5-3.「奥さんが家にいなかったらフツーに寂しくない?」

 とはいえ、実は、ハタノは他人とともに取る食事が苦手だった。

 帝都中央治癒院勤めの頃から、いい思い出がなかったからだ。


 ――あいつ本当、人と話すときの態度が悪いよな。

 ――ほかの治癒師のこと、見下してんじゃねぇの?


 酒を酌み交わす間に零れる愚痴。嫌味。当てつけ。

 上司への、患者への、世間への不満をこぼし、さりとて改善策を出すわけでもない無用な時間。

 ハタノは一度だけ出席して以来遠慮したが、世間ではそれを「態度が悪い」と呼ぶらしい。

 業務上価値の無い苦痛の時を過ごすなら、まだ、治癒院にて仕事していた方がましだと思う。


 そして、ハタノが苦手なことが、もう一つ――


「しゅまりですねぇ、へんへぇはとてもゆーしゅーなのですけど言葉が足りないんですほぉ。奥さんにもほうでしょう、愛してるとかもっろ口にしないと!」

「み、ミカ先輩……?」


 絡み酒は、勘弁して欲しい。




 治癒院のある辺境街レーヴェは、魔物狩を担うハンターをはじめとした山仕事の者が多く務めている。

 またフィオナ河を挟んだ北方に敵国ガルアの姿もあるためか、帝国兵の数も多少ながら存在する。


 そんな彼等が業務を終え、至福の一杯を求めるこの街は、規模のわりには居酒屋が多い。

 ハタノが誘われたのは、そんな場末の一席。他の客と顔を合わせないよう個室付の、ミカ曰く「少々お高い秘伝のお店」らしいので、安心していたのだが……。


 ぐい、とミカが酒を呷り、テーブルに叩きつけた。

 耳まで真っ赤に染まり、ぷんと強いアルコール臭が漂ってくる。


「てか飲んでねぇし! 飲めよ先生!」

「すみませんが、アルコールは魔力を攪拌します。飲み過ぎは明日の業務に差し支えますので」

「一日ぐらいいいじゃん!」

「明日いきなり迷宮事故で患者が五十人くる可能性もありますし」

「シィラぁぁ先生がつれないぃ~」


 今度はシィラに抱きつくミカ。

 ハタノは仕方無くミカを引きはがし、シィラを自分の隣に座らせる。


「すみません、シィラさん。ご迷惑をおかけして。ミカさんとは前施設でも共に働いてたのですが、酒乱だとは知りませんでした」

「い、いえ……大丈夫です。そういえば先生って、前は帝都中央治癒院で働かれてたんですね?」

「唐揚げ唐揚げ~!」


 運ばれてきた鶏唐揚げを頬張り始めるミカ。


 面倒なので、ハタノはシィラと治癒談義に逃げることにした。

 最初は患者の特異症例について。

 それから、治癒魔法そのものについて。


「――つまり治癒と言いましても、組織の自己治癒能力に任せる”治癒”と、神経や血管を再構築する”復元”で大きく違いますし、その上にある”創造”魔法はもう別の分野と言っても差し支えありませんね」

「創造って、先生は使えるんですか?」

「使えますけど、難易度は高いです。私も人工血管や人工臓器が作れないか試したのですが、”創造”魔法で作れるのはあくまで人工物。血管の代用品として体内に長時間残すには向いてなく、魔力消費も凄まじく高く、精度コントロールも難と三重苦ですね」

「ああ、精度維持は大変そうですね。私、治針精度の”連”も苦手で……先生はどこまでできますか?」

「治針に自分の魔力を添わせる”連”は、基本ながら難しいですね。練習でしたら日頃からトレーニングを積むのも良いです。私の場合、食事をしながら右手人差し指の爪に治癒魔法を灯しつつ、同じ指の腹で復元魔法を灯したりといったトレーニングを重ねてます」

「先生って地味に人間辞めてません?」

「生物学的には人類ですね」

「皮剥いだら何か出てきたりしないかなぁ……ああでも、皮で思い出しましたけど、先生のようにお腹を開いて治癒する手法って、帝国だと聞きませんよね」


 確かに、と、ハタノは苦い顔をする。仰る通り。


「ガルア王国では実戦的に行われてますが、帝国では嫌われてますね。帝国は”才”信仰が強く、病は治癒魔法でのみ癒すことが治癒師の正しきあり方、と伝統的に根付いています。腹を割くのは邪道で、汚染の原因にもなると嫌われてますね」


 そう話ながら、シィラは自分の治癒を異端視しないな、と気づく。

 彼女はミカが連れてきた治癒師だが、どこの出身だろうか?


