第38話 面倒ごとの譲渡
義姉さんから買い物を押し付けられた週末を乗り切り、再び長い五日間が始まる。憂鬱な感情と久しぶりな眠気を押し殺し俺は起床した。
夕飯用の食材を買って来たものの、あの日の俺はほとんど何も喉を通らなかった。ちなみに夕飯はカレーだった。さすがの俺にも大食いの才能はなかったらしく、口の中がスイーツの甘みを覚えていたせいでカレーを口に運んだ時は少しだけ吐き気がしたくらいだ。
ちなみに義姉さんは何事もなかったかのようにいつも通り夕飯を口に運んでいたので本物の化け物だと思ってしまったのは秘密だ。
そんな義姉さん俺が部屋を出るころにはすでに家を出て学校へと向かっていたようだ。義父さんや母さんも既に家の中にはおらず(義父さんは帰ってきてもいないが)残りは俺だけだった。
俺は義姉さんが作ってくれたのであろうトーストを食べつつ、ポケットの中に入っている二枚の紙切れにもう一度目を通す。
「……使い道、何もねぇな」
試写会に参加できる機会なんてこの先絶対に訪れないし行ってみたいという気持ちはあるが、あいにく俺はミステリー映画に興味はない。寝るとまではいかないが、無駄な時間を過ごすことになると思う。名探偵コ〇ンの映画で主人公よりも早く犯人を突き止めた実績があるし、暗闇の中で暇を持て余すということになるかもしれない。
「うん、やっぱ行かなくていいか」
俺は改めて行かないという結論を出す。映画の感想なんて公表されているストーリーを読めばどうとでもなるし、これから七瀬と会う予定があるわけでもないのだ。念を込めてチケットを財布の中に入れつつ、俺は食べ終えた朝食の皿をシンクの中へと置いて学校へと向かう。
「……テストは終わったし、しばらくは落ち着いた生活が送れそうだな」
少し先に体育祭というイベントがあるが、その間に入っている行事は特にない。しばらくぶりに静かな学園生活を送れるだろうと俺は妙な感傷に浸る。
道中でコンビニに立ち寄り昼飯を購入した俺はいつも通り学校へと向かった。幸い道中に七瀬はいなかったので今日は仕事か何かで休んでいるのだろうと想像する。
そんなことを思いながら、俺は教室の中へと足を踏み入れた。
「それで、先週さぁ……」
「あっ、おっはよー……」
「ごめん、今日の宿題を……」
いつも通りの教室……というか、時間が過ぎたからか最初の頃よりだいぶうるさい。俺は自分の席に向かうと、唯一教室で静かな隣人が目に入る。
「……」
「……」
俺たちの間に、特に挨拶はない。必要以上に話すこともなければ、干渉することもない。それが俺と雪花の距離感だ。
だが、この日は少し違った。
「……少し、いい?」
雪花が俺に顔を向けていつもと変わらない無表情で喋りかけてきた。最近は特に話すこともなかったので、俺は少しだけ驚くがそれを理性で押し込める。
「なんだ?」
俺がそう返すと、雪花は顔だけでなく体をこちらに向け真剣そうな顔を向ける。
「……ちょっと、聞いてみたいことがある」
「?」
こいつが俺にこういう形で質問をするなんて珍しいので、俺はつい目を丸くしてしまう。特に断る理由もないので俺は仕草で話を聞くことを肯定する。いくつか質問内容を予想してみたのだが、雪花はそれを裏切って
「……男の子がもらってうれしいプレゼントって、何?」
「……あ?」
全く想定していないどころか、こいつの口からそんな単語が飛び出すとは思っていなかったので、俺は完全に思考を固めてしまう。だが、すぐに気を取り直して質問に質問で返す。
「だれか、プレゼントを贈りたい相手でもいるのか」
「……そんなところ。ちなみにあなたではない」
きっぱりと、それも嫌な顔で贈り相手が俺ではないと否定する雪花。
それなら誰にと聞きたいところではあるが、俺に関係することとは全く思えないので深入りはせず適当なことを答える。
「そうだな、シンプルに食べ物とかでいいんじゃないか?」
「……できればそれ以外で」
食べ物と口に出した瞬間にそのアイデアを雪花は切り捨てる。まあ雪花は俺と同じでほぼ毎日コンビニ弁当を持ってきているので料理が苦手なのかもしれない。
ちなみに俺は料理をしないだけで、やろうと思えば義姉さんよりも上手に調理ができる。まあ、そのせいで義姉さんの負けず嫌いが発動しキッチンに立たせてもらえなくなったのだが。
「それなら、漫画とか」
「……そういう創作物にあまり興味がないことを前提でお願い」
