3-7.「旦那様。……私と、――考えていただけませんでしょうか」

 帝都中央治癒院襲撃事件の後、ハタノ達は帝都魔城から派遣された者達に改めて事情説明を行った。

 出現した魔物や、敵との会話について。

 ついでに帝都魔城の者から「いまや国一番の勇者様ともあろうお方が、一般宿に泊まるのはどういうことか」と小言を貰い、宿先を魔城の客室に移させてもらった。


 ひとしきり終えた頃には、すでに夜も更け。

 慣れないソファに腰を下ろしながら、ハタノは今回の件について考える。


 犠牲者は十数名ほど。

 数は少ないが、帝国貴族のなかでも”長老グリーク”と呼ばれる大物が巻き込まれたらしく、魔城はいま蜂の巣をつついたような騒ぎになっているらしい。


「グリーク様ですか」

「チヒロさん、ご存じなのですか?」

「名前くらいは。大派閥の長であり、悪くいえば古い価値観をお持ちの方です。……まあ、反雷帝派の筆頭、と思って貰えればと」


 政治に詳しくないハタノには、ぴんとこない。というか、反雷帝派なんているのか……。

 それよりも気になるのは、敵の狙いだ。

 ハタノは相まみえた男のセリフを思い出す。


 王国の”召喚師”は、明らかにチヒロを狙っていた。

 情報の過ちがあったらしく、チヒロが入院していると彼らは思っていたようだが……


(敵は帝都内にすら襲撃を仕掛けられるほど、本国に食い込んでいる)


 雷帝様暗殺未遂事件を経験したハタノとしては、決して、帝都も安全ではないのだと改めて実感する。


 そして今回――もし、敵が正確に情報を掴んでいたら。

 ガイレス教授との面会中にハタノもまとめて爆発に巻き込まれ、死んでいた可能性もある。

 もちろん、チヒロが防いでくれた可能性は大いにあるが……


 今回問題がなかったからといって、次も大丈夫だと楽観視できるほど、ハタノは気楽には考えられない。

 そして、チヒロは一人なら大抵の困難に対処できるだろうが、もしそこに自分が居合わせたら?


 雷帝様襲撃事件の際も、そうだ。

 チヒロが奇襲を受けた訳ではなく、奇襲を受けた雷帝様をかばって銃撃された。

 彼女は高い身体能力を持つが――完全無欠ではない。


(この件について、チヒロさんはどう思っているのでしょうか)


 今回の事件や、迷宮事件のように、自分達から乗り込む場合はまだいい。

 しかし不意の襲撃まで考えると、戦闘職でないハタノはどうしても、チヒロの足を引っ張ってしまう場面があるだろう。

 それを避けるには……


(……本当は聞かなくても、薄々理解してるのですが)


 彼女の足を引っ張ってしまう理由は、自分が側にいるから。

 なら、チヒロと離れてしまえばいい。――簡単な結論だ。


 ハタノとチヒロの関係は、あくまで業務上のもの。

 勇者の婚姻相手は一級治癒師であれば誰でもよく、……ハタノである必然性は、全くない。

 それくらい、ハタノとて言わずとも、分かっていたのだが――


 ハタノはあえて、妻に尋ねる。


「チヒロさん。今回の事件を、どう見ますか」

「……狙いは私のようですね。翼の勇者の存在は、ガルア王国にとって大きな脅威でしょうから」

「ええ。情報にずいぶん誤差があったようですが、それは間違いないかと」


 彼女がいまや、世界中から狙われる存在なのだと改めて実感させられる。

 ……そして、悩んでも仕方のないことだが。


(ただの治癒師である自分が、もどかしい)


 自分にも戦う力があれば。

 ……なんて気持ちは、高望みだと知りながら、つい考えてしまう――


「旦那様?」

「え? ああ……険しい顔をしていましたか?」

「はい。少々お疲れなのかなと」


 ハタノは申し訳なく頭をかきながら、チヒロに微笑んだ。


「まあ、私の妻が事件に巻き込まれたわけですからね。心配もしますし、気になります」

「……私の心配、ですか」

「ええ。奥さんの心配をしない旦那なんてそう居ないと思いますよ」


 その気持ちは、本心だ。

 仕事仲間として、……と同時に、ハタノ一個人としても、心配はする。

 ”勇者”が戦闘職だと知っていても、辛い目にはあって欲しくないなと、無謀な望みを抱いてしまう。


 ……いけないな。

 考えすぎはよくないし、妻を不安にさせてしまう。


(切り替えていこう。私は”治癒師”。自分にできることは、チヒロさんの治癒をすること)


「……とりあえず、チヒロさん。襲撃のせいで話が流れましたが、チヒロさんの治癒方針については、ガイレス教授と改めてお話し――教授を必ず、説得いたします」

「旦那様」

「チヒロさんに不便はかけさせません。治癒の世界に、絶対はありませんが……私は、私にできることを、可能な限りやるだけですから」


 悩んでも仕方のないことは、割り切ろう。

 今、自分に出来ることをするのみだ。


 と、ハタノが再度気合いを入れる前で、……チヒロがなぜか、ぎゅっと唇を噛んでうつむいた。

 薄いまつげが揺れ、深く、考え込むように。


「……旦那様は本当に、いつも仕事熱心で、頑張り屋な方ですね」

「え?」

「本当、私には過ぎた旦那です」

「……チヒロさん?」


 彼女を覗き込むと、チヒロがそっと顔をあげ、ハタノを見た。

 その瞳は物憂げに、……薄い涙をはらみながら。


 小さな覚悟を決めたように唇を噛む、彼女。


「やはり。話さない訳には参りません、ね」

「……なんでしょうか」


 ハタノは居住まいを正す。

 ――何となく直感する。

 妻は何か、大事なことを言おうとしてる、と。


 せめて視線をそらさないように、とハタノもまた誠実に妻へと向きなおる。


「……旦那様。大事なお話がございます」

「はい」

「実は、ずっと考えていたことがありました。……いえ。本来の私ならもっと早くに提案すべきことのはずでしたが、らしくもなく、引き延ばしてしまって……申し訳ありません」

「何の話でしょうか」


 聞きながら、ハタノは彼女の提案を薄々、予想していた。


 勇者チヒロは仕事の面においてとても合理的であり、その思考はハタノに極めて近い。

 ハタノが思いつくことは、当然チヒロだって思いついているし、もっと早くから考慮していたはず。


 ――相手の安全を第一に考えるなら、自分達はどうするべきか?


 浅い呼吸。

 らしくない緊張を孕み、彼女はわずかな間を置き、ぎゅっと唇を噛んで。

 絞り出すように、ゆっくりと……


 予想した言葉を、口にした。


「旦那様。……私と、離婚を考えていただけませんでしょうか」


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