4-3.「旦那様は意外と子煩悩になりそうだな、と」
ハタノが妻を知ったのは仕事を通じてだが、今にして思えば、身体を重ねて理解したことも多かったな、と思う。
「旦那様……?」
「どうか、しましたか。チヒロさん」
「いえ。その……気のせいだったら、申し訳ないのですが。今日は、いつも以上に手つきが優しいな、と……んっ」
互いに生まれたままの姿を晒し、頬を上気させたハタノに、同じくうっすらと汗を零したチヒロが問う。
ハタノは、今日はそういう気分ですので、と妻の柔らかな膨らみを愛でれば、返事の代わりに届くのは、愛しい嬌声。
二人の関係は、身体から始まった。
突然の婚姻を言い渡され、妻と面会し軽い食事を挟んだ後。
仕事だから、と妻に誘われ床に入ったのがハタノの初体験だ。
あの頃の自分は経験に乏しく、そして、チヒロも酷く緊張していた。
堅く、初々しく、本当に手を出して良いのか。
壊れものに触れるような手つきで彼女の肌に触れながら、一方で、男としての欲を抑えきれなかった自分も確かに居たことだろう。
でも、今は。
「私がチヒロさんに、優しく出来るのは……あなたがずっと私の妻で居てくれたから、だと思います」
「だ、旦那様?」
「ずっと、こうしてふれ合うことが出来たから。ふれ合うことを、許してくれたから。お陰で、あなたの身体でもう知らない所はありませんので」
「っ……」
ハタノは恥ずかしがる妻の首筋に舌を沿わせ、余すところなく触れていく。
幾度となく交わった身だ、弱いところは熟知している。
どんな風に責めれば妻が身をよじらせ、でも本当は快楽に身を委ね求めているのか、その反応からすぐにわかる。
同時に妻もまた、自分がどう求められているのかを理解し、ハタノをときに誘うように、ときに焦らすように愛を届けてくれるのだから、お互い様。
それでも飽きる事はなく、月日を重ねるにつれて愛おしさは増すばかり。
だから今日も、ハタノは優しく妻に囁く。
「……それに今日、私を誘ってきたのは、チヒロさんの方なので。私も、それに応えなければならないかな、と」
「そ、そんなことはしていません……旦那様って、時々、いじめっ子になられますよね」
「私が虐めるのは、妻が可愛い反応をするときと、妻を虐める敵が現れた時だけですよ」
そんな本音をさらけだせる相手も、妻だけだ。
彼女には余すところなく自分の全てを見せることが出来るし、彼女もその全てを受け入れてくれる。
それだけで愛おしさが溢れ、ハタノは彼女をもっと抱きしめたい、と、幾度となく覚えた情を胸に灯して彼女を抱く。
「旦那様」
「チヒロさん」
彼女の存在が、ハタノに生きる力をくれたのだ――と、互いに結ばれた指先に力を込め、執拗なまでに口づけを交わし、導かれるまま彼女へ身を埋める。
応じるように身をよじった妻は、その銀髪をなまめかしくベッドの上に広げながら、ハタノ以外の人間には決して見せないであろう――快楽をちょっとだけ我慢したような、眉をきゅっと寄せて耐える仕草を見せて、抗う。
その顔を崩すのが、ハタノはたまらなく好きだ。
じゃれつくように手を絡めつつ、隙をついて彼女に迫れば、妻はよりハタノの前で愛おしくなっていく。
自分しか知らない、妻の姿。
自分にしか見せない、愛しい女の声。
目で、耳で、汗ばんだ匂いで。
重なりあう熱をもって互いを存分に高めあい、ハタノはやがて限界を迎え、妻に勢いよく己の欲望を吐き出した。
「……今日はいつも以上に、その。熱かったです……旦那様」
「それは良かったです」
チヒロが満足そうに背中を丸め、ハタノの腕にころんと横顔を乗せながら、笑う。
約束通り……
というより実は普段からよくしているが、チヒロは行為の後もう一度、ハタノに腕枕を要求してきた。
お安い御用だと思う一方、妻が自分に対して遠慮なく甘えてくるのは本当に微笑ましい。
その笑顔を見ていることにチヒロに気づかれ、頬をツンツンとつつかれたが、それがまた気持ちいい……なんて口にしたら、怒られそうだ。
怒られるのも嬉しいけど、とハタノがぼんやり考えていると、妻チヒロが今度は頬をむにむにしてきた。
