第109話 新たな因縁
エレベーター前のホールで俺たちと信也は向かい合うように対面した。先ほどまではつまらなそうな顔をしていた信也だったが、俺の顔を見た瞬間に下卑た笑みを浮かべ始める。やはり、俺の名前があの病室で出されたことがきっかけでこいつはここにやってきたらしい。
「おいおい、久しぶりの再会に挨拶もなしかよ?」
「必要性が感じられないな」
「はは、昔と違って随分冷たくなったじゃん」
俺と信也が知り合いだったという事実に困惑し、どういうことだと言いたげな表情でこちらのことを見据えてくる雪花。そんな彼女に対して、俺の心は思っていたよりも冷静で冷めていた。もう少し心臓の鼓動が早くなったりするものだと思っていたんだがな。
(……この香り)
冷静になっていたおかげで、俺は信也が抱えている包みから香ってきた匂いに気が付いた。どうやら彼が抱えているのは花らしい。お見舞いには最適と言える持ち物と言えるだろう。ただし、その品種によりけりだが。
「聞くところによると、ずいぶん酷い目に遭ったみたいだね?」
「ああ、お前のせいでな」
「おいおいよせよ。それこそ橘くんの自業自得だろ?」
知ってか知らずか、俺のことを『橘くん』と呼ぶ信也は昔の屈託のない笑みとは違い邪悪な笑みで俺の傷口を抉る。だが、いまさらそんな精神攻撃に怯む俺ではない。
「そっちこそ、ずいぶんと趣味が極まったようだな。高校生にして、同い年の女子高生を許嫁に指名するとは」
俺の嫌味混じりな切り返しに、一瞬だけ顔が歪む信也。この表情から察するに、雪花のことを指名したのは、信也ではなく父親である理事長の方なのかもしれない。向こうにとってはただの(極道の娘だが)女子高生の未来を奪うのは何とも思っていないだろうし。
「懇願されたんだよ。ダメ娘をもらってくださいってアホな父親にね」
「父さんはそんなこと言わなっ……むぐっ!?」
一瞬にして沸点に達した雪花の口を押える。こいつが変に暴れでもしたらこの場をセッティングした意味がなくなる。
(そうだ、せっかく釣れたんだ。今は情報を引き出す)
もしこの病院の一部が理事長と連絡を取り合っているのなら、雪花珠希のもとへ面会の希望があったと必ず報告が行くはず。そして彼らは面会希望に記された俺の名前を彼らに伝えたのだ。ちなみに用紙の氏名欄は雪花に気づかれないよう『椎名』ではなく『橘』姓の方を使った。そして病室でも旧姓の方を使って自己紹介をした。
橘彼方の名前が出れば、信也か理事長のどちらかが俺の前に出てくると予想したのだ。そしてその予想は、見事に的中した。すなわち、釣りに成功したのだ。この場所に来るまでの時間が想定より早かったことがちょっとした誤算だが。
「おいおい、僕のフィアンセちゃんに何してくれてんの?」
「悪いな、手が滑った」
俺はそう言って雪花の口元から手を離す。眉間にしわを寄せてピクピクしている雪花だが、しばらくは黙ってくれるようにしてくれたらしい。対する信也も雪花に対して俺が触れたという事実自体はどうでもいいのかすぐに雪花のことをスルーする。やはり、口で言っておきながら雪花のことは別にどうでもいいらしいな。
「そういえばさ、この前の体育祭では大活躍してたらしいじゃん。何? また表舞台に戻ってくんの?」
「さあな。俺はヘルプを頼まれて走っただけだ」
「橘くんさぁ、やっぱ自分の立場分かってないよね」
そう言ってコツコツと足音を立ててこちらへ歩いて来る信也。その顔はまるで悪だくみをする子供の用で、雪花も不気味がっているのが見える。
そうして信也は俺の横に立ち、こちらに目をくれるわけでもなく俺の肩に腕を乗せて耳元で囁くように、しかし雪花にも聞こえるように喋ってきた。
「また昔みたいになるとは思ってないわけ? 前回はともかく、今通ってる高校で同じことが起きたらヤバいと思わないの?」
「……」
「まあ、僕はどっちでもいいんだよ? 君が何もしなければ僕も何かするつもりはないし」
「……」
「あっ、でもあいつのことを忘れないでね? いつでも再起不能に追い込むことができるんだから」
「……お前」
「あんまり調子に乗らないようにね……椎名くん」
そうして信也は満足そうな笑みを浮かべて俺を突き飛ばすように肩に力を掛けた。思わずよろけてしまう俺だったが何とかバランスを保ち信也の方を見据えた。だが信也は既に俺のことは眼中にないらしく珠希さんの病室の方へと歩いて行った。
(……やはり俺の情報は転校以前に調べてたみたいだな)
俺の苗字が変わっていることをあいつは知っていた。やはり、あいつは俺が同じ学校にいたということを事前に知っていたらしい。なのに俺に対して何もアクションを起こさなかったのは、俺の心を揺さぶり心理戦を行おうとしていたのかもしれない。
釣りには成功したものの、あまり有用そうな情報は引き出せずに終わってしまった。
俺が何の収穫も得られなかったと思っていた瞬間だった。
「おい!」
「っ!?」
ドンっ!!!
