第111話 橘彼方→椎名彼方①
中学二年生の春。中学校ではクラス替えというビックイベントがあり、誰がどのクラスになるのかと一喜一憂するだろう。他にも後輩ができたり部活では先輩陣の引退を見据えたりと大きな変化が起こる。上から引っ張られたり下を引っ張ったりする不安定な時期により、校長や学年主任から気を抜くなとスピーチされるのはどこの学校でも定番なのだろうか。
かくいう僕、橘彼方もその例に漏れず珍しく浮かれていた。
半年以上仲良く過ごした新海桜と同じクラスになれなかったのは残念だったが、新たな環境に身を置くというのは未知との遭遇のチャンスとなるので心躍るものがあった。今までにはなかった出会いや発見もあるだろう。
「僕は橘彼方です!」
自己紹介の時にハキハキとした口調でそう名乗りを上げた。新しいクラスの子たちと仲良くなるのにはそう時間はかからなかったと思う。見知った顔もあったしこちらから積極的に声を掛けに行けば打ち解けてくれる人がほとんどだった。
部活などには所属していなかったが、新しく始まった生活はことのほか充実していたと言えるだろう。
「あっ、信也くんおはよ!」
「おはよう橘くん」
彼、獅子山信也は僕の隣の席に座るクラスメイトだ。一年生の頃から同じクラスで親交があり、このクラス内では一番最初に声を掛け改めて仲良くなった人物でもある。彼はバドミントン部に所属しており、腕前も既に中学生の枠組みを超えているとかいないとか。
「そういえば信也くん、バド部の部長になるの?」
「うーん、部長にそう勧められてるんだけど、正直迷ってるんだよね。俺ってそんなに責任感がある方じゃないし……」
「信也くんなら大丈夫だと思うけどなぁ」
僕は部活などに所属していないため部活動というものがどんな空気感に包まれているのかを知らないが、信也くんなら別に問題ないのではと思ってしまう。問題がある人物ってわけでもないし、誰にも隔てなく接することができる人だから。少なくとも僕はそう思っていた。
「そういえば彼方くんは桜ちゃんと会ってるの?」
「ああ。そういえばクラスが変わってからあんまり会ってないかな」
「ふぅん。この前桜ちゃんを見かけたけど、結構友達に囲まれて人気者になってたよ」
聞くところによると桜は違うクラスで学級委員長を務めているとかなんとか。一年前まではいじめにより人から憚られていた桜だったが、どうやら今はその在り方が百八十度変わったらしい。本人に自信がついたというのもあるだろうが、この一年間の過ごし方が彼女の価値観を大きく変えたのだろう。あるいはもういじめてもいい存在ではないと周りが無意識に理解しているのだろうか。
「まぁ、今度何かしらに誘って近況について色々聞いてみようかな」
「うん、それが良いと思う」
わざわざ会わなくてももう彼女は大丈夫だと思うが、こういう風にコミュニケーションを欠かさないことも大事だ。いつ何時彼女に頼ることがあるかわからないし、それほどの実力を既に彼女は有している。確か半年前なんて、一緒に歩いていた時に絡まれた酔っ払いを教えた柔道のテクニックでねじ伏せていたし。
「それより彼方くん、バドミントン部に興味はないかな? 今なら部員を募集中で……」
「あんまり興味ないかなー。それよりも自由に動けるようになっていたいし」
「あ、相変わらずだね……」
小学生の頃と打って変らず、僕は正義の味方のようなことをしていた。確か最近は桜に黙ってとある暴力団とヤクザの抗争に秘密裏に介入してその不毛な戦いを終結させたりしている。まぁ喧嘩と言っても肉体だけの戦いだけでは勝てないと思ったので割と色々な手を尽くしていたりする。
(変な人たちだったなぁ。『お嬢』がどうたらこうたらって)
我ながらカオスを究めた人生を送っているような気がするが、これが僕の近況だ。自分がやるべきことを果たせているし、最低限自分や周りの安全を守れていると思っている。誰に褒められたわけでもないが、僕はそれで満足だった。きっと自分の行動が誰かを助けていると信じてやまなかったから。
そうして僕は今日も変わらず一日授業を受け、いつも通り放課後を迎える。空気が弛緩して友達と話し込んだり部活に向かう者もいる中、僕は荷物を鞄に詰め込み一目散に帰宅するようにしていた。これは一年生の時に桜と一緒にいた時も同じだ。しかし、向かう先は一年前と大きく異なっていた。
「確か、お花を買ってくるんだったよね?」
桜と一緒に過ごしていた頃はどうしても行動が制限されていたのだが、一人になると自分が思っていたよりも自由に行動できることに最近気が付いた。小学生の頃とは違い、中学生になったからこそ見えてくるものもある。そして今は老人会で出会ったおばあさんのおつかいを引き受けているところだ。信頼してくれてお金も渡してくれているので責任は重大と言えるだろう。
