第108話 邂逅
俺は珠希さんの病室を見渡した。一見通常の病室よりも少し広めの部屋。だが部屋が広いわりに特に無駄な装飾品が置かれているわけでもなく、最低限の冷蔵庫やテレビなどが無機質に置かれているだけ。ベッド横に置かれているウォーターサーバーはこの病室限定のものなのだろうか?
「あら、やはり気になります?」
「ええ、とても。あまり病室には入ったことがないので」
「そうですか。ではお好きなように」
珠希さんに許可をもらい、俺は病室の様々なところに堂々と目を凝らす。冷蔵庫の中やテレビの裏、果てにはベッドの下など。
「ちょ、何してる?」
「……」
雪花の質問に答えるわけではなく、俺はこの部屋の物色を続けた。そんな俺の様子を楽しげに見つめる珠希さん。この様子からして、やはりあるみたいだな。特に文句を言わないあたり、どうやら俺に協力的な立場になってくれたらしい。これだけでもかなりの収穫だ。
(……目につくところや、手の届くところにはないか)
となると……
「なぁ雪花、少し疲れたから座りたい。椅子はないか?」
「は? 自分で取れ」
「瑠璃、持ってきてあげなさい」
母親にそう言われ、歯を食いしばるほど苦々しい表情を見せ雪花は部屋の端にあるパイプ椅子を持ってきた。そうして俺に突き付けるようにパイプ椅子を押し付けてくる。
「さて」
俺はパイプ椅子を広げて立て、その上に座るのではなく足をかけて立った。雪花は何やってんだこいつと言わんばかりの表情を見せるが、黙って俺のことを見ているあたり何か考えがあるのだと思っているのだろう。あるいは、そう信じているのだろうか。
「……」
そうして俺は天井にある蛍光灯を見る。特に違和感はなく、無理やり外された形跡もない。となると……空調の方か。
俺は椅子をずらして天井に埋め込まれている空調の隙間を覗き見る。冷たい空気が俺の頬を撫でるが、その風を無視して変なものが紛れ込んでいないかと隅々まで目を通す。すると、緑色の光を放つ物体が中にねじ込まれているのが見えた。
(……やっぱりな)
俺はポケットの中からマルチツールを取り出す。マルチツールとは様々な機能を兼ね備えた工具やアウトドアに使われる道具のことだ。俺が今回持ってきたのは工具などが埋め込まれているもので、切断や分解など大抵のことができるようになっている。ちなみにアウトドア系のものはナイフのようなものが出てきてしまうので普段は持ち歩かないようにしている。
「ちょ、お前ホントに何してる!?」
雪花が足元で叫んでいるが、俺は空調の入り口であるルーバー部分を取り外していく。これくらいの大きさなら、すべて外さなくても一つ取り外せば十分手が入れられるだろう。しかし電源の方は病院が管理しているらしいのでこちらからは空調をオフにすることができない。俺は奥で動くファンに巻き込まれないように気を付けて手を伸ばした。
「……」
繋がっているコードを抜き、俺はその黒い物体を空調から取り外した。コードが抜かれたことで電源を失ったのか緑のランプは消えており、中の動作が完全に停止したことを俺も耳と目で確認する。そして俺は椅子から降り、ここにあってはいけない明らかな異物を雪花たちの前に見せつけるように晒した。
「……なに、それ?」
「盗聴器」
「盗ちょ!?」
雪花は盗聴器の存在に驚いていたが、珠希さんはこの事態を想定していたのか思っていたよりも落ち着いていた。つまり、今まで俺たちがしていた会話はどこかの誰かに聞かれていたということになる。まぁ、それが今回一番の狙いだったのだが。
「さて、これでようやく対等にお話しすることができるようになりましたね?」
「……ええ、お見事です」
珠希さんが回りくどい言い回しで俺の問いに答えていたのは、盗聴器の存在を暗に知らせるため。そして盗聴器に気づいた俺がこの部屋でどう振舞うか見極めるため。
そして俺は、改めて珠希さんのお眼鏡にかなったらしい。
「おそらくですが、それが仕掛けられたのは一か月ほど前。ちょうど業者が電気工事を行っていましたね」
「その人物に不審な点は?」
「ありませんでしたが、どうもただ蛍光灯の取り換えをしているようには見えなかったので常に警戒はしていました」
そしてその警戒が今になって生かされたという訳だろう。仮に珠希さんがこの場で無防備にも家のことを話してしまったら、どんな弱みを握られるかわかった物じゃない。相当なストレスがかかっていただろうことが予測されるが、それを顔に出さないあたりがさすが極道の妻と言える。
「ねぇ、なんで盗聴器があるの?」
「……」
盗聴器を仕掛けるのは主に情報を仕入れるため。それならこの盗聴器を取り付けた張本人は、いったいどんな情報を仕入れるのが目当てだったのか。
恐らくだが、雪花珠希から得られる情報はあまり内容の濃いものではなかったはずだ。この人の慎重さからして、自分たちにまつわる重要な情報のやり取りはこの部屋では行っていない。メッセージなどの文書でやり取りを行っていたはずだ。つまり、何の収穫も得られない。
それをわからずに取り付けたのか、それとも他に目的があってこのような犯罪紛いのことをしたのか。その答えは犯人に聞かなければわからないだろう。
「……」
