幕間1 ―夫婦のとある日常編―
幕間1ー1 「何か食べたいもの、ありますか?」
雷帝暗殺事件から二日が過ぎた早朝、ハタノはゆっくりとベッドから身体を起こした。
隣では、チヒロがすやすやと眠っている。
(さすがに、まだ疲れてるようですね)
普段のチヒロは、ハタノより必ず早く起きる。
その彼女がハタノの起床にすら気づかないのは、疲れがたまっているからに違いない。
無理もない、と思う。
銃弾で胸を穿たれたうえ、本来なら致死量となる、竜の魔力を取り込んだのだ。
体力も魔力も消耗しきっていることだろう。
生きている方が、不思議なくらいなのだから。
幸い、雷帝様からは休暇を認めて貰っている。
頑張り屋な彼女には、すこしでも休んでもらいたい、……と思いつつ。
(しかし、可愛い。……あまり、考えてはいけないのですが)
先日、彼女の涙を見て――
チヒロという人間の本音を目の当たりにしてから、どうにも気分が落ち着かず、ハタノはちょっと困惑する。
もちろん、彼女の前では普段通りに振る舞っている。
業務上の婚姻関係である自分が、必要以上の感情を見せてしまうことは、相手にも自分にもよろしくない。
それに、……お互いのバランスを崩してしまうような、漠然とした恐怖感がある。
その一方で、彼女に対する愛おしさも、確かにある。
ハタノは微笑み、ふと、彼女の銀髪を撫たくなり――けど、刺激に敏感な彼女を起こしたくないとも思い。
彼女に気づかれないよう、ベッドからそっと身体を起こした。
*
「すみません、旦那様。寝坊してしまったようで……」
「休日とは、寝坊するためにあるのですよ。チヒロさん」
妻に笑いつつ、のんびりと昼食を取る二人。
ハタノは保存食用の硬いパンと、適当なスープを。
妻は相変わらず、草をもぐもぐしている。
二人とも食事にはこだわらない性格だ。
それでも、朝食をゆるりと取れる朝というのは、穏やかで心地よいな、と――
「旦那様」
「はい」
「……あ。いえ。何でもありません」
珍しく、チヒロが言いよどんだ。
相変わらず表情の薄い顔だが、心なしか困ったように、眉を寄せている。
……聞き返すべきか?
二人の関係は業務上のもの。余計な口出しをしないことこそ、夫婦円満の秘訣だ。
一方で、チヒロが自己主張を苦手としている性格であることも、ハタノは理解している。
なら、こちらから声をかけた方が……?
と、悩んでいると。
くうぅ~、と。
妻のお腹から、可愛い音がした。
「へ?」
「あ、っ、すみません……」
慌ててお腹を押さえるチヒロ。
雪のように白い頬が朱に染まるのを見て、ハタノはつい彼女を二度見してしまう。
いまのは……
「チヒロさん」
「や。な、なんでも、ないのですっ」
「もしかして。お腹がすきましたか?」
「…………」
返答はなく。
けど俯きがちに視線を降ろし、唇をきゅっと結んでいる様は、まるで本音を隠せていない。
どうしよう。お腹を押さえて恥ずかしがる妻が、妙に可愛い。
完全無欠たる勇者様も、こんな顔をするんだ……と思うと、なんだか。
いや、その話はいまは関係ない。
「まあ、理由はわかります。チヒロさんのお腹がすくのは、ごく自然なことですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。チヒロさんは普段、魔力で栄養を補っています。が、その魔力が枯渇したと考えれば、空腹になるのも自然かと」
「では、魔嚙草をたくさん食べれば……」
「普段はそれで補えるのでしょうが、今はおそらく回復上限に引っかかってるのでしょう」
“勇者”の才は魔力許容量が高く、そのぶん、ポーション等で補える魔力上限も高い。
が、彼女にも限界がある。
「では旦那様。どうすれば良いのでしょう?」
「普通に、ご飯を食べてはどうでしょうか。今は緊急時ではありませんし、医学的に見ても必要かと」
彼女が普段食事を取らない理由は、緊急時に魔力ポーションをがぶ飲みできるよう空腹を維持するためだ。
が、そのポーションや魔噛草による回復が上限に達しているなら、普通に食事を取った方がいい。
そもそも身体を穿たれて、血肉が足りないのは明らかだし。
「チヒロさん。何か食べたいもの、ありますか? 私は料理は出来ませんが、街で美味しいものでも買ってきましょう」
上位の”才”を持つ二人は、経済的な面では豊かだ。
望めば何でも食べれますよ、とハタノは笑い、
「旦那様。お勧めはありますか?」
「え」
「勇者として仕事を始めてから、一般的な食事をした覚えがなく。そもそも、何が食べたいと言われても……」
確かにチヒロは普段、草しか食べないが……
いやしかし。
「チヒロさん。勇者として、パーティに招かれたり、祝辞の際に食事をしたりは」
「基本的には口にしません。ご存じの通り、普段は魔力で補っておりますし、毒物への警戒もありますので」
「……子供の頃、好きだったもの、とかは?」
チヒロは思い出すように、顎に手をあてて。
「火トカゲの毒呪焼き。スライム粘液スープに、火喰い鳥の肝炙り」
「は?」
「母の教えですが、勇者はときに単騎で迷宮や敵地に向かいます。その過程で食料を失っても、あらゆるものを食べれるように、と学びました。中でも特別に不味いものの味を覚えておけば、大抵の苦難には耐えられるであろう、と」
「……そうですか、成程」
食事の価値観が違いすぎた。
が、ハタノは「それは可愛そうだ、美味しいものをもっと食べなさい」とは押しつけない。
彼女は”勇者”の才に基づき、仕事として成してきた。その人生遍歴に対し、一方的に「可愛そう」と決めつけるのは失礼だろう。
――とはいえ。
それはそれとして、美味しいものを食べて貰いたい気持ちもある。
チヒロの性格的に贅沢品は好まないだろうけど、不味いものを出すのは旦那として気が引ける。
……が、ハタノの料理センスも舌感覚も、凡人以下。
どうしたものか?
「チヒロさん。すみませんが、本日は私の保存用のパンで宜しいでしょうか。今晩にでも何かしら、ご用意しますので」
「別に、そこまで気を遣わなくても」
「それくらいは、させてください。お疲れでしょうし」
一般的な夫婦の価値観は知らないが、妻に美味しいものを食べて貰いたい、と思うくらいは許されるだろう。
が、彼は医学とはともかく料理については、ど素人。
一人では解決できないので……
*
「はい! というわけで、うちの治癒馬鹿ワーホリ医院長のお嫁さんに、美味しいものを食べさせよう企画! 進行は世界一可愛い美人治癒補助師ミカ。料理アドバイザーはうちの二級治癒師シィラでお送りしますっ」
「ミカさん? 私は相談してるだけで、別に企画をお願いしたわけでは」
「なに言ってるんですか旦那さん、奥さんに美味しいご飯を食べて貰おうって思わないんですか!? ついでにあたしに美味しいご飯をおごろうと思いませんか?」
ぐいぐい迫るミカと、隣で苦笑いするシィラ。
治癒院で相談したら、余計なことが始まってしまった!
――――――――――――――――――――――――――――――――
予告通り、いきなり本編二章を始めると重いので、箸休めの話。
全四話予定です。久しぶりのラブコメ回!
今後の更新は不定期にやっていきます。
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