第37話 限りなく不要な恩返し


「あれ、センパイ顔色悪くないっスか?」


「……気にしなくていい」


 やっぱりスイーツバイキング後にあんな甘いものを飲むのは無理があったようだ。今までしたことがないくらい胃もたれしている。というか、純粋に気持ち悪い。


 あの甘いものを一気飲みできる義姉さんがすごいのだ。七瀬はスイーツバイキングを食べていないにしろ、義姉さんに対抗して腰に手を当て一気飲みしていた。途中で早飲み大会が始まったくらいだ。結果は義姉さんの圧勝だったが。


「あなた、なかなかやるじゃない」


 ソフトクリームのドリンクを一気飲みした七瀬が、義姉さんから言われた言葉だ。義姉さんにこんなことを言わせた人物を俺は知らない。


「それにしてもこれ、結構おいしいっスね」


「あら、結構センスあるわね。チョコレート味と抹茶味もあるから、機会があったら今度奢ってあげるわ」


「あー……太りそうなのでお手柔らかにお願いするっス」


 気が付けば義姉さんと七瀬の間に謎の絆が芽生えていた。女子が仲良くなるのは早いと聞いたことがあるが、俺はそれを初めて実感する。


「そういえば、七瀬さんは何でこんなところに?」


「ああ、それはっスね……」


 七瀬は鞄からゴソゴソと何かを取り出す。よく見ると、何かのポスターのようなものが折りたたまれていた。そしてそれを丁寧に広げる。


「これって、もうすぐ公開されるミステリー映画?」


「はい。実は自分、この映画に脇役で出ることになったんスよ。あれっス、開始五分で殺される被害者の女子生徒役っス」


「……可哀そうに」


「それは物語の中の話っスよね!?」


 まあ、たぶん色々な意味がこもった可哀そうに何だと思う。


 七瀬はモデルとしては名を馳せているが、最近になってドラマや映画などにも手を伸ばし始めているらしい。今まで出演したすべてが脇役らしいが、それだけ出られているならこの先の仕事も安泰だろう。


「それで、来週このデパートの映画館で試写会が行われることになったんスよ。だから自分は会場の下見に来たっス」


「へー、なるほどな」


 思わず俺も感心してしまう。身近にこのような人間がいなかったので純粋に興味深かったし、滅多に感情が揺れ動かない義姉さんが俺以上に感心していたからだ。


「いやはや、まさか自分でもここまで来られるなんて、思っていなかったっスよ」


「あなたの努力の賜物よ。これからもその気持ちを大切にしなさい」


「あ、はいっス」


 素直に褒められて少しだけたじろぐ七瀬。確かに義姉さんは唐突に誰かを褒めたりすることがあるので、褒められる側としては心臓に悪い。それほど普段の態度がクールすぎるのだが。


「そうだ、先程のお礼にこれどうぞ!」


 すると七瀬はさらに鞄を漁ってそこからチケットのようなものを二枚出してきた。よく見ると映画のチケットだ。


「実は今回の試写会って、家族とか友達を一人呼べるんスよ。だから、是非ともお二人に!」


「一人? 二枚あるけど……」


「ここだけの話なんスけど、もしかしたら自分予定が合わなくて試写会に行けないかもしれないんスよ。今回ここに来たのも感想を求められたとき用に雰囲気を合わせられるようにと思って。そもそも映画の内容は自分も全て知ってるっスからね。だから、このチケットを無駄にしたくなくて……」


 申し訳そうにしながら俺たち二人にチケットを渡してくる七瀬。だが義姉さんは義姉さんで申し訳なさそうにしながら首を横に振る。


「そんな貴重なもの、私たちごときが頂けないわ。それに、それはあくまであなたの努力の証で……」


「それなら、恩返しということで。センパイ達にはそれぞれ借りが出来ちゃってるんで、そのお返しっス」


 チラリと、俺の方を見てはにかむ七瀬。俺の恩を感じるのは自由だが、結局あの場は放っておいても解決していた気がする。



 なぜなら、七瀬の身体能力は明らかに異常だからだ。



 今日は先日みたいな距離感はなくむしろ距離感が近い。だからこそこの女の骨格や筋肉を近くで見ることができた。やはり、同年代の女子生徒と比べても明らかに発達している筋肉。今はズボンをはいているのでよく見えないが、確か足の筋肉が明らかに発達していた気がする。


 俺の予想だが、恐らくキックボクシングか柔道などの武道をモデルの傍ら学んでいる。あるいは学んでいた、と言ったところだろう。


 

 実際に比べてみないと分からないが、身体能力に関して言えば確実に新海桜を上回っている。運動会などに参加すれば余裕で最優秀賞とかMVPに選ばれるレベルだろう。


「えっと、だからこそ受け取って欲しいんス。センパイは、嫌っスかね?」


 不安げに俺の顔を覗いてくる七瀬。義姉さんの方へ顔を向けると、ため息をつくように呆れながら俺のことを見ていた。


「……とりあえず貰っておこう」


 俺は渋々そのチケットを受け取った。受け取らなかったら受け取らなかったで、たぶん義姉さんから人間性を疑うような視線を向けられることになっていただろうし。


 俺にチケットを渡した七瀬は満足そうに一歩後ろへ下がる。


「よかったっス。これで在庫処……いいえ、有効活用ができたっス!」


 何か今一瞬良からぬ言葉が聞こえた気がする。まあ開始五分で死亡する役で出演したというし、自分が居ない残りの約一時間半の映画を見るというのもそれはそれで地獄だろう。


 俺はこのチケットを義姉さんに渡そうとするが、義姉さんは受け取ろうとはしない。俺が義姉さんの顔を眺めると、呆れるように俺に言う。



「私、多分これから自由な時間を作るのが難しくなるくらい忙しくなるわ。だから、それはあなたが持っていなさい」


「え、いやでも……」


「ちょうど二枚あるし、仲がいい友達でも誘っていきなさい」



 そんな友達がいるのならね。その一言を付け加えないのは七瀬が目の前にいることを気遣ってのものなのか。それとも単なる嫌がらせなのか。なんとなくだが、後者な気がする。



(いや、マジでどうしようこれ)



 こうなったら質屋に出してみようか。もしかしたら数万円くらいで売れるかもしれない。そんなことを思ってしまうくらい俺には不要なものだ。


「とりあえず、チケットは渡したので今度映画の感想を聞かせてくださいっスね! それじゃ自分はこの辺でお暇するっス。おいしい飲み物ありがとうございましたっス!」


 そう言って七瀬は走りながらデパートの人ごみの中へ消えていった。あんな格好のやつが人ごみの中には知っていったら普通に通報されるだろうに。というか、やっぱり足早いな。


「……そのチケットのことはアンタに一任するわ。まあ楽しんできなさい」


「……」


「ほら、そんな顔してないで私たちも帰るわよ」


 そうして俺たちも七瀬を真似するように人ごみの中へ足を踏み入れた。その足取りが重いのは、周りにいる人ごみに圧倒されているからか、はたまた先ほどもらったチケットの使い道に果てしなく迷っているからだろうか。


「あ、そういえば今日お母さんいないから、アンタ夕飯の食材買ってきて。はい、これ今日の夕飯用のメモ」


「え、義姉さんは?」


「私は先に家に帰って勉強するわ。もうすぐ学年テストがあるし、貴重な休みを無駄にしたくないの」


「えぇ……」


 そうして俺はデパートの一階で食材を買うというミッションを押し付けられてしまった。ちなみに時間的に特売のタイムセールと被ってしまい酷い目に遭ったのはまた別の機会で。 

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