5-8.「もし、チヒロが子を宿し、無事に生まれた時には――」

「最後にもう一度お尋ねします。こちらの世界に留まる気は、ありませんか? ハタノさんもチヒロさんも、私が聞く限り大変評判が良いのですが……」


 ハタノ達の帰還を聞いた田島氏は、幾度となくハタノ達に引き留め交渉を持ちかけてきた。

 事実、ハタノは一月の間にいくつかの病院で治癒魔法をみせ、幾度となく引き留め工作を受けた。

 中には、幾らでも出すと言ってくれた人もいる。


 それでも一度決めたことだし、妻チヒロも帰還の意思を示している。

 ハタノは感謝を伝えつつ、ゆるりと首を振った。


「お気持ちの程、ありがたく思います。しかし、妻と相談して決めたことですので」

「……畏まりました。それでは、お元気で」

「思っていたより、強くは引き留めないのですね。最悪、力技で来るかと思っていましたが」

「我が国の法では、暴力は禁じられていますので。……というのは建前で、実際のところ、そちらの奥様を怒らせると怖そうだというのが答えでしょうか」


 眼鏡をそっと押し上げながら、田島氏。

 賢明な判断だ。


 チヒロが意味深に微笑んだその時、背後で魔力が疼くのを感じた。

 ――サクラから届いた手紙、その約束通りの日時に”異界の穴”が世界を裂く。


 ハタノはチヒロ共々、頭を下げた。


「色々とお世話になりました。ご期待には添えられませんでしたが、もし――もし何かの機会がありましたら、また」

「最後に聞かせて頂けませんか。どうして、あちらの世界に戻りたいと思うのですか? 聞くところ、向こうの世界はこちらより荒んでいると聞きますが」


 当然の疑問に、ハタノは薄く笑って。


「元の世界に、私達を必要としてくれる方が、沢山いますので」


 ――決して、帝国の方が良いとは言わない。

 けれど、自分達の居場所は、あの世界だから。


 ハタノは、すみません、と彼にもう一度だけ礼をし、踵を返す。

 自然にチヒロと手を繋ぎ、ゆっくりと、渦巻く異世界のへの扉を、くぐった。






 絵の具をぶちまけたような異空間をくぐり。

 ハタノ達は再び”才”の溢れる世界へと戻り――






「ただいま戻りました。ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」

「っ……!」


 すとん、と地に足をついて瞼を開けば、そこは帝都中央治癒院の七階。

 以前、サクラの手術を行った部屋に集まっていたのは、シィラやミカを始めとした治癒師の面々。


 そして――真正面に、今にも泣き出しそうに、くしゃっと顔を歪めたサクラだ。


「お、お母様……お父様。私、」

「ご心配をおかけしましたね、サクラさん。でも、もう大丈夫ですから」

「で、でも」

「言ったでしょう? 母は最強だと。異世界に飛ばされた程度、大したことではありません」


 サクラが何か言うより先に、チヒロが駆け寄り、彼女を優しく抱き留める。


 先日届いた手紙によると――サクラはあの後すぐに目を覚ましたものの、自身の暴走によりハタノ達を異世界に飛ばしてしまったことに、強い精神的なショックを受けたという。

 その影響により一時”才”が使えなったものの、ミカとシィラが中心となってフォローを行ってくれたと記されていた。


 自分が不在の間も、シィラやミカを始めとした治癒師達が奮闘し、サクラを支えてくれたことは想像に容易い。


 ハタノは、チヒロに抱きついてるサクラの肩を励ますように叩いた後、後方に控えていたシィラとミカに深々と礼をした。

 自分達がいない間、彼女を支えてくれてありがとう、と。


「ご迷惑をおかけしました、ミカさん、シィラさん」

「いやいや別に。あたし達は普段通り仕事しただけだし。ね、シィラ?」

「は、はいっ……先生が無事で何よりです」

「今後はこのような事がないよう、気をつけます。……ちなみに私が不在の間、何かありましたか?」

「え、この状況でまずそれ聞くぅ?」


 ミカに呆れられたが、まあ、性分なもので。


「って言ってもまあ、普段通りだけどね。ガタイはいいけど面倒くさがりなホルスのおっさんが院長代理してくれてたし」

「ホルス教授が……?」

「他にどーしても人がいないから仕方なく、って。ああ、あと」

「あと?」

「雷帝様とガイレス先生がめっちゃ怒ってた……あたしとシィラ、多分サクラの件がなかったら十回は殺されてたと思う……」

「後ほど今回の事故につきまして、インシデントレポートを提出しておくので勘弁してください」


 雷帝様の怒り顔を想い浮かべ、……帰ってこない方が良かったか?

