5-1.「違います。治癒師というのは――」
ハタノが急ぎ階段を降りると、玄関口では早くも混乱が起き始めていた。
院内にいるスタッフや外来患者は当然、いま何が起きたのか分からない。
が、大地を揺らす地響きと轟音、そして玄関口からでも見える黒煙から、事件が起きたことは容易に理解出来るだろう。
そんな中、とっさに声を張り上げたのは――エリザベラ教授。
ひときわ才の高い彼女は、おそらく、院に届いた魔力圧だけで深刻さを理解した。
早くも駆け出そうとした彼女の袖を、ハタノは慌てて掴んだ。
「ハタノ! 今すぐ出るわよ!」
「お待ちください、エリザベラ教授。皆さんもここで待機です」
「はぁ!? なんでよ! あんな爆発起きたら怪我人だって大勢いるに決まってるでしょ!?」
「仰る通りです。が、まだ状況が分かりません。それに現場には瓦礫で崩落した家や、まだ爆発物が残っている可能性があります。あなたが二次被害に遭う危険性を、見過ごせません」
ハタノ達は治癒師であり、戦闘職ではない。
現場から重症患者を搬送し、安全確保をするのは、帝都兵や救急対応スタッフの仕事だ。
帝都中央治癒院はあくまで、二次救急、三次救急を担う基幹施設。
ならば焦って飛び出すのでなく、ここで待ち構えるのが正解だ。
「うっさい! 遅い! あたしなら遠くからでも治癒魔法、飛ばせるし!」
「ですが治癒魔法を遠隔で飛ばすと、魔力ロスが発生するはずです。ガイレス教授にも再三、魔力の使い方が荒いと指摘されたでしょう」
「あたし魔力底なしだから大丈夫よ! 魔力切れたことないし! てか、こんな時のために救急隊を集めたんでしょあんた!」
「それはあくまで、帝都外で災害が起きたさいの救援チームです。いまの被害現場は帝都であり、帝都中央治癒院という基幹施設があるなら、この設備を最大限活用すべきです」
エリザベラを説得しつつ、ハタノは即座に全スタッフへ通達。
本日の外来はすべて中止。
入院患者にも事情を説明し、もし帰宅可能であればベッドを開けて貰うよう依頼する。
「それと、治癒師の方々に予め通達しておきます。軽傷者に対し、治癒魔法を使いすぎないでください」
「「「は?」」」
一部から疑問の声が上がり、一部はすぐに理解し頷く。
人の扱える魔力量には限度がある。
希少なリソースを、治癒魔法を使わずとも命に別状のない患者に注ぎ込んでしまえば、緊急性の高い患者が訪れたときに対処ができなくなる。
「帝都中央治癒院はもともと、治癒師もスタッフも多くいます。そのため極度の魔力枯渇に陥った経験のない治癒師も多いでしょうが、今回はどれだけ怪我人が来るか分かりません。ですので可能な限り消耗を抑え、もし簡易処置で済ませるならそれで完了してください」
「しかし、それでは患者からクレームが……」
「クレームより人命優先です。丁寧な説明を。それと現時点で魔力を消耗してる方がいましたら、予め魔力ポーションの摂取をお願いします」
矢継ぎ早に指示を飛ばしてる間に、ハタノの耳にも続々と情報が届いた。
災害の原因は、やはり噂に聞いた”宝玉”に間違いない。
負傷者の大半は、爆発、火傷による熱傷、そして落石による怪我だという。
今日訪れた外来患者の皆に謝罪をしつつ、ハタノはいつもの二人に目をつける。
「それと、シィラさん。ミカさん。あなた方にお願いがあります」
「は、はいっ」「ん?」
「お二人は治癒よりも、トリアージを優先して行ってください」
トリアージ。重症度や緊急度に応じた患者の振り分け。
複数の救急対応が発生した場合、生命の危機が危ぶまれる患者を見極め、優先順位をつけること。
軽傷者を優先して、重傷者を死に至らしめてはならない。
同時に、助かる見込みがない者に手をかけている暇もない。
その境界線を見極める――
言葉にするだけなら容易いが、実際のところ、患者の重傷度を見極めるのは困難を極める。
担架で運ばれてきた軽傷者と、元気そうに歩いてきた重傷者を判別する診断力。
瓦礫が胴体を貫通しているなど、明らかに救命の見込みがない患者を切り捨てる胆力。
その選別を、魔力精査および外科的な診察力を育てたシィラやミカなら、ある程度できるはずだ。
「可能であれば、軽傷者はよその治癒院に振り分けてください。うちで見るのは主に、重傷者です。とはいえ状況的に許されないようでしたら、うちで収容します。軽傷者であればベッドを占有せず、床でも構いません。それと、非番の者も合わせてスタッフ全員に連絡を。とにかく対応できる人をかき集めて――」
ハタノが依頼をかけている間に、帝都中央の入口から少しずつ患者と、患者ではないが急報を告げにきた者達と、患者の家族らしき人やスタッフの家族をはじめとした人々が押し寄せてきた。
爆発が。
空が光って。
瓦礫のようなものがいきなり現れて。
興奮と恐慌状態に陥った感情がびりびりと院内に響き、スタッフも事の重大さをようやく理解し、動揺が走る。
――落ち着いて。
ハタノは手のひらに魔力を込め、パン!