 と、珍しく他人に疑問を抱いたとき、ドン、とテーブルにグラスが叩きつけられた。

 気づけば、唐揚げが全部ミカの口に入っていた。


「そうれす! 先生はじつは誰よりも患者はんにやはひいんへす! でも中央のクソ共はぁ~、身体を裂くなんて下級治癒師のやることだーって! はあぁ~? 舐めんなよクソガキ共、そりゃああたしは町医者レベルの四級治癒師ですぅ、シィラちゃんみたいな二級でも先生みたいな一級でもない下っ端ですぅ。でもどっちがきちんと治癒できてるかくらい見れば分かんだよ!」

「……あの、先生? ミカ先輩って……」

「すみません。仕事は合理的に行うので、口と性格と酒癖が悪いことは勘弁してあげてくれませんか」

「それ人としてダメなんじゃ……あっ、だから恋人できな……」

「ハタノ――――――っ!」


 ミカの目が据わった。

 やってきた店員から酒瓶を奪い、並々とカップに注いでハタノに出してくる。


「飲め」

「それ、地域によってはハラスメントと呼ぶそうですよ。まあ帝国でハラスメントなんて言ったら笑われますが」

「ちょっとくらいいいだろぉ? 付き合えよぉ」


 顔をアルコールで真っ赤にしたまま、酒を突きつけてくるミカ。

 付ける薬無しとはこのことか、と、ハタノは諦め半分にカップを手に取る。


 ミカはシィラにも酒を注ぎ、乾杯! と一人で空気に向かい杯をむけたのち一気に煽っていく。


「今日はシィラちゃんの歓迎会! なのでだいじょーぶ!」

「歓迎会というか洗礼ですけどね。申し訳ありません、シィラさん。私が、食事会を引き受けたばかりに」

「い、いえ。先生は悪くありませんし、それに私、もっと先生の話を聞きた――」

「ついでに先生を元気づける会!」


 ミカが不思議なことを言い出した。

 酔っ払いの戯れ言かと、ハタノは面倒そうに眉を寄せる。


「元気づける、とは」

「え。だって先生、寂しいでしょ? 奥さんいなくて」

「……別に。そもそも私と彼女は、業務命令として夫婦関係になっただけですし」


 ハタノの生活は、妻がいなくても変化はない。

 もちろん妻の血濡れた衣服が治癒院に持ち込まれないとか、帰宅してベッドに一人で入るといった変化はあるものの、心情という意味では平時のままだ。


 ハタノは今日も淡々と仕事をし、チヒロも戦地で仕事に赴く。

 それだけの話であり、寂しい、訳ではないはず。


 ヘンな勘違いをされても困る、と、ハタノは否定しようとして――


「でも先生さぁ、あたしが誘って酒の席に来たことないじゃん」

「……え?」

「シィラちゃんの歓迎会したいってのは本当だけどぉ、帝都治癒院で何回新人入ったと思ってんの? その度にあたし先生誘ったけど、一回も来なかったでしょ。んまあ面倒なのはわかるけどぉ~」


 確かに普段のハタノは、食事会を断ることが多かった。無駄な時間だと理解してるからだ。


 では、今日はどうして誘いに乗ったのだろう。オリマー夫人の誘いは断ったのに。

 ……時間が余ったから? それとも、何となく?


 ミカが座った目で、ハタノに迫る。


「先生さぁ、それ寂しくないんじゃなくて、寂しいことに自分で気付いてないだけじゃないのぉ?」

「まさか。私は普段と変わりありませんよ。仕事だって普通に……」

「そぉ~? でもさぁ、この前も弱気だったじゃん。オリマー商人に、その場で開腹しないで薬優先したでしょ? 結果論だけど、普段の先生ならもうちょいその場で治癒を押したと思うんだよねぇ」

「え」

「治癒って、判断に悩むときあるでしょ? 論理的に考えられる限界があって、後はどっちを取るか決断する、って時。こーゆー時、ほんっとに小さな差なんだけど、自分の気持ちが出ちゃうよね。先生はそれめちゃくちゃ少ない方だけど、でもあの時は、珍しく弱気かなあって思ったの」


 ハタノは僅かに、眉を寄せる。

 自己弁明するなら、結果論だ。

 初手に薬の処方をするのは、必ずしも間違った治癒という訳でもない。

 ……ただ確かに、普段のハタノならもう少し現場での治癒を押したのでは、と言われれば、何故か納得してしまう。


 その心境的変化が起きた理由を求めると……、最近変わったことといえば、妻が家を出ていること、くらい。


「てかさぁ。理屈こねくり回さなくてもさ、奥さんが家にいなかったらフツーに寂しくない?」


 ミカに言われ、ハタノは考える。

 もしかして。

 自分は、実はすこしだけ、寂しがっていたのだろうか?


 いやまさか、と、ハタノは首をゆるりと振って否定した。


「寂しがっている、ですか。しかし私とチヒロさんは、そのような関係ではありませんよ」と。


 ――その発言が、多少、意固地になっていることに、気づかないまま。

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