3-5.「旦那様、遅くなりまして申し訳ありません」

 地表に脱出してなお、ハタノの仕事は続く。ここからが本番だ。

 迷宮内で後続隊と合流後、地上にあがった所で、搬送した患者の処置にあたる。


 怪我人の多くは、命に別状のない者達だ。そのため、残るは――


「すみません。彼を、近場の治癒院に運べませんか!」


 腹を刺され、未だ意識が朦朧としている男に持続治癒を行いながら、ハタノは大声で救助を求めた。

 野外で治癒するには傷が深すぎる。せめて近場の治癒院に運べればと思うのだが、ハタノの声は届かない。



「落盤事故という話ではなかったのか!?」「迷宮安全管理局はなぜ許可を出した!」「ベ、ベヌール卿が、迷宮で力を試したいと無理やり」「すみません、騎士カルデの姿はありませんか!? まだ戻ってきてないんです!」「卿の自慢と安全とどっちが大切だと思っている!」「現場の兵士だけで断れる訳ないだろ!」「回復用ポーション如何ですか、一本5000ベルで売りますよー!」


 迷宮管理局の者。見張りの兵士を怒鳴りつける者。別の怪我人の治癒に手を裂く治癒師。商売のチャンスとばかりに回復薬を売りつける詐欺師、野次馬、取材班そして騒ぎを聞きつけ心配する家族。

 騒動の中ようやく人を捕まえ、ハタノは彼を運ぶよう問い詰める。


「早く、彼を治癒院へ」

「すみません、どうやら地元の治癒院は既にベッドが満員だと、通達が……」

「……押し込めば入るでしょう? 治癒なら私がしますし」

「そう言われてましても、先方からそのように連絡が来てまして」


 治癒院に患者が入らない、等と聞いたことがない――いや。そういえば帝都中央院時代でも、特別なVIP患者を招くときは他の患者を制限していたことがあったか。


 くそ、とハタノは顔を歪め、やむなく懐から治針を取り出し、男の腹にそっと沿わせた。

 この場で治癒する。

 普段はミカや別スタッフに痛覚遮断を任せるが、それは自身の魔力消耗および治癒ミスをふせぐための処置だ。ハタノの”才”なら三術使い分けることも、不可能ではない。


「すみません。死ぬかもしれませんが、他に方法が見当たりませんので」

「う、っ……」


 腹を刺された男が恐怖にうめく。助かる、とは断言しない。

 ただし最善は尽くす。

 ハタノが痛覚遮断と強めの持続回復、浄化をかけつつ、体力が持つことを願いながら専用のナイフを取り出し、腹部へそっと下ろし始めた――

 その時。


「おい! は、早く我の怪我を治癒せんか! こんなにも血が出ておるのだぞ!?」


 背中で野太い声がした。

 あのでっぷりした貴族男だろう、と推測しつつ、ハタノは左手でゆっくりとナイフを滑らせる。


 腹に刺さった刃物をいきなり抜かず、横から切開するのがコツだ。

 刃物の先端が動脈や腹部臓器を傷つけていれば、抜いた途端に大出血を起こして死ぬ。そうならないよう外側から切開し、受傷部位を見つけ、そこを復元しつつゆっくり刃物を除去する。

 腹部切開を完了。野太いみみずのような腸管や各種臓器を伺う。色合いも臭いも悪くなく、何よりお腹の中が真っ赤に血塗れでないことに安堵する。大規模な腹腔内出血は回避している。

 ハタノはその手で、ぬるりとした光沢を放つ腸管に手を伸ばす。


 その背後で声がする。


「我は偉大な”魔法騎士”の“才”を持つ身なのだぞ! その辺の雑兵共より、どうして我を治癒せんのかっ」

「しかし、卿はかすり傷で……」

「これがかすり傷だとぉ!? 貴様、我の腕にどれだけ価値があるか、分かっているのか!? 我等が帝国における”才”の大事さをお前は分からぬのか! どうやら貴様は我が帝国に対する反逆者のようだな!」

