7-2.「――返事はイエスのみ受け付ける。どうする?」

「……いま、変な言葉が聞こえたな? 余の依頼を断る、と?」

「はい」


 気づけば、喉がひどく乾いていた。

 背中にじわりと汗がにじみ、自分でも現実感に乏しい言葉を吐いているなと自覚する。


 けど、止められない。

 神の代理。

 かの雷帝様の命であろうと、頷くことはしないと最初から決めていた。


「雷帝様。私はもちろん今まで通り、治癒師として協力できることがあれば、はせ参じます。……しかし、成功するかも分からない人体実験。そして、チヒロとの離婚話は、どうか取りやめて貰えませんでしょうか」

「その発言がどういう意味か、わかっているな、ハタノ?」


 じゅっ、と肉の焼け焦げる音。

 遅れてハタノの耳に痛みが走る。


 雷帝様の放った雷が、ハタノの耳たぶを焦がしていた。

 ……構わず、膝をついたまま雷帝を見上げる。

 帝国一ワガママと自称する、凶暴な冷静さを保った雷帝様を。


「……雷帝様。あなた様は一見、傍若無人に見えますが、何事においてもきちんと計算高く動かれる方です」

「そうとも。余はあまりの美しさに誰もが言葉を失いそうになるが、同時に、大変賢い女だ。そして熟慮を重ねた結果、暴力に訴えた方が手早い時があるのも知っている。それを理解出来ぬ貴様ではあるまい?」

「はい。……その上で、どうか拒否させて欲しいのです」


 雷帝様が指先を跳ねた。

 小さな雷球がハタノの横をすり抜け、壁にぶつかり火花を散らす。

 顔に直撃すれば、火傷ではすまないだろう。


「雷帝様。先に申し上げますと、私は雷帝様のすべてを拒否する訳ではありません。今後とも可能な限り、帝国の一国民として雷帝様、そして皇帝陛下様のため尽力致したいと思う所存です」

「尽力したいと言いながら断るとは? 余がこの世で最も嫌いなものが、二枚舌であることくらい知っていよう」

「存じております」


 どくん、どくん、と高ぶる心臓を押さえながら、ハタノは覚悟を決める。


 命じられた仕事に異議を立てたことは、なかった。

 いつも無理難題を受け入れ、突然の結婚ですら了解した。

 それがハタノという男だ。


 ……けど、今は。

 今だけは必要なのだ。


 チヒロと一緒に居たいから、という個人的な理由だけではない。

 今の状況が続けば、チヒロ自身が危険にさらされる可能性が、高い。

 それに抗うためにも。


「雷帝様。私は、他の治癒師と異なる教育を受けて育ちました。その技術と知識は、帝国の”才”社会にとっては異質なものですが、同時に帝国にとってとても有益なものだと考えます」

「だからこそ一帝国民として、その知識を正しく運用するべきであろう?」

「はい。ですが私の運用は、それが最適解ではありません」

「続きを述べよ」

「私は治癒師です。決して仕事を好いてる訳ではありませんが、人を助ける業務を生業としています。その私が、人を殺めることが分かっている人体実験に手を出すことは気が引けます」

「それはやらない理由であって、できない理由ではないだろう?」

「ええ。ですが雷帝様もご存じの通り、人には私欲があり、心があります。……私には、その仕事は向いていません」


 雷帝様は、なぜか、にやにやと笑いながら膝をついている。

 ……ハタノが反論しているにも、関わらず。


 息継ぎをし、ハタノは続ける。

 自らの未来を掴むために。


「雷帝様は……私が本気で断られたら、力尽くで言うことを聞かせますか?」

「いや? 貴様は我が国の大切な知識だ。下手に傷つけ自害などされては困る。もちろん勇者チヒロも、我が国の大切な戦力。力で従わせるなど出来ぬよ」

「では」

「代わりに、明日には治癒師ミカと治癒師シィラのさらし首が並ぶことになるなぁ。貴様はそれを望むか?」

「では、その二人が将来的に、第二の私になると知ったら、雷帝様はどうなされますか?」


 なに、と。

 雷帝様の眉が、初めて歪む――ハタノの仕掛けた罠に、かかった。


 長い付き合いではないが、ハタノは雷帝メリアスの性格を理解している。

 かの方は、自分の都合のためなら人が何人死のうと意に介さない一方、自分に利があると分かれば、理性でそちらを選択する。


 正念場だ、と、ハタノはひとつ唾を飲み、続ける。


「……勇者チヒロの治癒のさい、手技にあたったのは私とガイレス教授です。が、その際にトラブルが発生し、私の代理として治癒師シィラと治癒師ミカがチヒロの治癒にあたることとなりました」