「大変だよね、知り合いが亡くなっていくの」
僕に花を頼んだおばあさんはかなり高齢だった。そしてその花の用途は仲の良かった友達の墓へ供えるためだという。長年の知り合いや心の通った友達がどんどんこの世から去っていくのは、きっと精神的にも辛いだろう。まだ若い僕にはわからない感覚だ。
まぁそんな暗い未来のことは今から気にしていても仕方がないか。
「暗くなる前に早く済ませちゃおっと」
花屋というのは意外と早く店じまいをしてしまうのだ。こんなところでかまけて花を変えなかったら元も子もない。いまはおつかいを完遂することだけに集中しよう。
そうして僕は目的の花屋まで一気に駆け抜ける。通常であればどう頑張っても一時間以上かかる道のりだが、ここら一帯の地図を頭に叩き込み数々のショートカットを開拓している。そんな僕がちょっと本気を出せば目的地まで二十分もかからない。
そうして息が切れることなどなく僕は目的の花を購入しそのまま同じ速度でおばあさんの家へと直行した。家は事前に知っていたし、そちらへ向かった方が効率的だと思ったからだ。
ちなみにその後おばあさんの家を訪れていた胡散臭い訪問販売を追い払ったりと別種の事件があったりしたのだが、そちらは割愛しよう。
(最近は大きな騒ぎもないし、この町もずいぶん平和になったなぁ)
二年ほど前は派手に暴れまわっている何とか組があったり、変ないざこざに巻き込まれたりと不幸な主人公体質を背負っていた僕だが、ここ最近は比較的穏やかな日々を過ごせている。暴力沙汰など物騒なこととはもう遠のいて久しい。そんな平和をかみしめながら用事を済ませた僕は行きとは違いゆっくりと夕焼けに照らされた道を歩いていた。
「なんか、ちょっと退屈?」
正義の味方と言えど、悪となる存在がいなければやることのないただのニートと同じ。いや、そもそも自分が正義の味方だなどと自惚れているつもりもないのだが、それでも無意識にそう意識してしまうのだ。だが闇落ちして自ら敵を作るような愚行もするわけにはいかない。
まぁ要するに、僕はこの身に宿した知識と無類の技能を完全に持て余していた。
「ただいまー」
そうして僕は母親と住んでいるボロアパートに帰宅する。狭いしひびが入っているし、挙句の果てに外から風が漏れてくる欠陥住宅。だがその家の中から返事が返ってくることはない。母さんは今も仕事か、もしくは……
「また、遊びに行っちゃったのかなぁ?」
母さんと最後に顔を合わせたのは確か二週間ほど前の朝だっただろうか。母さんは主に夜に仕事をしているので僕が小学生の頃は日中に帰って眠っていたのだが最近では日中にすら帰ってこなくなった。そしてたまに帰って来た母さんの服から男のものの香水の匂いが香ってきたのだ。たぶん、そういうことなんだろう。
父さんが刑務所に入った時点で母さんは離婚届を提出し問題なく受理された。だから別に浮気というわけでもないし、何か犯罪を犯しているというわけでもないので咎められる筋はない。だが、もしかしたら僕が捨てられるのも時間の問題かもしれないと考えるようになっていた。きっと母さんは、僕のことがお荷物になって邪魔だろうから。
「叔母さんが心配してたし、危ない目に遭わなきゃいいんだけど」
叔母さん。母さんにとっては妹となる女性がいるのだが、時折僕たちのことを心配して様子を見に来てくれる。仲はそこまでよくないようで、僕のことを巡ってよく喧嘩しているのを幼い頃から目にしてきた。夜の仕事をするのにも猛反対していたが、それ以外に稼ぐことができないとその反対を押し切って母さんは働いている。
きちんとご飯は食べさせているのか、毎日家に帰っているのかなど。母さんが生活を改めることはなかったが毎日お金を置いてくれているので生活に困ることはない。せめて高校を卒業するまではこの生活が維持できればいいのだが。
「……とりあえず、もう夕飯にしよ」
これが僕、橘彼方の日常。
家族に恵まれているとは決して言えないが、多くの友達と知り合いに恵まれていた。仮に僕が正義の味方だとすれば今は休業中。自分の在り方を模索する迷える子羊そのものだった。
一人で過ごす時間が増え、どこか寂しい思いをしているのだった。
「……あいつ、調子に乗りやがって」
すぐ傍に迫る、圧倒的憎悪に気づくことはなく。
——あとがき——
あけましておめでとうございます!
新年一発目の更新です。今年もたくさん執筆して、新作をどんどん公開していければいいなと思ってます。とりあえず目指すはつよつよ作家!
そんなわけで、今年もよろしくお願いいたします。
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