3-3.「私、何かしちゃいましたか?」
「私という人間について率直に申し上げますと、院長になりたくてなった訳ではありません。雷帝様に押されて、というのが正直な話です。ただ、私にもメリットがあるのも事実。……妻の立場を守るうえで、とても都合がよかったのです」
胸が痛むのは、慣れない言葉を口にしたせいだろうか。
こんな話、決して口外できないなと思いつつ。
ハタノは”日和見”ホルス教授と、”研究者”ネイ教授の二人に、お恥ずかしながら妻への愛を語り始めた。
正直、他人様に愛を語る日が来るとは、思いもしなかった。
というか正直、恥ずかしい。
なんで他人に、妻へのノロケ話を聞かせねばならんのか、と。
けど――今なら多少ハタノも分かるが……
他人の恥ずかしい話というのは、その人の人間らしさを示すのに、もっとも分かりやすい材料である。
「聞き及んでいるかと思いますが、私の妻は”翼の勇者”にして”血染めのチヒロ”と呼ばれた方です。元々、一勇者に過ぎなかった彼女はいまや帝国の要であり、大変な重責を負う立場にあります。……場合によっては、理不尽な命令が下される場合もあります」
「なるほど。院長殿は愛妻家ゆえ、相応の権力を手にしてその害を防ごう、と?」
「はい」
「大変よく理解した」
ホルス教授が含み笑いを浮かべ、それで、とハタノを見やる。
「しかし、貴殿の妻が空を飛べるのであれば、帝国から夫婦揃って逃げおおせることも可能では?」
「全く考えなかった訳では、ありません。しかし私達夫婦は、すでに帝国外ではお尋ね者でしょうし、そもそも、そのような暴挙を起こして雷帝様を怒らせる方がよほど怖い」
「成程」
「それに、雷帝様は横暴な方ではありますが、自分に利がある限り、私達に敵対しません。むしろ背中を支えてくれるありがたい存在ですし――あと、これは個人的な意見ですが」
ハタノは一度、息をついて。
「私の方から先に信頼を裏切ってしまうと、私は生涯、他人を信用できなくなるかと思いますし……妻にも、裏切り者の汚名を着せたくはありません」
「成程、な」
納得するホルス教授だが、正直こんな話をして大丈夫なのか、とハタノは思う。
……グリーグ教授の耳に入ったら「愛のために院長などと、仕事を私物化する気ですか?」と馬鹿にされそうだ。
けど、ハタノの本心でもある。
仕事の私物化。大いに結構。そのワガママの分だけ、ハタノは仕事で見返したいし、結果を出さなければならない。
「ホルス教授。ネイ教授。私には皆様方のような、特別な才能はありません。才だけを見れば、その辺にいるただの一級治癒師。とても弱い存在です。……そんな私が、いまや帝国一の勇者である妻の手伝いをするには、どうしても力がいる。……”才”以外の力が」
権力。金。人脈。
ハタノに無縁だと思っていたそれらこそ、今、ハタノが手にするべき力だ。
その対価として、ハタノは院長職を全うしたい。
「もちろん一治癒師として、私の治癒方針を帝都中央に広めていきたいと思っているのも事実です。雷帝様に成果を見せる意味もありますし、また単純に、医学が発展するのは好ましい。その方が、私も楽ができますしね」
そこまで一気に語り、ハタノは大きく息をつく。
――内面を打ち明けることには、慣れていない。
無意識のうちに、忌避感が滲んでしまうのだ。
相手に馬鹿にされるのでは?
非難されるのでは?
非常識だと後ろ指を指され、感情的な言葉をぶつけられるのではと、身体が僅かにすくんでしまう。
……けど、時には本音を語り、自分という人間を示すことも必要だと、今のハタノなら理解出来る。
「如何でしょうか。私という人間を、少しはご理解頂けましたか? ネイ教授。ホルス教授」
気づけば、背中にじんわりと汗が浮かんでいた。
普段口にしない本音を語り、もし拒絶されたら……という不安が、ハタノの背中をぞわぞわと、虫が這い回るように忍びより――
くす、と、ホルス教授が目をにやつかせた。
「院長殿は些か、帝国で暮らすには高潔すぎる精神をお持ちのようだ。が、嫌いではない」
「……ホルス教授」
「まだ表だって協力はできませぬが、助言は致そう。――ちなみに、拙者がなぜハタノ院長に協力をするか、分かるかね?」
「雷帝様が怖いから、ですか?」
「然り。雷帝様マジ怖い、拙者あの方と目を合わせるのも嫌でござる。もう圧がヤバい。……が、もう一つ理由があってな」
ホルス教授は、空になった座席……
先ほど、グリーグ教授が腰掛けていた席を見つめ、実につまらなさそうに吐き捨てた。
「拙者、グリーグの奴が嫌いなのでござる」
ぷっ、とハタノは思わず吹いた。
「院長殿。グリーグは特級治癒師ながら、拙者等に”才”で及ばぬ者。一級と特級の間、半端者……というコンプレックスを拗らせ過ぎていてな。拙者に言わせれば、奴は性根がひん曲がっているだけ。奴の子飼いの治癒師も、好んで奴についてる訳ではない。風向きが変わればすぐ、風見鶏のごとく奴を切り捨てるであろう」
「な、なるほど。……ネイ教授も、そうですか?」
「私は研究ができれば満足。けどあの男は常に、私を身内に引き入れようとする。邪魔」
眼鏡を押し上げ、冷たく語るネイ教授。
どうやらネイ教授は心底から、自分の研究にしか興味がないらしい。
特級治癒師にも色々いるんだなあ……。
(ガイレス教授も、もしや胃痛を抱えていたのでは)
だからいつも眉間に皺が寄ってたのかなあ、と今さら気づき、――待てよ?
