第110話 運命的な脅迫
俺のことを教えろ。
そんなことを言われてもこいつに教えることは特にない。それどころか、むやみに教えてはいけないとさえ思っている。少なくとも、俺の過去は面白い話なんて一つも登場しないから。
「いたって普通の男子高校生だが?」
だからこそ、捻くりだした答えなんてそんなものに尽きる。だが隣の雪花は俺がそう言った途端に顔をしかめた。俺の言ったことを一切信用していないらしい。
「絶対に嘘」
「何を持ってそんなことを言う?」
「わかる。お前、絶対に普通じゃない」
雪花がそう言い切るのと同時にエレベーターが一階に着いた。俺がエレベーターを出る後を追うように雪花が後ろをついて来る。そうして面会終了の手続きを済ませた後もなお、雪花は俺に纏わりつくかのように質問……いや、自論のようなものを展開してくる。
「普通の高校生は変装もしないし偽名も名乗らないし……私なんかと関わったりしない」
「可哀そうな奴だな」
「……黙れ」
自虐のようなことを言って来たのでからかっていいのかと思ったが案外そうでもなかったらしい。自分で言っておいてちょっと恥ずかしくなったのか少しだけ顔を赤らめる雪花。だがそんなことどうでもいいと言わんばかりに、彼女は言葉を重ね続ける。
「いきなり空調を分解したり、お母さんと即興で二人にしかわからないやり取りをしたり、色々おかしい」
「たまたまかもしれないだろ」
「たまたまで、盗聴器を発見できる?」
雪花の瞳には俺が特別な存在に映って仕方ないらしい。いや、特別というより異質な存在と言った方がしっくりくるか。まぁ、俺が俗に言う『変な奴』になるきっかけを作ったのは主に俺の身内なのだが。
だが、それはそれとして一つ気になることがあったので雪花に直接聞いてみることにした。
「なぁ雪花。さっきからずっと喋りっぱなしだが、喉は大丈夫か?」
「……え?」
俺がそう言って、雪花も自分の状態に気がついたらしい。そういえばこの暑さの中一切水分を補給していなかったことに。俺が水を渡した時も水を飲む素振りを見せていなかったし、完全に油断していたのだろう。熱中症というより、脱水症状寸前だ。
「……」
雪花は俺にジト目を向けながら先ほど俺が渡したペットボトルの蓋を回し中身を飲み始めた。一応新品なのでそこまで抵抗はないと思うが今の今まで怪しさゆえにずっと飲まなかったらしい。だが、自分の体調には代えられなかったようだ。
「……そういう、他人の体調を正確に把握しているところも普通じゃない」
口元を拭きながら雪花はそう言い、ペットボトルをしまいながら俺の進路をふさぐように立ち塞がった。どうやら、意地でも俺のことを知りたいらしい。俺の目をじぃっと睨み、逃がさないと言わんばかりの立ち振る舞いで黙って俺が喋るのを待った。
「俺のことを知ってどうするつもりだ? 少なくとも今回の件には一切関係がないが?」
「ある。お前、あのクズ男と知り合いだった。なら、絶対あいつと関りがある」
「さてな」
「……あと」
「ん?」
「私のことばっかり詮索して、不公平」
どうやら雪花は自分の家庭環境などが一方的に知られ続けることにムカついているらしい。というかそれが理由の大半を占めている節まである。というか雪花、信也のことをクズ男と呼んでるのか。まぁ存外間違いではないのだが。
「もし教えてくれないなら、翡翠と七瀬さんをけしかける」
「はぁ?」
「ワンコールで、二人とも来てくれる」
俺も予想外だったが、どうやら雪花は七瀬と連絡先を交換していたらしい。一緒にあの屋敷に行ったときにはそんな様子はなかったし、校内で再会して連絡先の交換をせがまれたのかもしれない。いやそれはそれとして、まさかその二人を脅しの手段として使ってくるとは思わなかった。翡翠に関しては、確かにワンコールの後すぐにここへ駆けつけてきそうだ。
「場合によっては、お前の姉も巻き込む」
「だから、なぜ?」
「いいから、さっさと話せ!」
頬を膨らませてすっかりムキになってしまっている雪花。今までの落ち着いた雰囲気は完全に崩れまるで駄々をこねる子供のようだ。僅かな時間とはいえ母親と会っていたことで素に戻っているのかもしれない。
「……はぁ」
俺は雪花の隣を通り過ぎるように通過した。あまりにも自然な動作だったせいか雪花も一瞬ポカンとしている。だがすぐにハッとして俺の肩を掴んできた。
「おい、まだ話は……」
「……ん」
「えっ?」
俺は親指で近くにあった喫茶店を指さす。とりあえず、そこに入るぞと雪花にジェスチャーで伝えてそちらへと向かっていった。すると雪花も特に何も言わなくなり俺の後をついて来る。
そうして店内に入った俺たちは空いている席へと通された。客の数は疎らだが店内のBGMや客の会話がそこそこあるので簡単に内容が聞かれることはないだろう。少なくとも秘密の話をするにはもってこいだった。
俺たちは着席してすぐに飲み物を注文した。俺は紅茶で雪花はオレンジジュースを頼んだ。雪花曰く、コーヒーや紅茶などの嗜好品の類はあまり飲まないそうだ。どうにも口に合わないらしい。雪花の子供舌疑惑が俺の中で湧き上がってきたところで、早速雪花が質問のようなことをしてくる。
「それじゃ、早速。まず、あの解体技術をどこで身につけた?」
「解体?」
「さっきの空調のこと」
一瞬だけ惚けてみるが、どうやら簡単には逃がしてくれないらしい。そして雪花は一番気になっているであろう俺と信也の関係については後回しにするようだ。まずは俺がどのような人間なのかを知りたいのか、それとも大事なことは後回しにしたい派なのか。それともその両方か。
