第123話 慟哭、そして……


 俺が初めて発した一言を皮切りに、夕焼けに照らされる俺たちにはまるで時間が停まったかのような静寂が訪れた。だがそれもつかの間、桜はいまだに仮面をつけたままその顔を上げ表情を悟らせず俺のことを見つめる。



「……なぜ」


「……」


「……なぜ、すべてを裏切るんですか?」



 俺は桜の言葉に、どう返答すればいいのだろうか。俺も多少は前に進めたつもりだが、過去のことについては俺自身どう答えを出していいのかわからなかった。だが、これは俺が招いてしまった行き違い。俺が責任をもって終わらせなければならないのだ。



「怖かったからだよ。俺が、周囲の人間を破滅に導いてしまいそうになるのが」



 偽りのない、あの時言うはずだった俺の本心。夕日に照らされているからか、その日差しが俺のことを責め立てるように肌を刺してくる。桜は俺の言葉に耳を傾けつつも、酷使したであろう全身を起き上がらせていた。



「俺は、自分のことを完璧な人間だと心のどこかで思い込んでいた。そして、その甘えに突き落とされた」



 一人で生きていける人間は存在しないというが、実際はそんなことはない。だがそれはあらゆることにおいて才を極め、孤高を望む超人にのみ許された所業だ。俺はその入り口にすら入ることができない道化で、孤高どころか孤独になることができない幼子だったのだ。それに気が付いた時にはもう手遅れで俺はあらゆるものを失った後だった。



「それだけ、ですか? それが理由のすべてですか?」


「すべてとは言わない。でも、もしあえて付け足すとするならば……」



 撫でるように、俺の頬を乾いた風が通り過ぎる。そしてその風に乗せるように、勇気を振り絞って口を開いた。きっと、俺は彼女をますます怒らせてしまうだろうから。



「俺はそもそも、誰かを助けることができるほど器用な人間じゃないんだ。まずは、素直に自分の置かれている環境を嘆いて苦しむべきだった。けど俺はそんな人並みの感情を抱けずに、他人を助けるという偽善を掲げて生きてしまった」



 読心術みたいなことができるくせに、そんな俺自身には人間としての感情がどこか欠如していた。常に笑顔を張り付けていたのはどんな顔をすればいいのかわからなかったから。今でこそ俺は無表情を多く貫いているが、それが俺の心が虚無に染まっているという何よりの証拠。


 改めて問おう。こんな人間に、誰かを救い友達をつくる資格があるのだろうか? 自分の弱さと後悔に直面した時も、その部分に関しては明確な答えが出せなかった。



「そもそも俺がこの学校に来たのだって、昔の復讐を考えていたからに過ぎない。姉さんの優しさと思いやりがあったくせに、俺が初めて心の底から抱いたのはそんな獣のような感情で、その先に関しては何も考えてない。家族や自分の人生にすらいまだに向き合うことができない傲慢な人間、それが俺なんだ。よくわかっただろ、俺がどうしようもないほどのクズだって」


「……ええ」



 そうして桜はこちらへと徐々に距離を詰めてきた。相変わらず仮面をつけているせいで一体その裏にどのような表情を浮かべているのか想像ができない。というか正直考えたくもない。彼女は疲れ切ったような弱弱しい足取りでこちらへと近づいてきて、そして……



「っ!」


「……!」



 俺の胸ぐらを掴み、そのまま地面へと俺のことを倒し込んだ。そしてその上から俺のことを逃がさんとばかりに胸ぐらを掴んだまま跨って乗りかかってくる。見かけによってはかなり際どい光景だろう。


 そして俺が地に背をつけたときの衝撃で、彼女の面が外れ地面にカランという音を響かせながら転げていった。だがそれも束の間、彼女は俺が今まで見たことない表情で……



「なぜっ、私に何も話してくれなかったんですかっ!!!」



 慟哭。その瞳を涙で濡らしながら歯を食いしばって俺のことを睨みつけていた。俺は桜のこんな顔を見たかったわけではない。だが、今までの俺の言動が彼女をここまで追い詰めてしまった。その意味と重さを俺は改めて思い知る。



「あの日っ、私にかけてくれた言葉まで虚飾にするつもりですか! たとえあの言葉がただの建前だったとしても、私は確かに救われた。今まで惨めな目に遭ってきた分、頑張って歩いて行こうって思った。それなのに、あなたはまだ過去の自分のことを裏切ろうとしてるんですか!」



 人の心をつくるのは、今まで投げかけられたすべての言葉だ。そういう意味では、彼女の陣背にとって俺の言葉は大きな意味を成していたのだろう。だがあの言葉は本心から出てきた言葉ではない。ただの義務感から生まれた言葉だ。そんなものに、どんな意味があるというのだろうか。



「真に、受けすぎなんだよ。俺の言葉なんて、半分聞き流すくらいがちょうどいいのに……」



「私にとっては、あなたとの日々はとても楽しいものでした。あなたにとっては黒歴史かもしれないし特別ではないのかもしれないけれど、私にとってはあなたと過ごした毎日が新鮮で、眩しいほどに輝いていました。それこそ、今まで無意味だった自分の人生がようやく始まったように思えたんです。けど、お願いします」