 ハタノは改めて、当時の状況について説明する。

 ガイレス教授の”生命生成”。

 シィラとミカによる、手術の後処置。

 ……チヒロの治癒にシィラが尽力したことを、意図的に誇張しながら説明する。


 以前から、特にシィラを中心に、自身の治癒を伝授していたことも。


「私は今まで、他人に自分の知識を伝えたことがありませんでした。

 存知の通り”才”を重んじる帝国治癒界隈にて、私は爪弾き者。もし他の者におなじ治癒技術を教えれば、その者も白い目で見られる。そう思い、口を閉ざしてきました。

 ……ですが彼女達は学びたいと、自ら手を上げました。

 私の力は”才”ではなく”知識”。

 そして知識であれば、シィラのように二級でなくとも――たとえ四級治癒師であっても、いまの治癒魔法とは別の形で医療に貢献できます」

「四級程度の”才”で治癒ができると?」

「私の知識の元となった異世界には、治癒魔法はありません」


 雷帝メリアスの瞳が、僅かに見開く。

 構わず、たたみかけた。


「四級治癒師が、一級治癒師を超える可能性がある。……それは帝国のあり方に反する行為かもしれません。ですが、その有用性は雷帝様もご存じのはず。そして私は今後、彼女達に知識の伝授を行い続けたいと考えます」

「……なるほど。つまり貴様はこう言いたいわけだ」


 後ろ髪をいじり、ぱちぱちと静電気を散らしながら。

 雷帝様が薄い唇を歪め、くつくつと笑った。


「貴様を地下に幽閉し、やる気のない人体実験をさせ続けるよりも……ハタノ自ら積極的に後進を育てさせ、知識を伝授させた方が帝国の利になる。そうするから、代わりに自分の意見を飲め、と」