「チヒロさん、くすぐったいです」
「でも喜んでますよね、旦那様」
「はい」
「喜んでるなら続けます」
子供みたいだ……けど、子供みたいに甘えるチヒロが可愛すぎるから何でも許してしまう。
と、ハタノがしばらく好き放題させていると、チヒロがふふっと無邪気に笑った。
「恋愛小説で、聞いたことはありますが……本当に、今のまま時間が止まってしまえば、と思いますね」
「チヒロさんにしては、ロマンチックな言葉ですね」
「忘れてください。一時期の、気の迷いです」
「でも、現実的なチヒロさんから出た言葉としては、嬉しく思いますよ」
チヒロは勇者なだけあって、常在戦場の心構えが常にある。
その上どちらかといえば悲観的で、将来を憂いてよく落ち込むのを見かけた。
そんな妻が後先考えずに愛を口にするのは、ハタノとの一時が幸福に満ちていた証であり、旦那冥利に尽きるというもの。
……もちろん、治癒師であるハタノも、理解はしている。
人は将来、必ず亡くなる。
それが病によるものか、他の要因かは分からないが――
昔の自分なら、そんな将来を「現実的」と言いながら、悲観的に見ていただろう。
でも今は。
そんな未来を憂うより、今を賢明に生き、この腕に抱いた幸せを大切にしたいなと素直に思う。
「……旦那様。未来のことは分かりませんが、結局いまの私に出来ることは、今を精一杯、幸せに生きることだと思います」
「ええ。……つまらない答えかもしれませんが。まずは明日の仕事を頑張り、困った時には妻やほかの人に相談して対策を考える。平凡ではありますが、それが、いまの私の答えです」
物語の英雄のように、豪胆であったり、大きな決断をする必要はない。
いやまあ、ハタノにとっては妻への愛の誓いも、大いなる決断ではあるが……
そんなものは世界中で結ばれたあらゆる男女が大体一度は行っている、至極平凡な行為だろう。
それでも、ハタノという男にとっては唯一無二の誓いであり、人生を賭して叶えたい願いだ、と。
いまは心の底から、断言できる。
「チヒロさん。サクラさんの治癒がうまく進めば、私にももう少し時間が出来ると思います。……その時はまた、ゆっくりとデートを致しましょう」
「……今もそれなりに、時間があると思いますが?」
「もう少し、ゆっくりと楽しみたいのです。――チヒロさんにもしお子さんが出来たら、私達夫婦の時間も、減ってしまうと思うので」
まだ本物の父親になったことがないので、勝手な想像だが、それは少し寂しいなあ、と……。
ぼんやり想像してると、何を思ったのかチヒロがハタノの脇腹をつついてきた。
「な、なんですか、チヒロさん」
「いえ。想像ですが、旦那様は意外と子煩悩になりそうだな、と。逆に、私への愛を忘れてしまいそうで悔しいです」
つん、と唇を立てて抗議するチヒロがまた愛おしくて、ハタノはごろんと彼女に向き直る。
腕枕をしたままの手で彼女の髪を撫で、そのまま敏感な背中をそっとなぞっていくと、妻がひゃんっと可愛い悲鳴をあげながらハタノの胸板におでこを預けてきた。
ゆっくりデートの約束も良いけど、今は今で幸せを噛みしめよう。
なんて、言葉にしなくてもするけど、とハタノは愛おしい気持ちを再び燻らせながら、彼女の額に唇をよせ、ゆっくりと下ろしていった。
*
そうして約束の月日が過ぎ――サクラの手術日前日を、迎えた。
今回は情勢も安定し、一切の邪魔もない。
治癒道具も揃え、ネイ教授による事前精査も念入りに行った。
ハタノの助手として治癒師シィラ、治癒師ミカの二名が補助にあたり、さらにバックアップとして特級治癒師が二名。
ホルス教授および、エリザベラ教授も控えている。
未だ特級クラスの魔力が回復しきっていないガイレス教授を除けば、帝国に現存する治癒師の最高戦力を揃えたと言っても過言ではない布陣。
ハタノの、治癒師としての集大成を見せるときが、訪れた。
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