3-10.(ああ。私はもしかしたら本当に、妻のことを――……)

 その日の夜は――少々気まずい空気になっていた。



 離婚騒動を経て双方の意見を確認し、和解に至った。

 夫婦らしい健全なコミュニケーションが成功したとも言える。

 そして誤解が解けたのなら、夜に迎えるのは夫婦の時間だ。


 戦があろうと、子作りという仕事に熱心な妻チヒロは、今宵も肌を重ねますかと尋ねてきた。


 拒否する理由は、とくにない。

 返事の代わりにハタノは彼女の銀髪へと手を伸ばし、チヒロの方へ身体を向ける。

 自然と重なる唇。

 ついばむような優しい口づけから、ハタノは自然に妻を仰向けで横たわらせる。


 いろいろと練習したお陰か、最近、翼を出したまま横になれる方法を見つけた。

 お陰で、ハタノは毎回妻に上を取られる事態は回避している。


「旦那様。あの……」

「ええ」


 仕草にじれた妻が、求めるように手を伸ばした。

 ハタノはその手首を掴み、妻をそっと押し倒しつつ、彼女の衣服に手をかけようと見下ろして――……


 ――ぴた、と手が止まる。


「……旦那様?」

「…………」


 ハタノは無言のまま、戸惑う。


 ベッドの上には、いつものように押し倒された妻。

 なだらかな銀髪が清流のように広がり、ハタノの視界にまぶしく映る。


 妻の眼差しはいつもの、……いや。

 心なしかとろんと優しくとろけたように、緩んでいる。

 動きと止めたハタノを誘うように、指先をくるりと夫の手に絡ませ、いつものように誘いをかけてくる――


 ……のに、今日は妙に心がむずむずと騒ぎ立て、うまく手が出せない。

 かあっ、と頬が熱を帯び、ハタノは思わず顔を逸らす。


「すみません、チヒロさん。……今日はなんだか、暑くて」

「へ?」

「いえ。正直に言いますと、妙に恥ずかしくて」


 夫婦の営みはもう、何度も経験してきた。

 双方知らない所はないくらい、互いの身体にふれ合っている。

 なのに、どうしたことか。

 今になって無性に妻の顔を見るのが照れくさく、言葉がうまく紡げない。


 ――あなたと一緒に居たいです。

 先の一言が、どうにも、頭の片隅に引っかかって。


(確かに、チヒロさんは大切なパートナーだと思いますし、一緒にいたいとは思います。けど、これでは)


 まるで恋愛感情のようではないか。

 ……違う。違うのだ。

 自分の持ってる価値観はあくまで理想のパートナーに対する意識であり、だからこそ身体を重ねているのであって。

 決して、特別な感情ではない。


 ……と思うのに、ハタノの心は正直に、いつも以上に酷くぐらついてしまう。

 妻があまりに可愛く見えるせいで。

 ああ。ダメだ。これは、……これは大変、よろしくない――


「すみません、チヒロさん。今日はちょっと……取りやめにしても、いいですか?」

「え、ええ。構いませんが……」

「申し訳ありません。ただ、妙に手を出しづらくて」


(なんと情けない。これは、もしかしたらアレ、なのだろうか)


 噂で聞いたことはある。

 男という生き物は、心底から本当に好きになった相手には手を出せなくなるものだ、とか――


(いやまさか。私が男としてふがいないだけで。そもそも私みたいな人間が、人を愛するというのは)


 自分の妻を医療の練習台に使い、雷帝暗殺事件の際には、雷帝様を優先してチヒロを見捨てた男だ。

 そんな自分が、彼女に恋心など抱くのは失礼にも程がある。

 確かにお互い、一緒に居たいと思うし、好意に似た情は抱いているが――

 それ以上の一線を踏み越えることが許されるのか、ハタノには判断が出来ない。


(……本当にこんな、子供のような感情に悩まされるとは)


 ハタノは息をつき、呼吸を整える。

 自分個人の一方的な感情で、夫婦の営みに至れなかった。

 ……チヒロは怒ってないだろうか?


 と、ハタノは突っ伏しながら、彼女を伺うと。

 チヒロもまた自らの腕で顔をそっと隠しながら、囁くような小声で。


「旦那様。……その。実は私も、今日は少々、恥ずかしくて」

「え」

「そうですね。今日はなんだか、暑いです」


 季節のせいでしょうか。

 と、あまりに適当なことを妻が言うので、ハタノはついくすっと笑ってしまい、……そろりと手を伸ばす。


 身体を結ぶため、ではなく。

 今宵の熱を、繋ぐために。


「チヒロさん。よければ、手を繋ぎませんか」

「手を?」

「ええ。手だけ、です。子供のようで恐縮ですが……」


 ハタノは仰向けに寝転がり、そろりと彼女に手を伸ばす。

 チヒロも応え、やがて、彼女の指が静かに自分のものと重なった。


 きゅっ、とお互いに優しく力を込めながら、指を折る。

 今まで手などいくらでも繋いだし、そもそもお互い深いところまで至っている……というのに、ハタノの手は妙に熱く、またチヒロの熱もしっかりと伝わってきた。

 それだけで、ハタノはどうしようもなく、自覚してしまう。


 自分は――


(ああ。私はもしかしたら本当に、妻のことを愛――……)


 ハタノは別のことを考えようと、無理やり思考を切り替えた。


 いま握っている妻、チヒロの手。

 熱を帯びた、可愛らしい女性の手。

 離したくないなと思うのはハタノの本心であり、そして彼女の手を、熱をつなぎ止めるには、チヒロの治癒を完遂させる必要がある。


(まずは明日、雷帝様と面会し、治癒に必要なものを改めて確認。それから教授と再度顔を合わせ、協力を仰ぐ。――教授の方針は悪くはありませんが、チヒロの今後を考えれば最善とはいえない)


 懸念すべきことは多い。

 チヒロとハタノを狙う、王国のテロリスト。未だ姿を見せない”巨人”の召喚。

 いずれ上から命じられるであろう、夫婦の離婚問題。

 外部要因の危険性はどうしても排除できない。


(だとしても、手立てが全くない訳ではありません。一介の治癒師には届かなくても、私の知識と、……あとは度胸)


 綱渡りになるだろう、という予感はあった。

 それでも、ハタノはチヒロの手を強く握り、誓いを新たにする。


 この感情が恋であろうとなかろうと、ハタノのやるべきことは妻の治癒だ。

 彼女が無事に治り、竜魔力を自在に扱えるようになった、その後で――自分の気持ちついて、ゆっくり考えても間に合うはず。

 そのためにも、眼前の障害を可能な限り取り除く。


 ハタノは密かに覚悟を決めながら、妻の手を握り。

 妻もまた、ハタノの手をそっと握り返す。




 その夜、二人は交わることこそ無かったものの――

 不思議と、心地良い眠りにつけた一夜になった。





――――――――――――

これにて二章前半が終了です。

ここまでお読み頂いた猛者の方々、いつもありがとうございます。

宜しければ感想コメント、レビュー、ご評価、いいね等頂けると作者が喜びます。


引き続き、二章後半を連載していきます。よろしくお願いします。

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