だが、その質問なら別にそこまで隠すことはない。
「父親に教えてもらっただけだ」
「……職人か何か?」
「犯罪者」
「え」
俺がただ一言だけそう言うと雪花は固まる。やはり隠すべきだったかと思い直してしまったが、別にそれに関しては過ぎ去った過去だし特段隠す必要はない。ちなみに父親と言うのは俺の実の父親のことで、今の義父のことではない。
「何の犯罪者?」
だが思ったよりも雪花は復帰が早く、俺の親がどんな罪を犯したのかを食い気味で聞いてきた。だが、それについてはこう答えるしかない。
「いろいろだ」
雪花には俺が誤魔化したように聞こえたのだろう。その部分を深く追求しようとしてくる。
「……もうちょっと具体的に」
「いや、本当に色々あるんだ。俺も全部把握してない」
人の心身コントロールに喧嘩の仕方、果てには工学的なことからコンピュータへのハッキングまで。少なくとも表には出すことができないようなありとあらゆる犯罪の方法や技術を実の父親に仕込まれた。こちらが怪我をしそうになってもお構いなしで、鬼気迫るような表情で様々なことを俺に継承した。
なぜ俺にそんな物騒な技術を叩きこんだのかは直接聞かないとわからないし、どうしてそんな真似をしていたのかは今となっても不明。だが、俺を構成するあらゆる能力の基礎は父親によって仕込まれ磨かれた。そして俺はそれを自分の思うように伸ばしただけ。
物心つく頃には父親はあっさり捕まっていた。どんな状況だったのかは今もよくわからない。だが、一切抵抗することなく刑務所へと収監されたらしい。だから俺には父親との記憶があまりないのだ。俺にあるのは父親に仕込まれた技術だけで、それ以外はかなり朧げ。正直父親の顔すらよく覚えていない。
もうすぐ出所すると聞いていたので、もしかしたら直接聞くことができるかもしれない。まあ、別にこちらから会いたいとは一切思わないのだが。なにせ、わざわざ会う必要性がないのだから。それに、今の家族を巻き込むことになったら面倒なことになりそうだし。
「聞くところによると、国際指名手配されてたとかなんとか」
「はぁ!?」
「……あんまり大きな声を出すな」
余計なことを言ったと後悔しつつ、驚きながら思わず声を上げた雪花のことを落ち着かせる。なぜ国際指名手配されるほどの人物がたった十数年で檻の外に出られるのかはわからないが、きっと俺の知らないところで何かしらのやり取りがあったのだろう。
そして、雪花もこれ以上は父親に関して踏み込んでくることはなかった。だが今の話で俺がどうして多岐にわたる様々な能力を持っているのか納得したらしい。俺が嘘をついている可能性ももちろん考慮しているだろうが、とうとう核心を突くようなことを聞いて来る。
「それじゃあ教えて。あのクズ男と、どういう関係なの?」
「……」
「……チラッ」
「弟の電話番号を見せて脅そうとするな」
雪花はワンタップでいつでも弟を呼び出すことができるぞと俺にスマホの画面を見せて脅してくる。しかもその上には本当に七瀬の番号が登録してあった。全体的に見て連絡先の少なさが目立つホーム画面だが、俺にとっては本当に脅しの道具となり得るのだからよく考えたと思う。これで姉さんの連絡先まで登録してあったら本当に……
「ちなみにだけど、七瀬さんは交友関係が広いらしい」
「……どういう意味だ?」
「お前の姉の連絡先も知ってるかもしれない」
つまり雪花はこう言いたいのだろう。七瀬を通して俺の姉さんを呼びだすこともできるぞと。信憑性のない脅しだが、七瀬の行動力と以前目の前で姉さんと直接面識を持った場面を目の当たりにしているので、一概に否定することができない。もしかすると、本当に七瀬と姉さんが連絡先を交換している可能性だってある。
「ほら、キリキリ話せ」
「……ふっ」
「……何がおかしい?」
「いや、気にするな」
そう言いつつ俺は素直に雪花の交渉力、あるいはその運命力を評価していた。俺のことを脅し、そしてその先にある真実を曝け出そうとしてくるのだから。中学時代にこれとは別種の脅しをされたことはあるが、あの時と違い今回は素直に見事だと心の中で称賛する。つい先ほどまで表情が曇っていた奴がこんなスッキリした顔で俺に迫ってくるのだから。
もし雪花が俺と関わっていなかったら? 俺がこいつの弟と面識を持っていなかったら? 姉さんや七瀬と雪花が出会っていなかったら? 少しでも行動がズレていればこの脅しは成立しなかった。だがそれを、自分の手で掴み武器として俺に突き付けてきたのだ。
「……話すの、話さないの?」
「……」
「……イラッ」
「……いいだろう」
雪花が呼び出しボタンをタップする寸前で俺はそう答えた。とりあえず、ここは素直にこいつの変わりように負けを認めよう。雪花も緊張が解けたのか思ったよりも大きく息を吐いた。俺は雪花との交渉をどちらかと言えば楽しんでいたのだが、こいつはずっと緊張していたようだった。
そして俺は注文した紅茶を啜り、過去のことに思いを馳せた。思い出したくもない、中学時代の記憶を掘り返す。
「そうだな……」
少なくとも新海のことはあまり語るべきではないだろう。俺と新海が過去に繋がりを持っていたことをこいつは知らない。だから語るのはあくまで俺と信也のことだけ。
「なぁ雪花。お前には……全てを裏切り敵に回す覚悟はあるか?」
「……え?」
とりあえず語ってみようか。
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