?」
「ええ。今のところは。……無理して喋らなくて大丈夫ですよ、チヒロさん」
まだ、眠いでしょう?
今はゆっくり休んでください。
銀髪を撫でつつ、妻を眠りにいざなう。
ハタノも大変ではあったが、治癒で最も辛い思いをするのは患者当人だ。
労るように触れると、チヒロが柔らかにはにかみつつも、甘えるように。
「……旦那様。ひとつお願いが」
「はい」
「手を、繋いでて貰えませんか」
「おや」
「手術でお疲れかと思いますが、すこしだけ……妻のワガママを聞いて貰えれば」
その方が、よく眠れそうなので。
可愛い妻の願いに、ハタノはくすっと笑って了解した。
「私の手で宜しければ、いくらでも」
元よりそのつもりだ。
少なくとも今宵、ハタノは彼女の身を一晩案じるつもりで、ここに居るのだから。
そして迎えた、深夜――
ふと、ハタノは説明できない違和感を覚え、目を覚ます。
カーテンの揺れる月夜の下。
椅子から起き上がり、チヒロに近づくと……
彼女はうっすらと冷や汗をしたたらせながら、……ハタノに、申し訳なさそうに。
けれど訴えるような眼差しで、唇を噛んでいた。
「旦那様」
「どうしましたか、チヒロさん」
彼女の腹部に触れ、全身の魔力精査。
――どくん、と、まるで脈打つように、何かが蠢いている。
ハタノが懸念する中、彼女の口から。
ぽろりと、言葉が漏れた。
「すみませんが。……お腹が、痛い、です」
「分かりました」
ハタノはじっと、唇を噛む。
――少なくとも。
自分が知る限り、チヒロが「痛い」と口にしたのは、これが初めてだ。
ハタノは焼け付くほどに脳を動かしながら考える。
――原因は、何だ。
自分は、何処でしくじった?
ぎゅっと拳を握りながら、ハタノは自身の混乱をぐっと抑え。
治癒スタッフに緊急招集をかけるべく、立ち上がった。
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