6-5.「私の次に詳しいのはあなたですから」

 特級治癒師ガイレス=ドルリアは、生まれながらの治癒師であった。


 一級治癒師の父と、特級治癒師の母。

 自身もまた特級治癒師という優れた”才”を持ち、治癒のために尽くすことが当然とされ。

 国にあてがわれた妻も、仕事も、すべてが治癒に関わることだった。

 それ以外の人生など彼には与えられなかったし、望むという意識すら持たなかった。


 才をもって生まれた者は、才に尽くして死ぬ。

 そのあり方こそ彼の根幹であり、己が生まれた意味であり、自分が今ここに居る意味そのもの。


 ――愛してもいない妻を娶ったのも。

 ――息子に、愛ではなく治癒を教えたのも。

 ――治癒以外の遊びひとつ知らぬのも。

 すべては”特級治癒師”という才、あるいは呪いを抱えた結果であり、治癒師ガイレスが今ここにいる理由の、すべて。


 そんな自分が。

 ぽっと出の若造如きに負けるなど、あってはならない。







「私は帝国最強の治癒師だ。治癒という面においては雷帝様や勇者、四柱すらも叶わぬ、帝国の……いや、世界における治癒の最高峰。私はそのことを当然だと思い、また当然でなくてはならなかった。私には数多の部下がおり、帝都中央治癒院の長であり、誰よりも治癒魔法を最上のものとして扱う義務があった」


 じじ、と教授の針先に火花が散る。

 ”生命生成”により新たな形を得た竜核が、ぼんやりと、ほのかな光を放ち続ける。


「だが、ハタノ。そこに貴様が現れた。我々の知らない治癒を扱い“才”だけでない知識で患者を救う姿は、多くの治癒師のプライドを傷つけ、反感を買った。私自身もその姿勢は許せず、貴様を不当な治癒師として追放した」


 だが――

 ガイレスはハタノを否定する一方、どうしても拭えない疑問がこびりついていた。


 ハタノの治癒が、根拠のない手法なら。

 人の腹を裂く、治癒師としての風上にもおけぬ愚かな所業なら。

 何故それで治る患者がいる?

 他の治癒師がさじを投げた患者を、あの男だけは治せる?


 ――結果には、結果に結びつくだけの理由がある。

 それを知っているガイレスは、……薄々、理解していた。


 あの男の手法こそ、実は、正しいのでは?


 抱いた疑念はやがて確信に変わり、ガイレスは密かに推察する。

 ハタノの方が――自分より治癒が上手い、と。


 ――だが、今さらどうしろと?

 ぽっと出の若造に、帝国最強の治癒師が頭を垂れて教えを請えと?

 自分の半生を否定し、帝国すべての治癒師を否定し”才”社会で育てられた秩序を無視して頼めと?

 出来るはずがない。

 認められるはずがない。

 そんなことは、あってはならない。

 ”特級治癒師”ガイレスは常に治癒界の最前線に立つ男であり、誰にも劣ってはならない。


 故に、ガイレスは――自分が間違っていると知りながら。

 自分の方が優れている者だと、奴に証明するしか、ないのだ。


「ハタノ。貴様ならこう言うだろうな。そんなつまらぬプライド、治癒に関係あるのか、と。……ああ、その通りだ。全く意味はない! 私は、私が意味のないことをしていると自覚している。それでも私は、己の感情がそれを許せず、だから私は――俺は証明する必要があったのだ。俺は、貴様より優れていると!」


 ガイレスは、認めない。

 例えハタノが全て正しかろうとも、決して。


「雷帝様の命。勇者の救命。帝国のため。……そんなことはどうでもいい。俺が、俺が本当に見せたかったのは、俺が貴様より有能だという一点だ。そして幸運にも今、その機会が目の前にやってきた。……俺がこのまま竜核を治癒し、命を落とせば――貴様は後悔するだろう?」

「……教授」

「雷帝暗殺事件のとき、俺はただ貴様に魔力を付与するしか出来ない無能な男だった。……今度は貴様が、その無能を、屈辱を味わうがいい――」


 にいっ、とガイレスが白い歯を見せ、ハタノへ不気味に笑い。

 同時に教授の放っていた”生命生成”の魔力が途絶え、光が消える。


 そして、ハタノが絶句する前で――教授の膝が折れた。


「っ……」


 ハタノは危うく身体を抱き留め、さっと魔力精査を走らせる。


(魔力の強制使用による体力低下、および無理な魔法発動による臓器損傷)


 ”特級治癒師”は勇者ほどでないにしろ、体内における魔力の占有率が高い。

 その魔力を使い切ることは、体内の血を失うに等しい。

 ポーションによる魔力回復上限も、既に達した。


 同時に、チヒロを見る。

 彼女の竜核は、驚くべきことに……

 ”生命生成”によりすべての傷が治り、正しく、ほのかな光を放っていた。


 教授は悪意を放ちながら――確かに、成し遂げたのだ。

 だが、


(――どうする)


 ハタノの心臓が、うるさく高鳴る。

 チヒロは手術の途中ながら、光明が見えた。

 同時にこのままでは、ガイレス教授が命を落とす。


(落ち着け。私がいますべきことは、最善の治癒をすること)


「すみません、宮廷治癒師の方! ガイレス教授にまずは持続回復を」


 指示を出しつつ、ハタノは床に横たわらせたガイレスに魔力走査を走らせる。

 過度な魔力消耗による身体への負荷事例は、経験がある。

 よくある事例は、胃潰瘍や食道の損傷による吐血。全般的に消化器系へのダメージが大きいが、それ以外の可能性も考慮しなければ――


「っ……ハタノ。貴様、何をしている。本分を忘れたか?」


 意識を朦朧とさせながら、ガイレス教授が指を示す。

 その先にいるのは、未だ手術途中の、チヒロ。


 ハタノも理解している。

 倒れた”特級治癒師”ガイレスと、”翼の勇者”チヒロ。

 どちらを優先すべきか。


 かつて、ハタノは雷帝様とチヒロを比べ、チヒロを切り捨てた。

 緊急時の処置として、心情はさておき判断は間違っていなかったと、ハタノは今でも思う。


 ――けど。

 叶うならあのとき、ハタノだって両方同時に治癒したかった。

 ……そして、今なら。


 ハタノは横たわるチヒロを伺う。

 教授の命を賭けた”生命生成”により竜核は復元した。

 あとは開いた腹部を丁寧に閉じるだけだ。なら。


 ハタノは室内を見渡す。

 その視線がやがて一人の女性に定まり、ハタノはぐっと唇を噛んだ。


 ――このような予定では、なかったが。

 彼女なら大丈夫だろうと、確信をもって声をかける。


「すみません、シィラさん。ミカさん。見学中に申し訳ありませんが……」

「は、はいっ」

「見ての通り、別の急患が発生しました。私は急ぎガイレス教授の治癒にあたらねばなりません。なので――チヒロさんの治癒の続きを、お願いします」

「え……?」「は?」

「移植そのものは、私とガイレス教授で終わらせました。あとの処置はそう難しいものではありません」


 ハタノは迷いなく二人を見つめ、そっと頭を下げる。

 大丈夫。

 二人なら必ず大丈夫だと、理論の上に気持ちを載せて――


「私の妻を、お願いします」

「っ!? で、でも」

「大丈夫です。だって――チヒロさんの身体について、私の次に詳しいのはあなたですから。シィラさん」


 ハタノはにこりと笑い、シィラに優しく声をかける。




 妻を裂いて、学んだ知識と実力。

 どうか、自分に貸してもらえないだろうか――?


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