3-6.「私とて、人間です。誰が好き好んで――」

 治癒魔法にとって最も相性がよい病はと聞かれれば、多くの治癒師が外傷だと答えるだろう。

 触れた部位を癒やす治癒魔法は、火傷を含む物理損傷に対して無類の強さを誇る。


 では、治癒魔法がもっとも苦手とする分野は?

 と聞かれれば、間違いなく挙げる例がひとつ。

 毒物だ。




「チヒロさん、変われますか」


 男が服毒したと理解した瞬間、ハタノは飛び出していた。


 治癒師は毒物と相性が悪い。

 魔法による毒なら総じて”解毒魔法”が有効だが、それ以外の毒となると対処が難しい。


 理由のひとつは、毒物の内容によって治療法が異なることだ。

 有名なヘビ毒やサソリ毒、魔物毒への対処には血清が。

 蜂の場合はアレルギー症状に対する対策が必要で、キノコ類や海洋生物の毒となると、もはや人の手に負えずただ死を待つだけという場合もある。


 ただし、服毒だけは例外がある。


(服毒直後なら、吸収される前に吐き出させてしまえばいい)


 いわゆる胃洗浄と呼ばれるもの。

 毒物摂取から一時間程度かつ、内容物によっては胃を洗うことで胃内の異物除去ができる。

 毒物が吸収される前に、物理的に取り除いてしまうのだ。


 ハタノは男に催眠魔法を重ねがけし、意識を失わせたのち左腕を下にして横たわらせる。


「チヒロさん。すみませんが、頭が下になるよう姿勢を正してもらってよろしいですか」


 彼女に手伝ってもらいつつ、男の膝を曲げさせ丸くした後、腰元のアイテム袋から蔓状の植物を取り出す。

 水分を吸収するハタノの常用品だが、今回のアイテムはその植物に伸縮可能な糸を通してある。


 本来はこの植物をチューブ代わりに鼻から挿入し、胃内の毒物を吸収するのだが――


 ハタノはナイフを取り出し、男の腹あたりの衣服を裂いた。

 続けて聴診器を構えて腹部に触れ、胃の位置を確認。

 その皮膚表面に狙いを定めてナイフを差し込み、――そこへねじ込むように”治針”を差し、傷を広げる。


 いわゆる、胃瘻造設。

 胃洗浄に使う技術ではないが、治癒師なら胃に穴を開けても、治癒と浄化さえ適切に行えるなら外傷は復元できる。

 であれば喉から管を通すより、胃に直接貫通させた方が手早く、かつ肺炎の可能性もない。

 外科的な無茶ができることこそ、治癒魔法の特権だ。


 ハタノは腹部の傷から植物をねじ込ませ、ワイヤーのようにぐいとひねりつつ魔力を込める。

 植物が魔力に反応し、水分吸収を開始。

 胃の内容物をできるだけ吸い出したのち、ハタノはいったん管を抜去。

 続けて胃に開けた穴へ注射器をねじこみ、浄化水をぐっと押し込んでいく。


 あとは水洗いする要領で、注入と吸引を繰り返し、胃壁にへばりついた毒物をなるだけ除去するだけだ。


 同時に、ハタノは浄化と持続治癒、付け加えて”解毒”魔法を放つ。

 浄化はいつも通り、傷口からの汚染を防ぐため。

 持続治癒は、患者の体力維持のため。

 ”解毒”は、魔法的な毒の除去。

 毒の正体は不明だが、基本的に、魔力毒を含まない毒物はないため効果はあるはずだ。


(そう焦ることは、ありません)