 と、眉間に皺を寄せたハタノだが――

 チヒロの胸元に顔を埋めるサクラと、彼女を励ます妻の微笑を見ればやはり、帰ってきて正解だったかと思う。


 まあ、叱られるのも仕事の一つ。

 ハタノは挨拶も早々に、雷帝様へのご報告に向かうことにした。


*


「それで、向こうの世界はどうだった? 我が帝国が占領できる余地はあったか?」

「語ることは、多くありますが……正直、触れないほうが得策かと」


 その後、即座に雷帝様から呼び出しを受けたハタノは、執務室にて聴取を受けていた。


 雷帝様の様子に変わりはない。

 相変わらず傲岸不遜に足を組み、ハタノの報告をじつに楽しそうに聞いている。


「根拠を聞こうか。よもや、向こうの世界に情が移ったという訳でもあるまい?」

「論理的な帰結です。先方の世界に”才”はありませんが、代わりに”宝玉”ですらお遊びと思える数々の兵器があります。彼等の力を帝国に向けられれば、ひとたまりもないかと」

「ほう、じつに興味深いな。……とはいえ、先方の世界に関われるのはサクラの”才”のみ。侵攻するにせよされるにせよ、現地に大量の歩兵が送れないのであれば、夢物語ではあるがな」


 それからハタノは、先方の世界について雷帝様に報告を行った。


 もっとも、ハタノも全容を伝えられたかは、分からない。

 世界――地球という星に八十億を越える人が住み、時速数十キロという爆速で車が走り回り、一般市民のほぼ全てが世界と繋がる端末を所持している。

 そんな話が、どこまで伝わるか。


 案の定、雷帝様は金髪をすいて、きつく眉を寄せながら、


「まったく分からん」

「申し訳ございません。私の説明不足で。しかし、アレは一度目にしてみないことには、理解が難しいかと」

「が、裕福な世界であることは理解した。――にしても、ハタノ。貴様の話が確かなら、わざわざ帝国に戻ってくる必要は無かったのではないか? 少なくとも余が貴様の立場なら、面倒臭い上司などさっさと見限るが?」


 雷帝様に問われた答えは、既に出ている。


「私には、雷帝様との約束がありますから」

「信じる、と?」

「ええ。卑劣な作戦ながら、私には意外と効いたようです。……それに私は、仕事は好きではありませんが、どうしても、それを放っておいて向こうの世界でゆるりと過ごすことは、出来なくて」

「ふん。相変わらずチヒロ共々、不器用な奴だ」

「……でも、その方がきっと、チヒロさんも心穏やかに過ごせますので」


 職務に忠実なのは、性癖や性質の類いだろう。


 他人との約束を身勝手に裏切ったり、自分が優位になったからといって、一方的に破棄したり。

 自分を頼りにしてくれる人を、蔑ろにできない……夫婦揃って立ち回りが下手すぎると思うが、それが多分、ハタノ達の生き様なのだろう。


 雷帝様には、ご理解頂けないかもしれないが――


「まあその生き方も、立派な生存戦略のひとつではあると思うがな」

「え」

「貴様等のその不器用さは、ある意味で信頼に値する。……金や地位で買える信頼は、容易に裏切られる。が、それらに流されぬ不器用な連中は、同時に、余にとっても大変価値が高い。……そう考えると貴様等は見事、余の懐に飛び込むことに成功したとも言える。賢い話だろう?」


 ハタノは思わず、ぱちりと瞬きをした。

 まさか、あの雷帝様から本当の意味で、”信頼”なんてお言葉が出てくるとは思わなかった。


 ……いやまあ、今の話は生存戦略ということであり。

 雷帝様の目線から見れば、自分達の不器用さすらも、打算と取られるのかもしれないが。

 まあ何にせよ、それも雷帝様なりの信頼の証かもしれない――


「さて、ハタノ。では余もその信頼に応えるべく、約束を果たそうか」

「え?」

「サクラの治癒を成功させた報酬だ。貴様が望むかは知らんが、金、地位、あるいは領土でも良い。有休申請以外、望むもの叶えてやろう。言ってみろ」


 そういえば、そんな話もあったか。


 ハタノは今さらながら思い出し、でも、何を望んでもきっとそれ以上の仕事を押しつけられるのだろうなと予想して――

 一つ。

 そういえば、どうしても欲しいものが、一つ。


「……雷帝様。私からひとつ、頂きたいものがございます」

「ふむ。何だ?」


 ……叶わぬだろう、とは予想しながら、それでも一縷の望みをかけて。


 ハタノは顔を上げ、サクラと過ごした日々。

 チヒロと、夫婦として今後も歩んでいく中で、新たな幸せとして得たいもの――


「もし、チヒロが子を宿し、無事に生まれた時には。私達にも、子育てを手伝わせて欲しいのです」


 ハタノの返答に、雷帝様の眉がかすかに、震えた。

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