(あの教授なら、ネイ教授をどう懐柔するだろうか……?)
そういえば、ガイレス教授はネイ教授についてこう語っていた。――餌を与えておけ、と。
研究者にとって一番価値が高いもの。
研究のための、材料。ふむ……。
「ネイ教授。もし宜しければ今度、うちの妻を診察してみませんか?」
「?」
「うちの妻は翼の勇者にして、竜魔力が頭から指先までたっぷり蓄えられてます。研究の参考になると思いますが……」
「!?!?」
ガタガタッ! と、沈黙してたネイ教授が立ち上がった。
驚く間もなくガタンガタンと椅子を蹴飛ばしハタノへ詰めたかと思えば、眼鏡の奥に輝く青色の瞳をキラキラ輝かせながら、ふんふんと鼻息荒くハタノの胸ぐらを掴んできた。
「大変興味深い提案。院長、いまの発言に二言はない?」
「……近いです、ネイ教授。妻以外の女性にこうも近づかれるのは困ります」
「約束。院長の妻を私に診せて欲しい」
「妻の返答を聞く必要はありますが、私から頼んでみます。特級治癒師様の参考になるなら、嬉しい限りですし……」
ハタノはチヒロに対する解剖学的な知見はあれど、魔力的な知見はまだ劣る部分もある。
特級治癒師にして”解析”が得意なネイ教授に補って貰えるなら、大変にありがたい。
「それで、ネイ教授。代わりといっては何ですが、今後は私にすこしご協力して貰えると……」
「了承。代わりに、翼の勇者を研究させて。あと、私はあなたが竜魔力を得た経緯も知りたい」
「それは……竜の魔力を得た者と番になると、どうやら竜魔力を貰えるようでして」
「では私とも番いになって」
ぶほっ、とホルス教授が吹き出した。
って、いや待ってくれません!?
番になる、の中身は要するに夫婦の営みでありまして。
「何言ってるんですか、ネイ教授。私はいましがた妻への愛を語ったばかりです、他の方と番いだなんて――」
「否。院長ではなく、翼の勇者と番になりたい」
「うちの妻を寝取らないでください!!!」
「では三人で番いに……」
「もっと駄目ですから!」
駄目だこの子、エリザベラとは別ベクトルで自分本位すぎる。
しかもハタノが断っても臆することなく、グイグイ胸ぐらを掴んで迫ってくる。
ある意味わかりやすいけど、大変に困る……。
「あの、ホルス教授? すみませんが助けて頂けると……」
「ガイレス教授のお言葉を借りるなら、『触らぬネイに祟りなし』。一度火がついたネイ殿は、誰にも止められぬよ。もっとも、本気をだした彼女は、大変に頼りになりますがな」
くつくつと笑うホルス教授は、残念ながら日和見に徹して助けるつもりは無いらしい。
ハタノは心底から溜息をつきつつ、妻と番になりたい、とのたまう彼女を宥めようとした――その時。
「すみません! ハタノ院長はおられますか!?」
ダン、と扉が開いて治癒師が駆け込んできた。
ハタノはしがみつくネイ教授を、ぐい〜っ、と引っぺがしつつ。
「どうされました? 急ぎの話ですか」
「はい! 今しがた救急治癒室の方で、シィラ治癒師が」
「伺います」
ハタノは踵を返した。
シィラもハタノと同じく、帝都中央で肩身の狭い思いをしている治癒師だ。
しかも彼女は、ハタノ直属の”二級治癒師”。
先日ハタノ自身、グリーグ教授の嫌がらせを受けたばかり。
自分だけならまだしも、彼女には同じような目にあって欲しくない。
(ミカさんがついててくれれば、嬉しいのですが)
ハタノはぎゅっと唇を噛み。
二人の特級治癒師に一礼をしたのち、急ぎ医局室を後にした。
*
そうして救急治癒室に飛び込んだ、ハタノが見たのは――
あたふたするシィラと、怒り狂う治癒師……
その間でニコニコしている、ご高齢の患者様ご本人という、謎の様子。
うん?
「これはどういう……」
「ハタノ先生、すみません!」
悲鳴のような声に続き、シィラは状況を説明した。
「じつは、他の治癒師が治癒に苦戦してたので、私が手を出したら治っちゃって……あの。私、何かしちゃいましたか?」
治ったのに怒られてるんです、と涙声で語るシィラに。
ハタノは思わず、くすっと笑った。
――――――――――――
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