「っ、す、すぐに治癒師を手配します! おい誰か治癒師を呼べ!」


 パタパタと足音が聞こえる中、ハタノはじっと受傷部位を観察。

 刃物は一部腸管を貫いているものの、他の臓器に損傷はなさそうだ。復元魔法を受傷部位にかけつつ引き抜き、浄化さえ徹底すれば、いける。

 ハタノは慎重に刃物の柄を掴みつつ、先端にそっと針を沿わせ、ひときわ集中しようとして――


 ドン、と背中を蹴られた。


「おい貴様! さっき来た治癒師だな! 我を無視するとはどういうことだっ」

「――っ」


 馬鹿やめろ、と口に出したいが、ハタノはそれどころではない。

 持続治癒と痛覚遮断、さらに復元と三つの魔法を使いつつ刃物を抜いてる最中なのだ。

 魔法の併用は、異なる作業の同時並行。それだけで神経をすり減らすうえ、腸管の復元に失敗すれば、空気が漏れて腹腔内に貯まり重症化する。ここで手を抜く訳にはいかない。


 再び、ドン、と背中を蹴られた。

 ハタノは顔を歪め、治癒を続ける。


「返事をしろ! それとも何か、その頭に一発食らわないと理解できないのか、この愚図が!」

「…………」


 誰かこいつを止めろ。邪魔だ。

 心底からそう思うものの、誰も声を上げない。

 男は帝国のお偉い貴族であり、優れた”才”を持つのだろう。誰もが、男の叱責を恐れている。


 ようやく、刃物を完全に引き抜いた。ハタノは僅かに安堵する。後は内側から一つずつ腹膜や臓器を治癒しつつ、損傷した血管がないかを確かめつつ、浄化し、開腹部を丁寧に閉じていくのみ。

 もちろん油断は出来ないが、声は出せる程度に気を緩め――男に返す。


「すみません。今はこちらに集中させてください」

「黙れこの不敬者! 帝国では”才”ある者の価値が絶対であろう!」

「確かに、あなた様の命に別状があるならその通りでしょう。ですが現状、あなたの傷が致命的であるとは思えません」

「黙れ! 我は偉大なる魔法騎士、ベヌール=ルードヴェヌであるぞ!」


 そんなの知らない、とハタノは無視しつつ男の治癒に専念しようとして。


 背後で、ぱち、と火花が散った。

 振り返ったハタノは「……は?」と、目の前の光景に、眉を寄せる。


「帝国において才は絶対。その才を蔑ろにする不敬者は、この場で処罰するしかあるまい!」


 しびれを切らした金髪男が剣を抜き、その刃に雷を這わせていた。


 まずい、こいつ本気か!?


 ハタノは慌て、足を浮かせるが――逃げれば雷撃が患者に直撃する。

 逃げるべきだ。ハタノは治癒師であり、治癒できる自分が倒れてはどちらも助からない。当然だ。

 が、とっさに患者を見捨てて動けるかは、別であり――生理的に、患者を見捨てて逃亡するのを躊躇する。


 ハタノは魔法障壁を全身に展開した。薄い光が身体を包む。

 といっても戦闘職に比べれば児戯に等しい、薄っぺらな防壁。


「なんだ、その哀れな壁は。帝国に仇なしたこと、悔いるが良い!」


 貴族男が、くく、と笑い、剣を振りかぶる。

 その重い一撃を前にしながら、ハタノは己の死を覚悟し――


 けれど、衝撃がハタノに伝わることはなかった。


「ぶべああああっ!」


 貴族男が悲鳴をあげ、その巨体が吹っ飛んでいく。

 驚くハタノの前で、血に塗れた和服が、ふわりと揺らいだ。


 無論、それが誰かなんて、聞くまでもない。

 ハタノの新妻にして、人命救助という点においては頼れる同士――


「な、き、貴様……血染めのチヒロっ」

「旦那様、遅くなりまして申し訳ありません。返事は不要、治癒の続きを」

「――はい。ありがとうございます」


 血塗れなチヒロの姿に、ハタノは短く礼を挟んだ。

 すぐさま、患者へと向き直る。


 もう、背中を心配する必要はない。

 武力において”勇者”チヒロに叶う者はなく、また、人命救助の観点において彼女が判断を誤ることはない。

 ハタノは再び治癒魔法を灯しながら、誰にも気付かれないよう、小さく、笑みを浮かべる。


 それは安堵の笑みでも、ムカつく貴族を吹っ飛ばした愉悦でもなく。


 私の妻は格好いいなという、至極単純な好意だった。

 だからこそ――彼女の期待に、応えなければ、と、ハタノは思った。

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