 やることがわかっているなら、作業を淡々とこなすだけ。

 それに今回の治癒は……相手は患者でなく、チヒロに銃口を向けた敵だ。

 ハタノの治癒は敵に情報をはかせるために生存させているだけであり、死んでも心は痛まない。


 むしろ生存した方が、ひどい目に遭うだろうと思いながら、ハタノは治癒を行っている。


 そんな自分は酷い人間かもしれない――

 と思ってると、チヒロが心配そうに覗いてきた。


「旦那様。大丈夫ですか」

「ご心配なく。今回は患者を救うというより、情報源を生かすための治療ですから。……正直なところ、治癒師としては気が進まない治療でもあります」

「そうなのですか? 旦那様はどんな時でも、人命を助ける方かと思っていましたが」

「私はそこまで聖人君子ではありません。そもそも」


 ハタノは苦い顔をしながら、洗浄を終える。

 続けて胃の穴を治癒魔法で塞いだ後、全身状態を魔力精査で観察しながら。


 珍しく、苛立ちを隠さず唇をゆがめた。


「私とて、人間です。誰が好き好んで、妻に銃を向けた相手を救うものですか」


 チヒロが少し、驚いたように瞬きをした。

 ハタノが珍しく、感情をあらわにしたせいかもしれない。

 が、それくらい思っても罰は当たらないはずだ。――幾らチヒロが無事だとしても、銃を向ける奴など絞め殺してやりたい。




 男の治癒が終わり、チヒロが逃げられないようきちんと拘束を行う。

 その頃には帝都の治安部隊がかけつけ、病棟の捜索を始めた。


 ハタノ達が事情を説明し、召喚師達の連行を依頼する。

 その間に調査した兵達によれば、死者は少なからずいたものの、想定よりもずいぶん少ないそうだ。


(たまたま、貴族の入院が少なかったのだろうか。そんな偶然が?)


 ハタノが不思議に思っていると、白装束の男がようやく目を覚ました。

 男がひいっと悲鳴をあげる。

 その情けない顔を見下ろしながら、ハタノはうすら寒い笑みを浮かべて、返す。


「すみませんが。治癒師の前で服毒自殺をされては、治癒師の名折れですので」


 そう告げた後、ハタノは――

 それでも苛立ちを隠せず、嫌味を込めて鼻で笑った。


「安心してください。治癒師の使命として、私はきちんとあなたを救いました。……もっとも、これから余計、大変な目に遭うと思いますけども」


 ハタノは治癒師である以上、治癒魔法事情にも精通している。

 治癒魔法は外傷に強く、裏を返せば、どんな苦痛を与えても怪我なら復元できる。


 つまり――敵国の兵を捉え、拷問を行う拷問官もまた、治癒師の仕事だ。


「ま、待てっ……た、頼む、殺してくれ――」

「すみませんが、その先は私の仕事ではありませんので。そもそも人様の妻に向かって、銃を向けたのです。撃ち返される覚悟くらい、できていますよね?」


 ハタノは冷たく告げ、男を衛兵へと引き渡した。


*


 そうして外に出ると、病院の周囲には人だかりが出来ていた。

 逃げ出した患者や住人達が、遠巻きに様子をうかがっている。


 当然、ハタノ達は視線を集め――とくに魔物の返り血を浴びたチヒロは、よく目立った。



(うわ、血塗れだよ。あの人、大丈夫か?)

(でもあの人、確か帝国の勇者じゃない?)

(思い出した、血染めのチヒロか。確か、敵でも味方でも命令なら殺す、っていう……)



 チヒロの二つ名は、帝都市民の間でも知られているらしい。

 相変わらず悪評、というより異名で恐れられる彼女は、遠巻きに見てもよい視線を集めていない。


 彼女は気にせず、残った衛兵に事情説明を行った。チヒロはいつだって仕事第一だ。

 報告を終えたチヒロが、足早に戻る。


「衛兵の方に、宿を用意して頂きました。一旦そちらで休憩し、後ほど改めて聴取をするそうです」

「了解しました」


 ハタノは素直に返事をした後、チヒロの頭をそっとなでた。

 ……?

 ぱちり、と彼女がちいさな瞬きをする。


「旦那様。何か?」

「お疲れ様でした、チヒロさん。突然の戦闘でしたから、大変でしたね、と」

「それを言いましたら、旦那様も。……それに私は、戦に慣れていますし。……いまの私は血に塗れていますし」

「慣れてはいても、頑張ったのは事実ですから。自分の妻を、褒めてはいけませんか? 血に濡れたことなど、大した問題ではありません」


 手が汚れますよ、と遠慮するチヒロを構わず撫でるハタノ。


 確かに今の彼女は、その全身に魔物の返り血を浴びているが、それは仕事をがんばった証だ。

 衆目に気味悪がられようと、旦那であるハタノが励まさずしてどうするのか。


 チヒロはようやく意味を理解したらしい。

 自分は労われてるのだ、と気づき――薄く微笑みながらも、なぜか、物憂げに目を伏せてしまう。


「……チヒロさん?」

「いえ。旦那様は、いつも私に優しいな、と」


 そう語るわりに、チヒロさんはどことなく寂しげに、目をそらす。

 何か、気に障ることをしてしまっただろうか。

 もしかしたら、周囲の目を気にしてるのだろうか。


 そんなこと、気にしなくて大丈夫ですよ――と伝えようとしたが……

 何となく、ハタノは彼女の想いが別にある気がして、黙る。


「では、帰りましょうか。チヒロさん」

「はい。お疲れ様でした、旦那様」


 ハタノも彼女に並びながら、用意された宿へと向かう。

 ――気になるところはあるけれど。


 自分達は夫婦なのだから、後できちんと話し合ってみよう、と、ハタノは思った。


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