「事実、シィラとミカは結果を出しました」

「――雷帝相手に取引とは。貴様、いい度胸をしているな?」


 それでも賢い雷帝様なら、どちらが有益かは分かるだろう。


 望まぬ人体実験に従事させるのが得か。

 それとも、ハタノが進んで後輩を育て――やがて育った後輩を雷帝様が引き抜き、改めて人体実験をさせた方が、よいか。


 金の鶏を絞めるか、……卵を産ませて育てるか。


「ハタノ。貴様の意見は分かったが、敵も悠長ではないぞ? 貴様が五年、十年と後進を育てている間に、帝国が潰れては話にならん」

「ですが先ほど、ガルア王国は帝国に無条件降伏したも同然とお聞きしたばかりです。しばらくの安全は確保されたと見てよいのでは?」

「国の情勢など三日あれば変わるぞ、ハタノ。それに帝国の怨敵である王国が、易々と服従すると思うか?」

「……つまり雷帝様は、無条件降伏の条約まで結びながら、王国をたった五年も管理できないほどの無能である、と?」


 びき、と。

 雷帝メリアスのこめかみが引きつった。

 ハタノは、これは交渉だと自分に言い聞かせ……熱くならず、けど冷めることなく相手を睨む。


「くく。余に向かって、無能であると正面から突きつけたのは貴様が初めてだ。覚悟は出来ているな?」

「――試して、みますか」


 これは賭けだ。

 そしてハタノは、自分に分がある賭けだと踏んでいるし――雷帝様は、自分が思っている以上に、ハタノを高く買っていると見る。


 付け加えれば、ハタノの要望は……

 決して、帝国にとって大きな負担にはならないはず。


「――――」

「――――」


 しばし互いの目線が交錯し――やがて雷帝が手を振り、雷を消した。

 舌打ちしながらどかっと椅子に座り直し、王として見下しながら。


「一度だけ問う。貴様の要求は、なんだ」

「人体実験は望みません。それと、勇者チヒロとの婚姻継続を」

「無理だと言ったら?」

「……せめてチヒロに、私より良き旦那を紹介して貰えませんか」


 治癒師ベリミーのような、横暴な男ではなく。

 自分とは違う形でもいいから、優しい男と出会って欲しい。


 ……別れたくはないが、どうしても叶わぬと言うなら、ハタノはそれを望む。


「貴様とチヒロは単なる仕事上の関係だろう? ずいぶんと入れ込んだものだな」

「……はい。自分でも気づかぬうちに、そうなっていました」

「認めたか。奴のことは好きか?」

「――……そうですね。好意は、抱いていると思います」


 さすがに自分でももう、建前で取り繕えるとは思っていなかった。


 最初のきっかけは、おそらく、雷帝様暗殺事件のあと。

 ベッドの中で涙を流した彼女に、ハタノはどうしようもなく心をかき乱された。


 その想いは日を追うごとに、気づかぬ間に少しずつ膨らみ……

 日々の治癒を経て。事件を経て。

 小さなデートを経て、自分でも誤魔化せないほどにいつしか膨れ、自身の心では抱えきれないほど大きくなっていた。


 ハタノはチヒロに、強い好意を抱いている。

 業務という間柄を越え、親愛や親友ですらない。

 一般的に言われる”愛情”というものを。


 ……だからこそ、彼女に幸せになって欲しいと、心から願う。

 相手は自分でなくてもいい。少しでも幸せになって欲しい、と――


 クク、と雷帝様が含み笑いを浮かべた。


 ……?

 何か、面白い話があっただろうか?

 訝しむハタノに、雷帝様がくつくつと笑う。


「ハタノ。貴様と余が、初めて出会った時のことを覚えているか? 余は貴様を、実につまらぬ男と感じた。私欲を持たず、目の前の仕事に盲目的に取り組む男。実直で真面目なだけが取り柄の、それ以外なにもない、空っぽの男。……が、改めよう。貴様もチヒロ共々、すこし面白い奴になってきた」

「……雷帝様?」

「余は、余に逆らう者を許しはせん。が、だからといって従順すぎるのも面白くない。少しくらい生意気な方が、人間らしさがあるものだ」


 そう告げて、雷帝は傍らにあった書類を掴み、ハタノへ飛ばした。


 慌てて受け取り、覗き込んで、

 ……は? と固まる。


 人事異動通知書。

 雷帝様からの、次の仕事の依頼。

 ……けど、これは?


「ハタノ。勇者チヒロとの結婚継続を認める。人体実験の話もナシだ。――代わりにその仕事を受けてもらう」


 混乱するハタノの前で、雷帝メリアスがにいっと、白い歯を見せる。


「ガイレスが体調不良で倒れた今、帝都中央をまとめる代理が必要でなぁ?」

「……雷帝様。しかしこれは」

「出来ぬとは言わせぬぞ? これは命令だ」


 雷帝様の力強い声に、ハタノはもう一度、手元の資料に視線を降ろす。

 ……間違いなく、そこには短く、中央にこう書かれている。




【帝都中央治癒院 新院長 ハタノ=レイ】




「ハタノ。貴様に帝都中央治癒院の次期院長を命じる。――そなたの医療を皆に広めよ。そして余の革命に付き合え。返事はイエスのみ受け付ける。どうする?」


 全ては雷帝の、手のひらの上。

 そう言わんばかりに自信に満ちた愉悦の笑みが、ハタノにはまるで悪魔が笑っているようにしか見えなかった。







――――――――――――――――

ギフト頂きました!ありがとうございます。


第二章の真のラスボス 雷帝メリアス VS ハタノ。

チヒロの治癒を通じて愛情を深めたハタノが、しれっとミカやシィラを巻き込み、ガイレスと共に行った治癒結果を武器に挑む最終戦です。

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