だが、可能性の一つとして考えていることがある。いや、俺はもともとその仮説を組み上げたうえで珠希さんに会いたいと思っていたのだ。
そう、俺が思い描くこの盗聴器の目的は……
「部屋に訪れた人物の、把握」
「……は?」
雪花は首を傾げ、珠希さんも目を点にして俺のことを見ている。恐らく珠希さんも、この盗聴器の目的までは読み切れていなかったのだろう。いや、そもそも珠希さんはこの盗聴器が自分の事を盗聴するために仕掛けられたものだと思い込んでいたのかもしれない。だが真の目的はあくまで珠希さんに近づいた人間の調査。
そして俺の仮説が正しいかは、この後ハッキリするはずだ。だから俺はさっきから自分の個人情報を……
プルルルルルルッ……
そう思っていた時、珠希さんの斜め後ろにある受話器から音が鳴った。恐らく、病院側からの連絡だ。通常の病室では許されないだろうが、個室でありVIP対応の部屋だからこそ受話器のようなものを設置できるのだろう。
珠希さんは怪訝な表情を見せながらその受話器を手に取って応対を始めた。
「はい……はい……え、面会ですか?」
珠希さんはそう言って不思議そうな表情をした。その会話の内容からして、恐らく俺たちの他に誰かが珠希さんに面会を申し込んでいるのだろう。珠希さんは一度俺たちの方へ目をくれて、その申請を承諾した。
「はい、通してもらって大丈夫です」
そう言って、受話器を元の場所へと戻す珠希さん。だがその顔は、先程とは打って変わり警戒感溢れるものとなっていた。心なしか、少しうんざりしているようにも見える。
「出るぞ、雪花」
「え?」
今からやってくる人物が予想通りなら、少なくともこの病室で会うことは避けたい。しかしエレベーターからこの場所まで一方通行であることを考えるに、どこかで遭遇してしまうのはもはや避けようのないこと。だからこそ、せめて場所を移したかった。
「……瑠璃、橘さんの言うとおりにしなさい。お見舞い、ありがとうね」
「えっ……うん」
それが雪花親子の今日最後の会話となり、俺たちは病室を後にした。俺の左手には、先程回収した盗聴器が握られたままだ。これは一度分解して中に手がかりが残っていないか調べてから処分することにする。まぁ、有用な手掛かりは恐らく残されていないだろうが。
そうして少し廊下を歩いていると、雪花が横から肘で俺の腹を穿つように突っついて来る。
「ねぇ、色々と納得ができない」
「……だろうな」
「盗聴器のこととか、母さんと意思の疎通ができていたこととか。あと……なんで偽名を使った?」
俺が少し前まで『橘』という性だったことを知らない雪花は、俺が違う名前を言ってあの場を乗り切ったのだと思っているのだろう。確かにあの場で『椎名』と名乗ることもできたしそれでも別に支障はなかったのだが、どうしても検証したいことがあった。
「雪花、最初に釘を刺しておく。ここは病院だ。叫んだり、暴れようとはするなよ」
「はぁ? 馬鹿にしてる?」
「……これからわかるさ」
そうして俺は廊下の真ん中で一度足を止め、一度目を瞑った。俺の様子を不思議に思った雪花も一度止まりイライラとした心境で俺のことを見ている。俺の言動や協力理由がいまだにわからないからこそ、雪花も心を酷く乱されているのだ。だが、それももうここまで。
(ふぅ……さて、雪花には色々と無理を言ったし、今度は俺の番か)
ピンポーン
手前にあるエレベーターホールの方からエレベーターが到着する音が聞こえた。そしてそこから出て来たのは、何かの包みを持った男だった。俺たちと同じ制服を着て、とてもじゃないが病院のお見舞いにふさわしくないようななりをしている。
「……っ!?」
雪花はそこから出て来た男を見て目を見開くと同時に息を呑んだ。驚愕、困惑、嫌悪。それらが入り混じった表情が雪花の顔に現れ、彼女を混乱の境地へと追いやっている。そして俺たちの存在に、目の前の男が気付いた。
「あっれ、瑠璃ちゃんじゃん。なに、お母さんのお見舞いに来てたの? それとも俺のお迎え?」
軽薄そうな言動だが、その言葉にはどこか重みのようなものがのしかかっている。プレッシャーとでもいうべきだろうか。この前は遠くから見ただけだったが、直接対峙するとその変化のありさまにやはり驚く。事前情報がなければ俺も他人だと思ってしまいそうだ。
「……あれれぇ? ていうか、あらゆることにおいて似つかわしくない男がそこにいるねぇ」
そうして、俺の方へと向き直って来る男。こいつがここに現れたということで、俺の仮説は正しかったのだと確信した。
あの盗聴器は雪花家の情報を探るためのものだったのではなく、訪れた人物たちのことをリサーチするためのものだったのだと。そしてたった今、お目当ての人物がここに訪れたと報告があったからこいつもこの場へと現れたのだろう。
そしてそいつは、すこぶる程の笑顔で俺に話しかけて来た。まるで、以前のように
「引きこもったんじゃなかったの、橘くん?」
「……信也」
ずっと避け続け逃げ続けたこの展開。以前の俺なら無理やりにでも回避したであろうシチュエーション。だが、もう迷わない。
そうして俺は、とうとう過去に対峙した。
——あとがき——
前話を少しだけ修正しました。
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