と、叩いて皆に告げた。
「落ち着いて。治癒師が動揺していては、患者に不安を与えます。……私達にできることは、そう多くありません。いつもの手順に従って治癒魔法を使い、患者を助ける。忙しい時ほど丁寧に。焦らず、慌てず、まずは患者取り違えのような初歩的な事故を起こさないよう意識していきましょう」
私達は、動揺する被害者であってはならない。
私達は、動揺している民を守る側である。
そう皆に声をかけ――
そこから先は文字通り、戦場だった。
頭から血を流し、瓦礫に腕を挟まれ骨折したという軽傷者。
足がえぐれ、骨まで露出している重傷者。
中には運ばれた時点で死亡している者もいる。
家族に「どうか助けてください」とせまがれるも、ハタノは優しく、冷たく説明し、院内から追い出した。
口にはしないが、ハタノは理解している。
死体は、治癒の妨げになるだけ邪魔だ。
いま大切なのは、全てのリソースを生存のために注ぎ込むこと。
一人に手を取られる間に新たな患者が訪れ、帝都中央治癒院の玄関口はすぐさま戦場さながらの様相と化した。
院内の治癒室だけで収まるはずもなく、野戦院のように患者が院外に並び、現場には濃厚な鉄の香り、そして治癒補助師がばらまく浄化魔法特有のツンと鼻につく香りに満たされる。
そんな中、ハタノは――なるだけ魔力を節約する選択を取った。
ハタノにしか処置できない患者が、必ず現れると見込んでのことだ。
……もちろん、患者を目の前にしながら治癒魔法を使わないのは心苦しい。
目の前で怪我をしてる人に、つい手を伸ばしたくなる。
が、それを堪え、ハタノは白い目で見られようとも、必要最低限の治癒魔法を使うに留めるが――
「あーもう全員遅い遅い遅い! あたしが全部治癒してやるわ!」
対してバンバン治癒魔法を飛ばしているのは、エリザベラだ。
”治癒”だけでなく”持続回復”まで範囲で飛ばせるらしい彼女は、まさに破竹の勢いで患者を癒やし、皆から驚きと賞賛の声を浴びていた。
――ああもう!
「エリザベラ教授、過度な乱発は控えるように!」
「うっさいわね、あんたそれでも男? 玉ついてんの、このびびりが! 目の前に患者がいるなら治す、それが治癒師ってもんでしょ!」
「違います。治癒師というのは――」
ハタノが反論しかけたその時、「先生!」と悲鳴が聞こえた。
振り返れば、シィラが血相を変えてハタノの元に駆け寄ってくる。
「どうしましたか、シィラさん」
「それが……!」
シィラは一瞬言葉を詰まらせ、けれどハタノにはっきりと急報を告げた。
「患者さんの中に一部、治癒魔法が効かない方がいます。魔力精査も弾かれます」
ハタノは眉を曇らせ、けれど、似た症状には心あたりがあった。
雷帝暗殺未遂事件。
あの時に出会った最悪の刃――”才殺し”の脅威が、ハタノの脳裏をよぎった。
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