雪花と親しい人物を思い浮かべ、てっきりオタク的な男に何か送るのだと思っていた。だがそうなると、俺に思いつくものはほとんどないといってもいい。何せ俺自身、あまりプレゼントをもらうことがなかったのだから。
(いや、ちょっと待てよ)
俺はどういう風に誘導するかを考え、まずは無難に話を切り出す。
「じゃあ、映画とかどうだ」
「……は?」
俺の口からそのような単語が飛び出すとは思っていなかったのか、目を細めながら首を傾げる雪花。俺は雪花のリアクションを待つことなく、すかさず映画のプレゼンを始める。
「面白いものなら笑えるし、気が付けば世界観に引き込まれているものも多い。最近はミステリー映画が流行っているみたいだぞ」
「映画……ね」
俺がその場の思い付きで言ったことを聞いて、顎に手を当てながら真剣に頭を回転させる雪花。どうやら謎の男に贈るプレゼントには相当こだわりたいようだ。
そして、最後の一押しをする。
「今、俺のポケットにはちょうど映画のチケットが入っている。それをお前にやろう」
「……唐突に何を言っているの?」
さすがに話の流れについていけなかったのか、怪訝な目で俺のことを見てくる雪花。だが俺が映画のチケットを見せた瞬間に目の色を変える。
「……こ、これって、怪奇学園シリーズ?」
「なんだ、知っているのか?」
七瀬が特に語ることもなかったから、てっきりマイナーな映画なのだと思っていた。だが、雪花にとっては違うらしい。
「……とてつもない名作小説。私も四周はした。主人公が学校で起こる怪奇事件を次々解決していくストーリーで、常に読者の期待をいい意味で裏切る。しかもほぼ全ページに伏線やミスリードが仕掛けられていて、読めば読むほど新たな発見がある不朽の名作。私の推しは主人公の友人であり物語のカギを握るヒロインの……」
「わかった、わかったから落ち着いてくれ」
どうやら雪花にとっては相当思い入れの強い作品のようだ。というか、もともと小説だったんだなこの映画。というか、雪花がオタク属性を所持しているのをすっかり忘れてた。
沢山喋って落ち着いたのか、雪花は改めて俺に素朴な質問をしてくる。
「……私ももちろん映画を見に行く予定だったけど、これが公開されるのはまだ先でチケットも出てない。それを、どうしてあなたが持っているの?」
「……それは秘密だ」
さすがに七瀬とのことを話す必要はないだろう。余計な誤解を招くし、俺から彼女のことを話題に出すのも変な話だ。だから、適当に誤魔化しておく。
「だが、俺は事実その映画の試写会へのチケットを持っている。販売などはされていなく、誰よりも早く完成品である映画を見ることができるチケットを……」
「……」
「これなら、その男とやらも喜ぶんじゃないか?」
男、というより雪花が喜びそうなものなのだが。雪花はテストのとき以上に頭を回転させているのか、俺にこんなことを尋ねて来る。
「……なにか、引き換え条件はあるの?」
そう思ってしまうのも仕方がないだろう。俺と雪花は友達というわけではないし、契約関係を結んでいる身だ。お互い、利益のために利用し合っているだけ。
だが、今回だけは話が別だ。
「特にない、と言いたいところだが一つだけある。その映画を見たら感想を俺に教えてくれ。それだけでいい」
「……感想?」
「ああ。どんなところに何を感じたとか、それをまとめて見せてほしい。俺がお前にこのチケットを渡す条件は、ただそれだけだ」
雪花からしてみれば意味が分からない要求だろう。だが、もし俺が七瀬と鉢合わせ映画の感想を求められた際に誤魔化せるようにするためのものだ。
七瀬は学校の中でも知名度が高い部類だ。そんな奴と関係を悪化させてしまえば、どんなことに巻き込まれてしまうかわからない。七瀬のガチ勢とか推し活をしている奴らは少なからず学内に存在する。そいつらとの問題ごとを避けるためにも、映画の感想を聞くことは重要だ。
しばらく考えた雪花は、最後の質問をする。
「……あなたは、その映画を見たいと思わないの?」
「その日は予定が合わないだけだ」
「……そう」
そう言って俺は雪花に試写会のチケットを渡す。恐る恐るといった感じだが、雪花は確かにそのチケットを受け取った。
「感想は、ルーズリーフにでもまとめて俺に渡してくれ」
「……わかった」
素っ気ない風に言い切るも、喜びを隠しきれていない雪花。久しぶりに慈善活動をした気分だ。
こうして、試写会のチケットは雪花の推し活へと利用されるのだった。
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