いきなり肩が掴まれたかと思うとそのまま壁の方へと押し付けられてしまった。行ったのはもちろん雪花だ。通常なら余裕で躱したり堪えたりすることができる俺だが、信也対面後ということもあってか、心が不安定な状態だったせいで反応が完全に遅れてしまった。
対する雪花は俺のことを壁に追いやり、鬼のような形相で俺のことを見つめていた。どうやら先ほどまで我慢していたようだが、信也がいなくなったことで俺に対する疑念が爆発したらしい。
「お前、あいつと知り合いだったの?」
「……昔、同じ中学校だっただけだ」
「だけ? 随分親密そうだった」
「そう見えたのなら、眼科の受診を勧める」
俺がそう言って雪花の追及をいなすと、一度強く圧迫するように肩を押してから俺から手を離す。どうやら雪花にとって俺はまだグレー判定の扱いを受けているらしい。敵ではないことは確かだが、味方でもない。きっとそんな印象だろう。
少なくとも、雪花は俺から何も情報を引き出せないと諦めたようだ。
だが、これで今まで停滞していたものが一気に動き出した。俺と信也のこと。そして雪花にとっても。あとは当初の予定通りに事を進めてもらうよう仕向けるだけ。
俺たちは黙ってそのままエレベーターに乗り込み病院を後にしようとする。だがエレベーターの中で俺はふと思い出したように雪花に忠告しておく。
「もし次にここに来ることがあるのなら、その時は見舞い用の花でも買っておけ」
「……いきなり何?」
「今は気にしなくていい。とりあえず胸の内に留めておけ」
俺がそう言うと雪花は興味を失ったようにエレベーター上部にあるパネルの数字を眺め始めた。どうやら雪花は信也に気を取られすぎて気が付かなかったらしい。まあ俺も信也が真横に立って初めてそれに気が付いたのだが。
(菊に蘭、そして百合。逆にこの短時間でよくそんな花を買ったもんだ)
事前に購入していたのかもしれないし、もしかしたら定期的に信也は珠希さんの元へ足を運んでいたのかもしれない。だが信也が手に抱えていた花の包みに入っていたのはとてもじゃないが入院している患者の見舞いに相応しいとは言えない花ばかりだった。
あれはどれも、葬儀に使われるものばかりなのだから。
(珠希さんはあれを顔色一つ変えずに受け取るんだろうけど)
短時間とはいえ雪花珠希という女のことを少しだけ理解した。少なくともあの人は歪んだ権力や圧力に屈さずに信念を貫くタイプだ。もしかしたら嫌がらせに送られた花すら飾って眺めてしまうくらいのことをしでかすかもしれない。
「……ねぇ」
「なんだ」
エレベーターが一階に着きそうになる直前に雪花が口を開く。先ほどの信頼できないと言った顔とは違い、その顔は初めて会った時以上に真剣なものだった。俺のことを見据えて、決して離さないといわんばかりの表情。
「教えて、あなたのこと」
——あとがき——
コロナと風邪(←布団を蹴飛ばして寝ました)を併発してしまい一週間ほどダウンしてました。とりあえず体調も回復して明日からは日常に戻りますので執筆も勉学も頑張ります!
うぅ、溜まった課題の山ぁ::>_<::
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます