6-8.「――悪くない気分だ」

 血塗れの術衣をまとった妻に口づけをされ、舌をねじ込まれた瞬間、ハタノの思考は真っ白になった。


「ち、チヒロさん!?」


 動揺によりハタノの”創造”魔法が乱れ、疑似竜核の維持がぐらつく。

 一体なにを、という思考は唇の柔らかさに押し流され――それでも、ハタノは理性を総動員して考える。


 妻は空気が読めない人でもなければ、必要のないことをする人でもない。

 なら……と考えたハタノの疑問はすぐに氷解する。


 貫くような、魔力の奔流。

 ”才”ある者ほど感じやすい、全身を駆け巡る高度な魔力がびりびりと、口づけを通じてなだれ込む。


(……これは、そうか。チヒロさんの魔力が、流れ込んで!)


 竜の口づけは、番となった相手に魔力を付与できる――

 手術の前夜、妻がハタノに囁いた話を思い出す。


 しかし、とハタノは唇を離して、


「っ、待ってください、チヒロさん。あなたは今しがた手術を終えたばかりで、こんな無茶なことはんぐっ」


 否定は、もう一度重ねられた唇により塞がれた。

 そのまま妻に押し倒され、熱烈な口づけを浴び、ハタノは自分が混乱してるのか、快楽に飲まれてるのか分からなくなり。


 同時に――自分でありながら自分でない存在が。

 体内で小さく、どくん、と脈動した。


「!?」


 混乱。悲鳴。渇望と疼き。

 自分の身体が、まるで別の存在に乗ったられたかのような、異質なエネルギーが体内を蛇のように這い回る。


 焼けるように熱く、今すぐ嘔吐したくなるような目眩に襲われ、……けれどすぐ、その熱は心地良い快感に変わる。

 これは――そうか。


(チヒロさんの魔力が、自分に適合している。……竜の口づけによる魔力譲渡。そしてこの魔力は)


「くっ……!」


 妻が自分に譲渡したのは、ただの魔力ではない。

 ――最強なる”勇者”チヒロの魔力と、彼女に宿った竜魔力、その混合体。


 暴れ馬の如き、力の奔流。

 竜巻の如く荒れ狂い、けれど、これだけの力があれば――


 ハタノはぐっと右手で左腕を押さえ、あふれそうになる魔力を押さえ込む。

 これを。

 妻の力を上手くコントロール出来れば、確実に、教授を助けられる。


「っ……! ありがとうございます.チヒロさん! ですが、チヒロさんは大丈夫ですか!? 今あなたは治癒を終えたばかりで、魔力も大きく失われてるはずです。その状態で他人に魔力を渡せば……!」

「問題ございません。むしろもっと譲れますよ」

「は!? いやしかし――んぐっ」


 妻が平然と答え、治癒を始めようとしたハタノはまたも抱きしめられ熱烈なキスをされる。

 そして再び流れこむ、チヒロの力。


 最初は異物であったはずの力が、気づけば馴染みつつあった。

 ハタノは「これは不味い」と思いながらも、無意識に妻の唇をむさぼり返し、力を得て……って、


「ま、待ってくださいチヒロさん! もう大丈夫です! むしろ魔力強すぎます!」

「そうですか? まだ大して力は与えてないかと」

「才の違いです! 一級治癒師に竜魔力を注いだらオーバーフローします!」

「すみません。でも旦那様、私、何だか気分が高揚していて、もっとキスしたくてたまらなくて……」

「それただの術後で興奮してるだけです魔力関係ないです!」

「旦那様ぁ」

「後であなたが困るほど愛しますから、今は耐えてください!!!」


 顔を上気させたチヒロは、今になって気づいたが明らかに興奮していた。


 術後、痛覚遮断や睡眠魔法が切れたあと、患者が一時的に陥る興奮状態。そこに竜魔力を継ぎ足され、チヒロの精神バランスがおかしくなっている。

 もともと、竜は魔力を持つと発情しやすいのだ。


 が、これで光明は見えた。


「でも、ありがとうございます。チヒロさんのお陰で、なんとか……!」

「ええ。旦那様、あとは宜しくお願いいたします」

「はい!」


 妻の後押しを受けつつ、ハタノはもう一度ガイレス教授に繋いだ竜核へと手を伸ばす。

 体中を駆け巡っていた熱は、不思議なくらい自分の中に収まりつつあった。

 まるで最初から、自分自身の魔力であったかのように。


(これが、竜の魔力譲渡。正規の番と認めた相手にだけ与えられる力)


 手のひらをぐっと握ると、じじ、と銀色の光が右手を包んだ。


 チヒロさんが託してくれた魔力。

 今、自分が持ちうる知識。

 その全てを生かしつつ、ハタノは再び教授へと向き直る。


「頑張ってください、旦那様」


 ハタノは頷く。

 不思議なことに、与えられた魔力異常に――妻の声援があるだけで、ハタノは自分が無敵になったかのような錯覚を覚える。


 あとは自分の仕事を成すだけだ、と、ハタノは教授の身体に再び手を向け――


*


 幾らかの時間が過ぎた。


 ハタノの感覚では、一日中ずっと治癒に当たっていたかのような。

 けど実際は、十分足らずの僅かな時間。

 ハタノが”創造”魔法を止め、疑似竜核が消失する。


 同時に――ガイレス教授が重たい瞼を持ち上げ、ハタノを睨んだ。


 その顔に浮かぶのは、僅かな安堵と、苛立ち。


「教授」

「……私は、助かったのか」


 生き延びた喜びすらなく、口惜しそうに吐き捨てる教授。

 その顔は、実につまらなさそうに。

 けれど同時に、どこか晴れ晴れとしていて。


「……結局、私は貴様に勝てなかったわけか」


 ちっ、と盛大に舌打ちする教授。

 けど今は、その悪態にほっとする自分がいた。

 悪態をつけるなら十分だ。


 ハタノは汗をぬぐいながら、教授に笑う。


「勝ち負けの問題ではないでしょう、教授」

「……私が欲しかったのは、貴様の喜びではない。貴様が、治癒師として敗北した姿だ」

「私には全く分かりません」

「ふん」


 つまらん。

 本当につまらん――と、教授は心底面白くなさそうに、呟きながら。

 ほう、と溜息をつく。


「だが――不思議と、気分はいい」

「……教授」

「おそらく、貴様に一泡吹かせることが出来たからだろうな。……結局、拘っていたのは私自身だ。貴様に勝てないという劣等感。屈辱。苛立ち。――それを僅かでも返せたことが、私にとっては大切なことだったのだ」


 我ながら馬鹿らしい、と溜息をつくガイレス。


 ……ハタノには生涯、この男の感情は分からないだろう。

 嫉妬。怨嗟。葛藤。

 ハタノの持ち得ない、薄暗い情念を抱えた特級治癒師。

 その背景も含め、自分と彼はわかり合えることはない。


 ……それでも。

 ガイレス教授が妻チヒロを救った偉大な”特級治癒師”であることに代わりはない。


 彼に敬意を示すべく、ハタノは横たわる教授にもう一度頭を下げる。


「教授。ご協力、本当にありがとうございました。あなたの持つ特級治癒師の”才”――いえ。才と、それに伴う努力のおかげで、妻を助けることが出来ました」


 人としてはともかく、彼は”治癒師”として間違いなく、一流。


 その意を込めたハタノの礼に、ガイレス教授はしばし沈黙し。

 ふん、と。

 意地汚く、――或いは照れ隠しのように、鼻を鳴らした。


「貴様に感謝される日が来るとはな。……世も末だ」

「教授」

「だが――悪くない気分だ」







 そうして治癒を終え、ハタノは後を宮廷治癒師の方に任せつつ、立ち上がろうとして……

 ぐらり、と視界が揺れた。


 意識が落ちかける。

 やばい。立てない……。

 膝に力を込めようとするが、耐えきれず背中から転びそうになり。


 ……あ、これはまずいかもと焦った、その時――


 背中を支えられ、するりと自分の身体が浮かぶ。


「……え?」

「大丈夫ですか、旦那様」


 軽々とハタノを抱えたのは、もちろん自分の妻だ。

 チヒロは治癒直後だというのに、美しい銀髪を流しながら、ひょいとハタノの膝と背中を抱いて……って、


「っ、待ってください、チヒロさん……!」


 力の入らない膝をふらつかせ、ハタノはばたつく。

 ……膝と背中を妻に抱えられたこの格好。

 言うまでもなく、――お姫様抱っこである。


 普通は逆だが!?

 自分が彼女を支えるべきだが!?

 というか、主治医が患者に抱えられて退室するなど聞いたことがない!


 かあっ、と、ハタノは子供のように顔を赤くしながら、どうか勘弁してくれ、と。


「すみません、チヒロさん。お気持ちは嬉しいのですが、降ろして貰えると……自分で歩きますので」

「駄目です」

「!?」

「私が抱きしめたいので駄目です。それと」


 慌てるハタノに妻がくすくすと笑い、――背中を丸め、再び口づけをされる。

 慌てて逃れようとするも、当然、チヒロの力に叶うはずもなく。


「っ、チヒロさん、もう魔力供給は十分です!」

「あ、これは魔力譲渡ではなく単なる親愛の口づけです」

「余計に駄目じゃないですか!?」

「でもさっき、治癒が終わったらいくらでもしてあげると……」

「落ち着いてください! チヒロさんは今、治癒の反動で感情が暴走してるだけですから!!!」

「ええ。でもなんだか我慢できなくて……」


 そう言いながら、妻は構わずハタノを抱きしめ。

 シィラとミカが「隙あらばいちゃつく夫婦」、「術前、術中、術後ぜんぶキスしてますよねあの夫婦……」と突っ込むのもガン無視してハタノに頬ずりをする。


 愛情表現の激しい妻に、ハタノは目眩がするほど赤くなりながら……

 その口づけをもって、妻が生きていることを実感し。


 恥ずかしく思いつつも、密かに安堵の息をつくのだった。




 ――良かった。

 最愛の妻が、生きていて、と。


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