 そうして彼女は、消え入りそうな声で……



「私を助けてくれたヒーローを、いなかったことにしないでください」



 あの日決別したはずの彼女が、俺の上で泣いていた。その涙は頬を伝い、俺の頬に落ちてくる。たった一年間の付き合いだったが、思えば俺は桜の本心を聞いたことが一度もなかったかもしれない。それどころか彼女のことを毎日振り回して俺自身も心を開いていなかった。


 俺は桜があの過酷な日々を乗り越え強く成長したものだと思っていた。だがその根は、まだ心の弱い少女のままだったのだ。そして俺が途中で彼女を裏切るような形で消えてしまったがために、歪な形で彼女を成長させてしまったのだ。


 もしかして桜が生徒会長になったのも、かつての幻想である俺の面影を心のどこかで追っていたからかもしれない。桜は常に俺と自分を比べている節があった。それが高校に突入してもまだ引きずられている。


 だからこそ、俺もそろそろ伝えなければならないだろう。



「俺はもう、お前が信じたヒーローにはなれない」


「昔のあなたに戻れとは言いませんし、そんなこと私が言えた義理ではありません。でも、昔の自分をすべて否定するような真似は、やめてください」


「俺は、はっきり言って昔の自分が嫌いだ。たぶん、本当は思い返したくもないんだと思う。それだけ、矛盾と欺瞞に満ちた人生を歩んでいた」


「それならば、あの日救われた私がこれまで歩んできた人生も矛盾と欺瞞に満ちているということになってしまいます」


「かもな……いや、違う」


「?」



 ずっと俺の上に跨りつつも最初以降ずっと俺の顔を見ていなかった桜が、ここで初めて俺の顔を覗き込むように見つめてくる。



「人生の意味は、自分の生き方で決まるんじゃなくてそれを見た周りの人間に勝手に与えて形成される。俺はそれを取りこぼしたけど、お前は違う。目に見える形で、しっかりとした実績と信頼を積み重ねた」



 だからこそ、今があるのだ。本当はもっと彼女に対して最初に言うべき言葉があるのだろうけど、いったんそれを棚上げして桜にこの言葉を送る。一年前の俺が姉さんに素直に伝えられなかった言葉だ。



「生徒会長就任……おめでとう」


「っ……」



 その言葉を聞いた桜は先ほどまで睨みつけるように怖かった目尻が徐々に弱弱しいものになっていく。やはり俺は卑怯な人間だ。本来もっと言うべきことがあるはずなのに、よりにもよってこの言葉を彼女に送ってしまうなんて。だから、改めて……



「桜……ごめん」



 ずっと言えなかった。こんな日が訪れればいいという幻想を抱き、望まぬ形でそれが実現されてしまった。けど俺は、ずっと言いたかった一言をようやく桜に対して口にすることができたのだ。


 そして再び訪れる無言の時間。今度は静寂ではなく桜のすすり泣くような声がこの屋上に響き渡っていた。


 そして……



「あなたの人生は、やはり無意味ではありません」



 涙を拭いた桜は覚悟を決めたかのようにそう言った。



「取りこぼしたんじゃなくて、あなたが何ももらおうとしなかっただけ。もらわなかっただけで、あなたが助けてきた人たちはみんなあなたに感謝しています。人の心や感情が分からなくても、あなたはその意思を汲み取ることができる。そのうえで、最高以上の形でみんなを救い出していたんです。そんなこと、きっと誰にもできない」



 そうして、桜は……



「あなたの力になれなくて、ごめんなさい……彼方」



 桜はようやく、俺の名前を呼んだ。それと同時に、あの日のことを後悔しているのは俺だけではなかったと思い知らされた。長い間拗れに拗れてしまった俺たちだが、ようやく本心からぶつかり合うことができたのかもしれない。自然と、心に熱が籠っていくのが実感できる。


 だが、泣きじゃくるように涙を流す彼女に、何て声を掛ければいいのかわからない。だから……



「ごめんな」


「私、だっでぇ……」



 お互いになんて声を掛ければいいのかわからなくて俺たちは自然とそんなことを言い合っていた。そうして桜は俺の胸元に顔をうずめるようにして泣きだす。さっきからずっと泣いていたが、きっと数年分の涙が今になってこみ上げてきたのだろう。かつて俺が桜のことを助けて屋上で話した時のようだった。あの時のことが、今となっては懐かしい。


 俺は彼女の頭をゆっくりと撫でる。だが途端に、俺も自然と涙腺が熱くなっていくのを感じた。ああ、俺もようやく感情というものが宿ってきたのだと思う。それともずっと願っていたからだろうか。彼女と仲直りができればいいという幻想を。



 そして俺たちは、ようやく本当の意味で分かり合うことができた。長くかかってしまったしぶつかり合ってしまったけど、かつて失ったものをまた一つ取り戻したのだ。それを祝福するかのように、消えかけの夕日が俺たちのことを照らしていた。










——あとがき——


あっ、まだ続きますよ?

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